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笠井亮平 著「『RRR』で知るインド近現代史」より。非・非暴力の価値。

 ガンディーの「不在」は多くの評論家やメディアが気になったようで、S・S・ラージャマウリ監督にこの点を問い質している。たとえば米誌『ニューヨーカー』は彼へのインタビューで、「スバース・チャンドラ・ボースやバガト・シンのような歴史的人物を目立たせる一方で、ガンディーやアンベードカルといった非暴力の革命指導者を意図的に外したのではないか」という問いを投げかけている。これに対してラージャマウリ監督は「その質問に答えるのはうんざりしていますよ」と前置きした上でこう語っている。
(笠井亮平 著「『RRR』で知るインド近現代史」文春新書、2024)

 

 こんばんは。この「問い」は、上映当時、私の近辺でも話題になっていました。なぜ、映画『RRR』のエンディングで紹介された《フリーダム・ファイター(自由の闘士)》の中に、インドの国父であるマハートマ・ガンディー(1869ー1948)が含まれていなかったのか。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 映画のラスト、興奮冷めやらぬなか、そして「エッタラジェンダ」が流れるなか、ガンディーを押しのけて(?)スクリーンに映し出されたのは以下の8人です。

 

  1. スバース・チャンドラ・ボース(1897ー1945)
  2. ヴァッラブバーイー・パテール(1875ー1950)
  3. キットゥール王妃チェンナンマ(1778ー1829)
  4. V・O・チダンバラム・ピッライ(1872ー1936)
  5. バガト・シン(1907ー1931)
  6. タングトゥーリ・プラカーシャム(1872ー1957)
  7. ケーララ・ヴァルマ・パラッシ・ラージャー(1753ー1805)
  8. チャトラパティ・シヴァージー(1627ー1680)

 

 スバース・チャンドラ・ボース以外は聞いたこともありません。ボースについてもクラスの子どもたちに語って聞かせられるような知識はもち合わせていません。インドの専門家である笠井亮平さんが見ても《かなりの「上級編」に分類される指導者が含まれている》そうなので、私のように浅学で、「その昔、2ヶ月かけてインドを一周したことがあります!」程度の素人にはちんぷんかんぷんです。

 

 だから、読む。

 

 

 笠井亮平さんの「『RRR』で知るインド近現代史」を読みました。映画『RRR』(S.S.ラージャマウリ監督作品)を観て、インド近現代史に興味をもった人にはお勧めの一冊です。この春から6年生の担任になるかもしれない、という小学校の教員にもお勧めの一冊です。インド近現代史は、日本の近現代史とパーシャルに重なっているからです。読めば、社会の歴史の授業のときの「語り」が変わることは間違いありません。

 

 特に、スバース・チャンドラ・ボース。

 

 翌1944年、ボースにとって千載一遇のチャンスが到来する。日本軍がビルマから国境を越えてインド北東部に入り、軍事的要衝のインパールを占領しようとする「インパール作戦(ウ号作戦)」の実施を年初に決めたのだ。ボースはこれをインドを武力解放するための機会と捉え、インド国民軍も同盟軍として参加させたいという希望を日本側に伝えた。その結果、一個師団が日本軍とともに参戦するほか、日本軍の各部隊に情報や宣撫を担当する将兵を配置することが決まった。

 

 敵の敵は味方ってやつです。日本の敵はイギリス。インドの敵もイギリス。だから一緒に闘おう。で、一緒に闘った結果、酷い目に遭ったのは歴史が教えてくれる通りです。笠井さんは『ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース 忘れられた英雄』というインド映画をもとに、ボースの数奇な生涯を描きます。

 ちなみに歴史学者・政治学者の中島岳志さんが書いた『中村屋のボース』に出てくるボースはスバース・チャンドラ・ボースではありません。ラーシュ・ビハーリー・ボース(1886ー1945)です。『中村屋のボース』の副題が「インド独立運動と近代日本のアジア主義」となっているように、こちらのボースも日本と大きく関わっています。

