足を開いた女優に、男優が真珠のネックレスを手に近づいていく。その設定の意味がもうわからないが、やがて男優は女性の首にそれをかけるのではなく、女性の大切な部分にその真珠のネックレスを入れていくのである。何でそんなものを入れるのか当時はわからなかったし、今も全然わからないけど、そこで男優はこう呟くのである。
「そーれ・・・・・・真珠湾攻撃だ」
びっくりした。思いついても、普通言わない。
(中村文則『自由思考』河出書房新社、2019)
おはようございます。のっけから、中村文則、恐るべし。笑いをこらえきれず、昨日、電車の中で醜態をさらしてしまいました。真珠湾攻撃の上を行く不意打ち。びっくりした。思いついても、普通書かない。挙句《上手く言えないが、平和って素晴らしいと思った》って、デビュー作の『銃』を読んだときから思ってたけど、中村文則さん、天才です、あなた。あ~、びっくりした。
中村文則さんの最新作『自由思考』を読みました。冒頭の引用は「アダルトビデオの名言」という目次に惹かれて(?)最初に読んだものです。真珠湾攻撃以外にも、そーれタケ……やめておきます。
『自由思考』は中村さん初のエッセイ集で、どこから読んでもおもしろく、電車で通勤している先生には特にお勧めです。笑いが免疫力をアップさせ、過労死が少し遠のきます。中村さんの小説は、デビュー作の『銃』をはじめとして、芥川賞をとった『土の中の子供』や、大江健三郎賞をとった『掏摸』など、どれもちょっとクセが強くて暗くなるので通勤にはお勧めできませんが、エッセイ集なら、ベリーグッド。
同じアダルト路線の「同僚の名言」を思い出しました。
5年生を中心に「全校児童&教職員&保護者&地域住民」総出で米づくりを行う田舎の小学校で働いていたときのこと。
あれは田植えの日です。でっかい太陽と、でっかい空の下、平和って素晴らしいなぁと思いながら記録用の写真を撮っていたところ、汗をふきふき一生懸命に苗を植える子どもたちに対して、古参教諭(女性)と新米教諭(女性)による、こんな声かけが聞こえてきました。
古参「おっ、いいねMくん、ちゃんと勃ってる」
新米「Sくん、もっと深く、奥まで」
カメラを落としそうになりました。なんだこの卑猥な田植えは。何でそんな声かけをしているのか一瞬わからなかったし、今も全然わからないけど、とにもかくにも二人の声かけに続けて校長がこう呟いたのである。
「米づくりは人づくり」
びっくりした。思いついても、普通言わない。
日本語は難しい。
他の言語に比べ、ニュアンスの幅が広いように思う。
アメリカに行った時、日本語を勉強している若いアメリカ人の女性と珈琲を飲んでいた。きちんとしたビジネススーツに、生真面目な表情。彼女はきっと「ここは私が奢りますよ」と気軽に言いたかったのだと思うが、僕の目をじっと見ながらこう言った。
「ここは私が……、身銭を切ります」
~中略~
おかしい。一体どこで日本語を学んでいるんだろう。彼女は続けて、お会計を済ませますから先に出てください、と言いたかったのだと思うが、
「あなたは、私をこの場に置き去りにしてください。あなたに置き去りにされている間、私は身銭を切ります」
と言う。何だか、とても悪いことをさせている気分になる。
『自由思考』から、「日本語は難しい」より。何だか、とても悪いことをさせている気分になるというところが、よい。
自分が思い描いたあのシーンに連続していくには、この言葉が相応しいのか。それとも別の言葉か。間違えた言葉が残されれば小説は破壊されてしまう。棋士が目の前の戦局の中である閃きを得るように、作家も自信の目の前の文章の繋がりから閃きを得ることがある。
これは棋士の森内俊之さんと羽生善治さんの名人戦を観戦したときのことを綴った「『一手』に恐ろしさと魅惑」より。冒頭のアダルトな引用と「身銭を切ります」だけだとバランスを欠いてしまって『自由思考』のイメージが破壊されてしまって何だかとても悪いことをしている気分になるのでリカバリーです。文章の繋がりから閃きを得ることがあるだなんて、格好いいなぁ。
閃き。
娘二人がまだ小さかった頃に、クラスの子の母親から「お子さんの言葉、書き留めておくといいですよ。子どもは小さな詩人ですから」と子育てのアドバイスをいただいたことがあります。
長女「今度は先に笑った方が勝ちだからね!」
次女「うん!」
長女「にらめっこしましょ、笑ったら勝ちよ、あっぷっぷ!」
アハハハハハハ。
ウフフフフフフ。
そういった我が子とのかけがえのない時間を「変形労働時間制」という不意打ちによって奪わないでほしいなぁと、いよいよ今週から始まる法案の審議に向けて、心からそう思います。審議は、
「もっと奥まで、深く」をお願いしたい。
切に。