田舎教師ときどき都会教師

読書のこと、教育のこと

五木寛之 著『僕はこうして作家になった』より。きょう一日食えればいい。

〈べつにいいじゃないか。どうせ引揚者なんだから――〉
 いつもお定まりの呪文をつぶやくと、急に元気が出てきた。難民として国境をこえ、海を渡ってこの国へたどりついた少年時代のことを思い出したとたん、どんなときにも居直りめいた勇気がわいてくるのである。
〈きょう一日食えればいい〉
 と、いう感覚も、たぶんこの辺から発しているのだろう。恥ずかしさなんてものは、13歳の夏に、海のむこうの半島にふり捨ててきた在日日本人の自分ではないか。
(五木寛之『僕はこうして作家になった』幻冬舎文庫、2005)

 

 こんばんは。現代の子どもたちが《きょう一日食えればいい》という感覚を身に付けるためには、言い換えると五木寛之さんのようなタフさを身に付けるためには、少年時代にどのような経験をすればいいのでしょうか。勅使川原真衣さん編著のタイトルにある「これくらいできないと困るのはきみだよ」なんて言われながら育った子どもたちは、そういった感覚とは真逆の感覚を身に付けさせられているような気がして、難民でもないのに、なんだか可哀想だな、と。

 

 僕はこうしてひ弱になった。

 

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 人口オーナスによってますます貧しくなっていくことが予想される日本社会です。加えて、トランプ関税に代表されるように、弱肉強食の度合いがますます強くなっていく国際社会です。僕はこうしてひ弱になった、ではまずい。

 

 僕はこうしてタフになった。

 

 92歳の今なお、執筆や講演を活発に続けられるくらいタフになった。実っても頭を垂れぬ麦穂のようにタフになった。そんなタフさを、さらにはタフさに基づく優しさを、作家・五木寛之さんはどのように身に付けてきたのか。その過程を《文章によるメイキング・フィルム》としてかたちにしたのが、『僕はこうして作家になった』です。

 

 

 五木寛之さんの『僕はこうして作家になった』を再読しました。早稲田大学露文科を授業料未納で抹籍処分となった後に、9年間、転がる石の如くさまざまな職業(業界紙の編集長だったり、作詞家だったり)を経験し、やがて結婚&ソビエト連邦・北欧への長旅を経て「僕は作家になった」という、著者初のメイキング・フィルム、すなわち自伝的回想録です。読むと、こう思います。例えば、これは解説(by 山川健一さん)に書かれていることですが、《上京したての頃はアパートも借りられずに、穴八幡という神社の床下に寝泊まりしていた》なんてエピソードを読むと、こう思います。

 

 やっぱり違いますねぇ、昔の人は。

 

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 猪瀬直樹さんの『日本凡人伝  二度目の仕事』を読んだときにも同じような感想をもちました。昔の人はレイモンド・チャンドラー言うところの「タフでなければ生きていけない」時代を生きていたんですよね。五木さんのような引揚者なんて典型です。

 

 タフにならざるを得なかった。

 

 だから「無理して学校へ行かなくてもいい、は本当か?」なんていうタイトルの本が(読んでないけど)話題になる「タフでなくても生きていける」令和の時代に、子どもたちが五木さんのようなタフさを身に付けるのは、

 

 ラクダが針の穴を通るよりも難しい。

 

 そう思います。だからせめて、レイモンド・チャンドラーが続けて言うところの「優しくなければ生きている資格がない」の「優しさ」を身に付けてほしい。以下も山川さんの解説より。

 

 最後になったが、この本を読み返した私のいちばんの感想は、五木さんはどこまでも正直であろうとすることの果てに、優しい眼差しを獲得したのだなということだ。

 

 優しいんです。

 

 タフさだけではないんです、五木さんは。この本とレイモンド・チャンドラーの本を合わせて読むとわかりますが、読まないとわかりませんが、まさにフィリップ・マーロウ(レイモンド・チャンドラーが生み出したハードボイルド小説の探偵)のようなんです。そしてその優しさは、おそらく五木さんの次のような体質に因るものだと勝手に想像します。

 

 いまにして思えば、私という人間の心の深いところに、どうやら定住と安定を苦手とする体質があるのではないかと思う。いつも流れていたい、常に動いていたい、風のまにまに漂って生きていきたいという、隠された根づよい願望がひそんでいるらしいのである。

 

 こういう体質の人は、傾向として、人に何かを強いません。自分が何かを強いられるのがイヤだからです。強いない優しさ。別言すると、教員にも求められる、

 

 待つ優しさ。

 

 それがひとつ。もうひとつは、強いはしないけれど、山川さんいうところの《どこまでも正直であろうとする果てに》獲得できる優しさです。例え相手が『地獄の黙示録』を撮った巨匠フランシス・フォード・コッポラ監督であっても、物怖じせず正直に《その思想や哲学がどうであれ、ヘリコプターや爆撃や、戦争を描く映画というものはどこかで戦争を肯定している側面があるものなんだ》と言える、世界平和につながる優しさ。例え相手が時たま寄る一杯飲み屋の店員さん(女性)であっても、物怖じせず正直に《これは中外ニュース劇場ナンバーワン・スター、アケミちゃんのあそこの毛です》と言える、こちらも世界平和につながる優しさ。2つ目の優しさは深すぎて意味がよくわからないかもしれませんが、いずれにせよ、そういった正直さを貫き通せるのは、タフゆえに《べつにいいじゃないか。どうせ引揚者なんだから――》&《きょう一日食えればいい》と思えるからでしょう。だから完全な意味での優しさを獲得するためには、言い換えると生きている資格を獲得するためには、タフさが必要不可欠であり、話は元に戻りますが、令和の子どもたちにとってそれは、つまり五木さんのようなタフさと優しさを獲得するのは、

 

 ラクダが針の穴を通るよりも難しい。

 

 

金曜日の夜(2025.5.16)

 

 夜も更けてきました。金曜日の夜も、土日も、あっという間に終わってしまいます。明日からまた学校です。しかも今週は土曜日まで授業があります。児童にとってはどうなのかわかりませんが、教員にとって「無理して学校へ行かなくてもいい」は本当ではありません。

 

 無理して行きます。

 

 おやすみなさい。