 

 そこでボースが目指したのが日本だった。1915年にインドを脱出し、船で日本へと向かう。しかし当時の日本はイギリスと同盟を結んでいた。ボース来日の情報をつかんだイギリス大使館の要請を受けて日本は国外退去命令を発し、警察当局が動き出した。そこでボースに助けの手を差し伸べたのが、政治結社「玄洋社」の首領・頭山満だった。彼の斡旋で、ボースは新宿でパンや和菓子・洋菓子を製造販売する「中村屋」を営んでいた相馬愛蔵・黒光夫妻が匿うことになり、中村屋の洋館でほとぼりが冷めるまで過ごした。

 

 ほとぼりが冷めた後、中村屋のボースは「インド独立連盟」の総裁に就任し、祖国解放に尽力するようになります。が、途中、体調を崩し、もうひとりのボースことスバース・チャンドラ・ボースに後事を託すことに。

 

 ボースからボースへ。

 

 二人とも日本と大きく関わっている以上、別言するとインド独立運動と近代日本のアジア主義に重なりがある以上、日本人の私たちも知っておく必要があります。中村屋のボースは日本人と結婚したという話、イギリス経由で入ってきた日本のカレーに不満を抱いたボースがインドのカレーをつくったら看板メニューになったという話、そのカレーは「恋と革命の味」と呼ばれたという話、社会の授業にそんな「語り」を入れれば6年生の子どもたちも興味をもつでしょう。

 第二次世界大戦中、インドは日本の仲間だったんだ(!)。インドは、カンディーやマザー・テレサだけじゃないんだ(!)。先生が説明してくれたように、ヴァッラブバーイー・パテールとかキットゥール王妃チェンナンマとかV・O・チダンバラム・ピッライとかバガト・シンとかタングトゥーリ・プラカーシャムとかケーララ・ヴァルマ・パラッシ・ラージャーとかチャトラパティ・シヴァージーとか、すごい人がたくさんいたんだ(!)。彼ら彼女らにまつわるインド映画がたくさんあるんだ(!)。

 

「祖国の自由獲得のために命を投げ出したフリーダム・ファイターはたくさんいるのです。(中略)あのミュージカル曲〔引用者注:エッタラジェンダのこと〕では8人に光を当てることしかできませんでした。わたしが敬意を払っている人物を全部紹介するとしたら、80人分の尺が必要でしょうね。そうしたなかで、自分が選んだ革命指導者全員に敬意を払っていますし、ガンディージーは〔引用者注:「ジー」は「~さん」を意味する敬称〕の肖像をそこに入れなかったからといって、彼を軽視しているというわけではありません。ガンディージーには絶大な敬意を抱いていますし、それについては一点の曇りもありません。」

 

 ラージャマウリ監督はそう語ったそうです。軽視はしていないし、絶大な敬意を抱いているのも本当でしょう。とはいえガンディージーは、映画『RRR』のラストを飾るには相応しくなかった。ところ変わって、時代も変わって、現在のガザでの想像を絶するような惨事を考えるに、非暴力・不服従の価値の揺らぎは否めず、目次にある「非・非暴力」の価値がいやが上にも高まっている。そういったメッセージとして読み取ることも可能かもしれません。求む、現代のフリーダム・ファイター。

 以下、紹介し忘れていた目次です。

 

 序 章 『RRR』をご存知か?
 第1章 「非・非暴力」の反英植民地闘争
 第2章 映画が描いたインド独立闘争の100年
 第3章 いまなぜ、インドで愛国映画が大ヒットするのか
 第4章 それでもガンディーは偉大だった
 第5章 日本はインド独立運動をどう描いたか?
 終 章 映画が描き出すインドの過去と現在、そして未来

 

ホッ(2024.3.25)

 

 昨日は修了式で、今日は教室の片付けだったり、ワックスがけだったり、その他もろもろの雑事に追われました。明日と明後日だけ、仕事を忘れて休憩します。

 晴れますように。

 

 おやすみなさい。