また、女学生を珈琲店に伴って煙草を奨めた時「戸外では育ちのいい家の娘は煙草を喫いませんのよ」と断わられて、何言ってやがると癪に障ったことがあった。ぼくが、癪に障るのは、その判断の是非のためではない。青春時代に、自分の人生の目的が育ちのいい人間になることでしかない、不熱情な精神がイヤだったのである。その理由は一つ、彼らの家庭が大体、中産階級の保守系であること、このブルジョワの家庭ではぼくも生活したが、一面、キリスト教的な、美しく、立派な伝統がある代わりに他方、狭隘な人生観、道徳観が根を張り、くたびれ、疲れた匂いを発散して、息がつまりそうであった。
(遠藤周作『フランスの大学生』小学館、2017)
こんばんは。やはり土曜日が休みというのはいいものです。先週は振休なしの土曜公開授業があったので、身体が休まらず、今週は途中から微熱が続いて大変でした。おかげで思うように本も読めず。平熱のまま、
この世界に熱狂したかったのに。
宮崎智之さんと山本莉会さんのサインが嬉しい。明日の土曜公開授業が終わったら読もう。 pic.twitter.com/prrmpygiwB
— CountryTeacher (@HereticsStar) June 27, 2025
🐕📢開始しました📢🐈⬛
— 山本莉会 yamamoto rie (@yamamoto_rie) June 27, 2025
赤坂・双子のライオン堂さんでのお渡し会スタートしました〜❣️すでに本たちが旅立っております🕊️ありがとうございます!! pic.twitter.com/EjISxMppCJ
まだ平熱だった土曜公開授業の前日に、名著『平熱のまま、この世界に熱狂したい』で知られる宮崎智之さんの謦咳に接する機会がありました。
熱狂です。
以前から気になっていた、東京は赤坂にある双子のライオン堂に行けたことも、宇宙最速で宮崎さんの新刊『文豪と犬と猫』を受け取れたことも、その新刊を宮崎さんと一緒に書いている山本莉会さんにお会いできたことも、
熱狂です。
ちなみにその『文豪と犬と猫』に《私は自他ともに認める陽ですが》と書いている山本さんが、どこの馬の骨ともわからぬ私に、キラキラとした「陽」な笑顔で話しかけてくれたのに、緊張してしまってうまく受け答えすることができなかったことについては、
猛省です。
真面目に生きるって、きっと、そういうことだと思うんです。
谷崎潤一郎(1886ー1965)のことを、山本さんは『文豪と犬と猫』の中でそのように評しています。そのくだりがとてもいいんです。ニャンともワンダフルなんです。ぜひ、多くの人に『文豪と犬と猫』を手にとってほしい。合わせて、宮崎さんお勧めの『フランスの大学生』も手にとってほしい。
真面目にそう思います。
遠藤周作(1923ー1996)の『フランスの大学生』を読みました。エッセイストの宮崎智之さんがSNSで紹介したところ、沈黙の反対、すなわち注文が殺到し、一時的に在庫切れになってしまったという、二人の凄さを物語るエッセイです。名作すぎて、宮崎さんにトラウマを与えたという、
遠藤周作のデビュー作。
遠藤周作『フランスの大学生』は、本当に名作です。僕はトラウマになりました。 https://t.co/zL6CNxteMz
— 宮崎智之 Tomoyuki Miyazaki (@miyazakid) July 2, 2025
なぜトラウマになったのか。
遠藤周作が神様からもらったギフト(才能)に対してなのかなぁと思いました。1950年、27歳でフランスに渡った日本のいち留学生が、平熱のまま、戦争の爪痕の残るフランス社会に熱狂し、これだけのエッセイを書いているわけですから、エッセイを生業にしている宮崎さんが沈黙を強いられるくらいの衝撃を受けたとしてもおかしくはありません。その衝撃の大きさゆえに、エッセイというジャンルのもつ可能性の奥行きと広がりゆえに、トラウマになったのではないか、と。まぁ、想像です。いずれにせよ、さすがは遠藤周作だなと思えるエッセイであることは間違いありません。あの『沈黙』を書いた、あの『海と毒薬』を書いた、あの『深い河』を書いた、
遠藤周作だな、と。
ぼくはフランスに来て初めてブルジョワ社会の息苦しさ、腐敗を知りましたが(日本では真の意味でブルジョワ社会なるものは存在していないのです)、君たちのように、すぐそれを切捨てることが出来ぬのはこの終末期の階級が今日最後の吐息のように漏らす疲労、湿気、臭気、微妙な影のたゆたいを最後までジッと凝視したいという欲望からなのです。素直に言えば文学にとって今日まで、ブルジョワ社会ほど最良の温床はなかったことをぼくはハッキリとみとめます。人間条件のさまざまな角度を今日の衰退期のブルジョワ社会ほど発散した階級はないという確信がぼくにはあります。君は「まだ作家の裡に文学生活と社会生活とを分離するのか」とぼくを非難しました。しかし文学生活を狭義にとればぼくには、人間を凝視するというにつきます。
ボルドオからランゴンに向かう汽車の中で書いたという、タイトル「一人のフランス大学生への手紙」より。繰り返しますが、あの『沈黙』を書いた、あの『海と毒薬』を書いた、あの『深い河』を書いた、遠藤周作だなと思います。暗い部分を含め、モヤモヤも含め、平熱のまま人間を凝視し続けた小説家の原点となるエッセイだな、と。3年半に及んだという、フランスでの留学生活がなかったら、『沈黙』も『海と毒薬』も『深い河』もその他もろもろの小説も生まれなかったのではないか。そう思えるエピソードがいくつも詰まったエッセイです。遠藤周作の本を読んだことのある人も、そうでない人も、
ぜひ。
今日、半分ほど読み終えた『文豪と犬と猫』の後半に、宮崎さんが書いている「遠藤周作+犬」が収録されています。先に読んでしまおうとも思いましたが、とっておきました。明日、読みます。
楽しみすぎるな。
おやすみなさい。