田舎教師ときどき都会教師

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朝井リョウ 著『風と共にゆとりぬ』より。為になりつつ、心配にもなりつつ、ただただ楽しい。

 勤めていた会社を辞めてから、早くも二年が経過した。今のところ心身(肛門以外)共に健康に過ごせているが、兼業生活に戻りたいな、と思うことがしばしばある。それはお金のためでも、社会とつながるためでもなく、単純に、会社勤めをしていたころのほうが「よし、小説書くぞぉ~~~!!!」という気持ちになることができたからだ。家に帰ったら、週末になったら、思いっきり小説を書くぞぉ~~~!!! と、自然にエンジンがかかったのである。「仕事として、生活のために小説を書く」ではなく、「娯楽として、一息つくために小説を書く」状態だったあのころは、時間の余裕こそなかったが、書いているときの幸福感はとてつもないものがあった。
(朝井リョウ『風と共にゆとりぬ』文春文庫、2020)

 

 おはようございます。昨日は土曜授業でした。給食なしの午前授業だったので、午後は教室にこもって通知表の所見を書く予定でしたが、とてつもなく疲れていて、「よし、所見書くぞぉ~~~!!!」という気持ちにはなれず、子どもたちが帰ったら、週末になったら、思いっきり所見を書くぞぉ~~~!!! と、自然にエンジンがかかるなんてことも起こらず。風と共にとっとと校門を出ました。

 

 とぅるん。

 

 

 座役と座薬とか、必至と必死とか、校門と肛門とか。小学5年生の国語で学習する同音異義語って、おもしろいですよね。ちなみに「校門を出ました」からの「とぅるん」という流れは、我ながら「うまいなぁ」と思います。詳しくは朝井リョウさんの『風と共にゆとりぬ』の第三部「肛門記」をご覧ください。

 

 よし、ブログ書くぞぉ~~~!!!

 

 

 朝井リョウさんの『風と共にゆとりぬ』を読みました。前作『時をかけるゆとり』の続編にあたるエッセイです。今回もまた、為になりつつ、心配にもなりつつ、

 

 ただただ楽しい。

 

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 目次は以下。

 

 第一部 日常
 第二部 プロムナード
 第三部 肛門記

 

 冒頭の引用は第一部「日常」の「会社員ダイアリー」からとりました。朝井さんは《会社員生活は、ものすごく楽しかった。もちろん大変なことも多かったが、とにかくいい会社で、「眠い」「明日は豪雪らしい」以外の理由で会社に行きたくないと思ったことは一度もなかった》と書きます。想像するに、ホワイトだったのでしょう。昼食のときには一人で空いている店を探して原稿を書いていたそうですから。実際に取れた休憩時間の平均が3.7分(岐阜県組合連調査/2023年6月12~18日/N=1,168)という小学校教諭からすると、限りなく透明に近いホワイトです。羨ましい限り。とはいえ、そこはさすがの朝井さんです。道徳科でいうところの「様々な事象を、道徳的諸価値の理解を基に自己との関わりで広い視野から多面的・多角的に捉え、人間としての生き方について考えること」を忘れていません。

 

私だったら、何だあいつ、と、当時の私に対して悪口のひとつでも言いたくなっていたと思う。昼休みにも小説家ぶってよ~、直木賞だかなんだか知らねえけど目障りだよなーああいうことされると、とか、私だったら、言っていたと思う。

 

 おもしろい。ちなみに《そんな人はいなかった。本当に素敵な会社だった》そうです。昨日、この期に及んで鹿児島県教委が臨時教員を急遽2000人(!!!)も募集しているというニュースが流れていましたが、権限のある人たちが教職員のことを考え、言い方を換えると子どもたちのことを考え、地域のことを考え、国のことを考え、本当に素敵な学校をつくろうと思っていたとしたら、そんなこと(教員不足)にはならなかっただろうに、とつくづく思います。教える側のプライベートの充実こそが、

 

 子どもたちに良質の教育を与える。

 

 そういった哲学のもと、教員に「二足の草鞋」を勧め、同時に労働環境をホワイトなものにしているという「教育立国のフィンランド」を見習ってほしい。おそらくこの土日に通知表の所見を書いている担任が全国各地に五万といるはずです。昨日(土曜日)、朝7時に学校に着いたら、ママ先生がすでに学校に来ていて所見を書いていました。土日も続く、ただ働きのデスクワーク。もしかしたら教員の肛門も、朝井さんと同じくらいやばいことになっているかもしれません。

 

 おい!  痛いぞ!

 

 みなさんご存知のように、朝井さんの肛門には相棒がいて、前作『時をかけるゆとり』でも《私の肛門には、少しの刺激でも「おい!  痛いぞ!」と騒ぐ元気な相棒がいる》と話題になっていました。その相棒がのっぴきならない状態になっていたんですよね。医学的にいうと、粉瘤からの痔瘻です。ふんりゅう、そしてじろうと読みます。詳しくは説明しませんが、画像検索はやめましょう。朝井さんが「肛門記」にそう記しているように、《こんなキモい画像検索させんな!》と憤慨することになります。朝井さんは、

 

 手術を受けることに。

 

 午後五時半。ここでやっと、尿道カテーテルを取る。アイスハニーカフェオレでもないのにドトールのストローを突っ込まれていた私の陰茎よ、お疲れ。
「抜くときは一瞬ですから」
 看護師はそう言うが、一瞬とはいえやはり痛かった。ぎゃあっ、という悲鳴を体内に押し込めつつ、私は元の姿に戻った陰茎に喜びを感じた。うん、お前、やっぱそっちのほうがいいよ。オシャレだと思ってるっぽかったから言えなかったけどさ、頭から管とか、ちょっと前衛的すぎたもん。
「ほうら、こんなのが入ってたんですよお」
 アダルトビデオみたいな台詞とともに、実際に入っていた管を見せつけられる。

 

 術後の一コマより。朝井さんの物書きとしての才能がギュッと凝縮されています。中村文則さんの「そーれ・・・・・・真珠湾攻撃だ」に勝とも劣らない技巧で、びっくりしました。肛門の手術なのになぜ尿道カテーテルを入れる必要があるのかという疑問については、ぜひ手にとってお読みください。

 

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 肛門の話でこの本の紹介を終わりにするのはちょっと不本意なので、最後に第二部「プロムナード」の「未来の書き手」より。

 

 読み手を増やさなければならない。出版業界にいると、そんな言葉はあまりにもよく聞く。そのためにどうにかおもしろい話を書いたり、一冊あたりの単価を下げようと努力をする。もちろん私もそのひとりだ。ただ、私は、書き手を増やすことが、読み手を増やすことと同じく、いやむしろそれ以上に大切なことなのではと考えている。なぜなら、未来の書き手が、新しい世代の読み手を連れてきてくれるはずだからだ。

 

 書き手を増やすためにも、小学校の教員にゆとりを。子どもたちの書いたものに、良質のフィードバックをすることのできるゆとりを。土日を使って所見を書かざるを得ない労働環境を改め、土日くらいゆっくりと本を読めるようなゆとりを。

 日曜日ですが、これから学校です。12連勤確定です。

 

 よし、所見書くぞぉ~~~!!!

 

 行ってきます。