先日ご逝去された小室直樹先生が僕にとって大切な「感染」対象でした。十年程前、このままだと日本が終わってしまうと慨いたら、先生がおっしゃいました。
「宮台君。心配はまったく要らない。社会がダメになれば人が輝くから」と。実に深い言葉です。
(大澤真幸、宮台真司『「正義」について論じます』左右社、2010)
こんばんは。震災のあった2011年の4月末に、復旧したばかりの東北新幹線に乗って、第二の故郷へと足を運びました。田舎教師 Part1のときの教え子を見舞うためです。
陸中海岸国立公園を望む高台に建っていた初任校(小学校)は、校舎こそ被害を免れたものの、学区にあたる地域については、およそ3分の2が津波によるダメージを受け、どこから手をつければよいのかわからないような状態になっていました。校庭には仮設住宅が、そして隣接する中学校には避難所がつくられ、他県の医療班や炊き出しのボランティアチーム、家庭教師のトライから派遣されているスタッフらが、自宅や家族を失った住民とともに、復興に向けて可能な限りの努力を積み重ねているという、
ハードな状況。
そんな状況でしたが、教え子たちに悲壮感はありませんでした。小室直樹さん言うところの「社会がダメになれば人が輝く」とは本当にその通りで、高校のボランティア部の一員として八面六臂の活躍をしている子や、救急救命士や医者など、直接的に誰かの役に立つ仕事がしたくなったと張り切っている子、土木関係の職に就き、復興に向けて「これからです!」とバリバリと働いている子など、輝いている面々ばかり。昔を振り返り、16~19歳(当時)になった教え子の成長した姿に、大いに元気づけられたことを覚えています。
非常時にこそ人が輝く。
とはいえ、学習塾もなく、就職先も数えるほどにしかない田舎ゆえ、町の存続に関しては、厳しい「その後」を迎えることになります。震災のため、もともと進んでいた過疎化に拍車がかかり、隣接していた中学校は2015年に閉校。そして2018年の春には、私の初任校も閉校を余儀なくされます。明治6年から続いていた伝統ある小学校だったのに。小学校や中学校がなくなれば、いわゆる「限界集落」まっしぐら。何とかならないものかと、第二の故郷の衰弱に、寂しさが募ります。
人が少ない = 習い事の選択肢が少ない
その小学校で担任をしていた頃、地域にある習い事はそろばんと野球だけでした。ちなみに野球には私も「コーチ」としてかり出されることがあって、未経験者ゆえにちょっと辛かったことや、対戦チームのほとんどが男女混合チームで「何か、漫画みたいで格好いいなぁ」と思ったことなどを覚えています。
一方、都会には学習塾はもちろんのこと、ピアノや習字、バイオリンやフィギュアスケート、チアやプログラミングなどもあって、田舎とのギャップは相当なもの。しかも一人の子がいくつもの習い事をかけもちしていることが多く、贅沢極まりなし。家庭事情のために習い事に縁のない子もいますが、選択肢が豊富にあるという意味で、都会の子は本当に恵まれているなぁと思います。
都会ではなく、ネパールのような途上国と比べれば、日本の田舎の子どもたちの方が、習い事に限らず、いろいろな面で恵まれていると思います。また、中途半端な習い事をするよりも、海や山や川で遊んでいた方が大人になったときの「力」になるだろうとも思います。
5歳のときに東京から北海道に移り住み、原生林と湿地帯に囲まれたところで育ったという漫画家のヤマザキマリさんは、著書『国境のない生き方』に《私の場合は、早いうちから母が「大自然と、旅、そして書物が、娘を育むための大事な要素だ」と気がつきました。》と書いています。
田舎育ちも田舎暮らしも悪くない。しかし、こと受験に関しては……。
受験生は、身の丈に合った勝負を。
学習塾がなかったり、大学を出ているような人が周りにあまりいなかったり、受験に関していえば、田舎の子どもたちは生まれたときからすでにハンディキャップを抱えているといえます。受験が全てではありませんが、例えば医者になりたかったら、難易度の高い試験にパスして、大学に行くしかありません。
文部科学大臣による「身の丈」発言は、「その能力において、ひとしく教育を権利を受ける権利を有する」ということを定めた憲法26条に反しています。「その能力」というのは「身の丈」の話ではありません。憲法は統治権力に対する国民からの命令です。私たちが法律を守るのと同じように、政治家には憲法を守る義務があります。にもかかわらず、「身の丈に合った勝負を」だなんて。正義はそこにあるのでしょうか。
社会がダメになれば人が輝く。
身の丈を気にせず、輝け、人!