「いつもと違う道を歩く、普段とは違うものを買う、見知らぬ店に入る・・・・・・どんなささいなことでもいい。日々の生活に『初めて』を取り入れなさい。そして、人間は、未知なるものにこそ喜びを見出す存在であることを――未知の要素がないのなら最高の楽しさは決して得られないことを――実感するのだ」
(水野敬也『夢をかなえるゾウ0』分響社、2025)
こんばんは。先週末、長野県は上田市の中心地・海野町商店街の一角にある文化施設「犀の角」に足を運んで、本多菊雄さんによる独り芝居『三島由紀夫 招魂の賦』を観てきました。作家の猪瀬直樹さんが推していたことから、機会があったら、否、機会をつくって「観に行きたい!」と思っていた舞台です。人生初となる、独り芝居の観劇。
夢がかなったゾウ。
どんなささいなことであれ「初めて」っていいものです。《生活に「初めて」を取り入れる》とは、これまでのシリーズ(1~4)と同様、『夢をかなえるゾウ0』にも出てくる「ガネーシャの課題」のひとつですが、20代、30代の若い人たちにも、
観てほしい。
作家の猪瀬直樹さんが「ぜひ観劇をおすすめしたい」と書いていた、出演・本多菊雄、演出・川口典成『独り芝居 三島由紀夫 招魂の賦』を観てきた。切腹の直前、バルコニーでの演説シーンが圧巻だった。客層の年齢が高かったので、若い人にも観てほしい、知ってほしい。上田まで行った甲斐があった。 pic.twitter.com/lrnDHDf0pQ
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 14, 2025
知ってほしい。
そう思えた「独り芝居」でした。おそらくは三島由紀夫も「知ってほしい」と思ったのでしょう。自衛隊員に、です。静粛に、静粛に、
聞きたまえ。
本多さんがそう力説するラストが圧巻でした。1970年11月25日。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地にあった1号館のバルコニーから、三島由紀夫が自衛隊員に檄を放つ場面です。静粛に、静粛に、
聞きたまえ。
演説の最中、繰り返し繰り返しその言葉が出てきました。三島由紀夫が魂を込めて放った言葉が、自衛隊員には届いていないんです。頭の悪い人に、頭の良い三島由紀夫の言葉は届かない。だからこそ、頭の悪い人にも届く言葉を、届く小説を、
軽んじてはいけない。
水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ0』読了。以前、シリーズの2をブログで紹介した際、読者から《頭の悪い人が読む本に見えていましたが、夢じたいに対しても批判を向ける、そんな理性的な姿勢も持つ本だったとは知りませんでした》とコメントを頂きました。頭の良し悪し関係なくお勧めです。#読了 pic.twitter.com/NKPAotId3m
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 15, 2025
累計560万部。日本で一番読まれているという水野敬也さんの自己啓発小説『夢をかなえるゾウ』を、《頭の悪い人が読む本》だと軽んじてはいけません。なぜ軽んじてはいけないのか。それは読めばわかります。ガネーシャもこう言っています。
「この世界を知る方法は、ただ一つ。『実物を見る』ことだ。実物にできる限り近づき、見て、触れて、感じることだ。そのとき君は気づくだろう。この世界がいかに美しく、感動に満ちあふれたものかということを。そしてこう思うだろう。『もっと、この世界を知りたい』と」
もっと、夢をかなえるゾウのことを知りたい。シリーズのどれか1つを実際に読んでみれば、すなわち「実物を読む」ことをすれば、そう思うでしょう。だから、読みたまえ。本多さんの独り芝居も同様です。もっと、三島由紀夫のことを知りたい。実際に『独り芝居 三島由紀夫 招魂の賦』を観れば、すなわち「実物を観る」ことをすれば、そう思うでしょう。だから、
観に行きたまえ。
水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ0』を読みました。シリーズの完結編にあたる一冊で、これまでと同様に、ガネーシャの課題であったり、道徳の授業や日々の指導にも使えそうな偉人のエピソードが出てきます。念のために書いておくと、ガネーシャというのはゾウの頭を持つ神のことであり、インドでは最も最高位の神として知られています。そのガネーシャこと夢をかなえるゾウが、夢をなくした会社員(シリーズ1)だったり、夢を取り戻したい売れないお笑い芸人(シリーズ2)だったり、夢をあきらめきれない女性社員(シリーズ3)だったり、余命宣告を受けた家族を愛する平凡な会社員(シリーズ4)だったり、パワハラ上司の横暴に悩まされながらも会社を辞められない会社員(シリーズ0)だったりの人生に降臨し、彼ら彼女らをしあわせにすべく、そして多くの偉人が世界平和に貢献したように、彼ら彼女らにもそのような力をもってもらうべく「ガネーシャの課題」を課していくというのが、シリーズ「夢をかなえるゾウ」のプロットです。いわば、
担任と児童。
ガネーシャと主人公の関係は、学校でいうところの担任と児童のそれと同じです。担任が授業の中で課題を出し、児童がそれを解決していく。その積み重ねによって児童が育っていく。うん、同じだ。で、この本の使い方ですが、例えば受験に失敗した児童に、次のように言うのはどうでしょうか。
不合格だったのは、伏線だ!
「これまで、君の人生には、君から自信を奪い、自分への不信感を募らせる出来事が起きたろう。苦しみ、嘆き、みじめな気持ちになる出来事が起きたろう。それらのすべてに向かって言いなさい。『君たちは、伏線だ』と。これらは自分が夢を見つけるという――自分が幸せになるという――人生のドラマを最高に盛り上げるための必要不可欠な伏線なのだと!」
この台詞は、ガネーシャの課題「過去の出来事を『伏線』ととらえ、希望を持ち続ける」を説明する文脈で登場します。えっ、しっくりこない(?)。では、偉人のエピソードを伝えるのはどうでしょうか。ガネーシャは主人公に対して、教え子のひとりであるエイブラハム・リンカーンのことを話します。
「そうや。彼がアメリカの大統領になったんは52歳のときやけど、それまでは、
22歳で事業に失敗、
23歳で州議会議員に落選、
24歳で再び事業に失敗、
29歳で議会議長職に落選、
31歳で大統領選挙人に落選、
34歳で下院議員に落選、
45歳で上院議員に落選、
47歳で副大統領に落選、
49歳で上院議員に落選、
これがリンカーンくんの経歴やったんや」
ガネーシャばりに偉人のエピソードを繰り出すことができれば、課題を出すことができれば、教員としての指導力がアップするような気がするのですが、どうでしょうか。可能であれば、シリーズに出てきた全てのエピソードと課題を記憶しておきたいところです。
助けを必要とする主人公がいて、いわばのび太がいて、助ける力をもった主役がいて、いわばドラえもんがいて、ガネーシャの課題と偉人のエピソードで物語を進めていくという毎度お馴染みの単純な展開で「1~4+0」の5作品を560万部も売っているわけですから、恐るべし、水野敬也。自衛隊員も読んでいるかもしれません。憲法ではなく、
日本を守るゾウ。
あっという間に日曜日の夜です。華金を楽しんでいた一昨日の夜に戻りたい。詳しくは書きませんが&書けませんが、明日から7月1日(火)までが1学期の「山」です。夢をかなえるゾウどころではありません。
現実を何とかするゾウ。
おやすみなさい。