田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

猪瀬直樹 著『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された466人』より。ファクトとロジックは人を救う。

田原 もうすぐ津波が来る、その大騒ぎのなかで、よくぞ協力し合えるものですね。
猪瀬 ふだんから訓練していたからでしょう。取材を進めてみてよく分かりましたが、近所の住民たちの結束力がとにかく強い地域です。製氷工場や魚の加工工場などが多い一帯で、その多くが共働きで働いていますから、保育園も満杯だったし、保護者同士の連携も強かった。地縁が作り上げた救出劇だったのです。
(猪瀬直樹『救出 3.11気仙沼公民館に取り残された466人』河出書房新社、2015)

 

 こんばんは。くたくたになって帰宅したら、幡野広志さんの新刊『他人の悩みはひとごと、自分の悩みはおおごと。』が届いていて生き返りました。明日の金曜日を乗り越えてからじっくり読もうと思います。それにしても、これまでの著作と同様におもしろいタイトルだなぁ。最初に目にしたときは、加害に鈍感で被害に敏感な子や親が増えている教育現場を揶揄したものかと思いましたが、そうではなく、ひとごとだからこそ冷静になって相談に乗れるというメッセージなのでしょう。「人生相談」集に相応しいタイトルです。

 

 

 生き返るといえば、幡野さんの「気仙沼漁師カレンダー  2021」にもエネルギーをもらっています。曰く《気仙沼は不思議な街だ。よその人間を排除するのではなく、受け入れるという空気ができている》云々。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 幡野さんが気仙沼に抱いたイメージと同様のことを、作家の猪瀬直樹さんが『救出』に書いています。

 

気仙沼という街や人びとに対して閉鎖的なイメージを描くのは間違いだ。事情はまったく逆なのである。気仙沼の人びとは、ずいぶん早くから、海を通して外の世界と繋がっていたのである。

 

 新米教師だった頃、外の世界と繋がっている開放的な気仙沼の人々に、いったい何度救われたことか。

 

 

 猪瀬直樹さんの『救出』を再読しました。副題は「3.11気仙沼公民館に取り残された446人」です。ちなみに幡野さんの新刊の副題は「#なんで僕に聞くんだろう。」という、これまたおもしろいタイトルで、頭の「#」は Twitter のハッシュタグを表わしたもの。気仙沼といい Twitter といい、偶然とはいえ、猪瀬さんと幡野さんの作品に共通点があって、おもしろいなぁと思います。東日本大震災のときに気仙沼で起こった「奇跡」を描いた『救出』は、Twitter を紐帯として偶然と必然が結び付いた結果として生まれた作品といえるからです。

 

 どういうことか。

 

 猪瀬さんの新刊『公』を引きます。第三部「作家的感性と官僚的無感性/東日本大震災発生。奇跡のリレー『偶然の必然』」より。さすが猪瀬さん、偶然の必然とは言い得て妙です。

 

 60歳の内海直子園長は、「火の海ダメかもがんばる」とガラ携でショートメールを打った。それがロンドンの30歳の息子に届いた。SNSには距離というものがない。
 ロンドンの息子は文案を推敲して140字にまとめツイッターを打った。そのツイッターを見知らぬ零細企業の48歳の社長が気づき「行政のどこかへ届けば……」と@inosenaokiへ送った。たまたま僕が見つけた。針の穴を通すような奇跡の情報リレーだった。

 

www.countryteacher.tokyo

  

 文案を推敲して、というところが「ファクトとロジック」を大切にする猪瀬さんならではの「目のつけどころ」です。偶然の必然の根拠でもあります。ろくでもない文章だったら、信用されませんから。ファクトとロジックがしっかりとしたツイートだったから見知らぬ誰かの目に留まった。針の穴を通すような奇跡の情報リレーによって、内海直子園長さんのSOSは東京都の副知事だった猪瀬直樹さんのところに届き、東京消防庁のヘリコプターが救出に駆けつけることになった。内海さんの息子さんがロンドンから打ったというツイートは、以下。

 

「障害児施設の園長である私の母が、その子供たち十数人と一緒に、避難先の宮城県気仙沼市中央公民館の三階にまだ取り残されています。下階や外は津波で浸水し、地上からは近寄れない模様。もし空からの救助が可能であれば、子供達だけでも助けてあげられませんでしょうか」

 

 もしもその息子さんが「加害に鈍感で被害に敏感」な人だったら、あるいは「他人の悩みはどうでもいい」というタイプの人だったら、おそらくは文案を推敲して《子供達だけでも》なんてツイートをすることはなかったことでしょう。教育って、大事。内海直子園長さん、立派な母親だったのだろうなぁ。きっと、父親も。

 

 直仁は小学生だった。気仙沼から眺める海は、世界へつながっている。そういう意識は父親の職業を通しても染み込んだ。外国航路の船員だったころも帰郷する度、旅をしてみなさい、と直仁は提案された。見知らぬ土地で、知らない人が思った以上に親切にしてくれることがある、さまざまな偶然の出会いがある、と父親は自分の体験を踏まえて言った。四年生のときに時刻表を与えられた。気仙沼から鉄道に乗って仙台までひとり旅をした。六年生になると乗り換えを幾つもして新潟まで行った。

 

 やっぱり。最高の父親です。我が子が「♀」ではなく「♂」だったら、小学生のときにひとり旅をさせたかったなぁ、というのは言い訳でしょうか。後の祭り。あぁ。

 12歳で新潟まで行った直仁くんは、その6年後、18歳のときにロンドンまで足を運びます。おもしろいなぁ。この直仁くんだけでなく、直仁くんの打ったツイートを@inosenaokiへ送ったという《見知らぬ零細企業の48歳の社長》についても、猪瀬さんは取材を通してどんな人物なのかを綴っています。もちろん、海を通して外の世界と繋がっている「気仙沼の人々」のことも。

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

 ファクトとロジックで「人」を描かせたら、猪瀬さんの右に出る者はいないでしょう。嘘だ(!)と思ったら、以下の作家評伝三部作(三島由起夫、川端康成、太宰治、他)をぜひ。ぶったまげます。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 最後に、気仙沼で中学校教師をしていたという作家の熊谷達也さんの言葉。曰く《そういえば、気仙沼での教員時代、家庭訪問の帰りに丸々と太ったカツオを一本とか、マグロのブロックをひと塊とか、気前よくお土産に持たされた(長閑な時代だった)ものだ》云々。これも『救出』に紹介さています。わたしが気仙沼にいた時代も、もしかしたら「ぎりぎり」長閑な時代の一部に含まれていたのかもしれません。そうでなかったら、家庭訪問が豊かな思い出として記憶されることはなかっただろうし、以下のブログに書いたような子どもたちの姿もなかったような気がするからです。これもまた、偶然の必然だなぁ。

 

 

  社会学者の宮台真司さんがリツイートしてくださいました。著者の反応に撃たれて、生き返る。それもまた、救出のひとつのかたち。

 

 おやすみなさい。 

 

 

公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う

公〈おおやけ〉 日本国・意思決定のマネジメントを問う

  • 作者:猪瀬直樹
  • 発売日: 2020/07/10
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)