確実に言えることは、大江がいなければ村上は存在しなかったということだ。そして、村上が大江を否定しながらサンプリングすることで、村上は村上になることができた。ふたりの「魂」はあまりにも近すぎて、年少の作家として出発した村上は、自分が自分になるために、己に似た「魂」を否定せねばならなかった。
(横道誠『村上春樹研究』文学通信、2023)
こんばんは。確実に言えることは、小学校の教員の年度末の仕事量は異常ということです。村上春樹さんの作品をサンプリングすれば、
やれやれ。
そうつぶやきたくなります。が、正直なところ、やれやれどころではありません。夜遅くに通知表の所見を書いていると、どこからか「書くんだよ、とにかく書き続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい(?)。書くんだ。書き続けるんだ。何故書くかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。通知表の所見に意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら筆が止まる。使えるものは全部使うんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている」なんていう声が聞こえてきます。
うん、たしかに疲れている。
横道誠さんの『村上春樹研究』を読みました。副題が示すように、村上春樹さんの作品を「サンプリング、翻訳、アダプテーション、批評、研究」からなる《世界文学的構造体》として提示した労作です。以前、加藤典洋さんの『村上春樹イエローページ』を読んだときにも「1つの作品の背後にこんなにも豊かな世界が広がっているのか!」&「村上春樹、恐るべし!」と興奮したことを覚えていますが、
デジャビューです。
まるで『村上春樹イエローページ』の続編を読んでいるかのよう。あとがきに《筆者は本書を第一に、加藤典洋さんの墓前に捧げる》と書かれていることから、そんなふうに感じるのも横道さんの筆力の為せる業なのでしょう。
横道誠、恐るべし!
で、今回もまた、横道さんの『創作者の体感世界』や『ニューロマイノリティ』を読んだときと同じように、各章ごとに「引用+感想」のかたちでツイート(ポスト)してみました。備忘録というか、こだわりです。文字数マックスの、
こだわりツイート。
で、今回もまた、横道さんがその都度リツイート(リポスト)してくれたんですよね。嬉しすぎます。目には目を、こだわりにはこだわりを。この感覚、わかるでしょうか。わかりませんよね。デレク・ハートフィールドだったらこう言うかもしれません。定型の人間に、発達界隈の病みの深さがわかるものか。
おはようございます。今日の通勤のお供は横道誠さんの『村上春樹研究』です。補論「村上春樹と『脳の多様性』」から先に読んでいるのですが、横道さんの新刊『創作者の体感世界』を興味深いと思った読者&ハルキストにお勧めの一冊です。村上春樹はASD、村上龍はASDとADHDの特性をもつ作家って、納得。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 25, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第1章「大江健三郎の『ファン』としての村上春樹」に《村上は、大江の作品には無関心だったという素振りを、ここでも見せている》とあり、横道さんの『発達障害者は〈擬態〉する』につながる内容だと思う。大江作品は殆ど読んでいない。擬態ではない。読みたくなった。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 29, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第2章「村上が『好きな作家』としての筒井康隆」に《村上という作家のおもしろいところは広く公開する情報と、非公開にする、あるいは大っぴらには公開しない情報をかなり意識的に分けているように見えることだ》とあり、「横道が『好きな作家』としての村上春樹」感。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 2, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第3章「渡独体験を考える」に《彼のドイツ旅行はほとんど注目されない。しかし、その旅行は、村上が作家として地歩を固めていく過程で、無視しえない里程標となった》とある。この『村上春樹研究』は、作家・村上を語る上で、無視しえない里程標となった、とも読める。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 3, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第4章「『国境の南、太陽の西』とその英訳、新旧ドイツ語訳」に《ステレオタイプを消しさるには時間と労力が必要になる》とあり、この『村上春樹研究』が英訳されたりドイツ語訳されたりして、ハルキムラカミを含む日本に対する紋切り型のイメージが変わる未来を願う。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 3, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第5章「『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の8つの翻訳」に《『ノルウェイの森』の「僕」と「レイコさん」が性交する場面を思いだそう。そこでの出来事は、ほとんど「お笑い」の「ネタ」に見える》とあり、8つの翻訳よりも横道さんの翻訳(?)にツボ。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 4, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第6章「音楽を奏でる小説」に《まったくの個人的感想だが、筆者はデイミアン・チャゼルの『セッション』を観たときに、その結末部が『ノルウェイの森』に似ていると感じた》とあり、まったくの個人的感想だが、この『村上春樹研究』も両作品と同様にジャズっぽさ満載。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 5, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第7章「自閉スペクトラム症的/定型発達的」に《ニーチェは病気に押されて精神錯乱に陥り、村上はマラソンなどによる健康管理によって、「病者の光学」に自身が犯されずに済んできた》とあり、この研究は「病者の光学」と「健常者の光学」のあわいをたどる旅と思える。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 7, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の第8章「ポップカルチャーの文学的トポス」に《社会との断絶感にさらされ、世界の全体に不安を抱き、身近な生活圏内に安心を探そうとする自閉スペクトラム症者の世界観は、「セカイ系」と高い親和性を持っている》とあり、全米が泣いた、ではなく、全発達界隈が泣いた。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 7, 2024
横道誠さんの『村上春樹研究』の結語「ポリフォニーを聴くこと」に《筆者は、村上の研究を通じて、村上作品をサンプリング、翻訳、アダプテーション、批評、研究によって構築された世界文学と見なし、考察するなかで、たしかに圧倒的なポリフォニーを聴いた》とあり、それを追体験できたことが大確幸。
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 7, 2024
圧倒的なポリフォニーを聴く力が横道さんにはあって、加藤さんにもあって、それは横道さんも加藤さんも村上さんと同じくらい圧倒的な量の書籍だったり映画だったり音楽だったりを読んだり観たり聴いたりしてきたからであって、その全方位的かつ桁違いの「量」こそが、
うん、発達の特性だ。
そうとしか思えません。横道さんは『ある大学教員の日常と非日常』に《興味を持ったものに対して過集中を起こし、夢中になりすぎるのが僕の欠点》と書いています。リフレーミングするまでもなく、それはASDの才能です。おそらく加藤さんや村上さんもその才能に恵まれたのでしょう。目には目を、ポリフォニーにはポリフォニーを。私のツイートをリツイートするのと同じように、横道さんは村上さんのポリフォニーを私たち読者に向けてリポリフォニーしてくれたというわけです。
所見が終わりません。興味を持てないものに対して集中力が散漫となり、違うことを始めてしまうのが私の欠点です。矢のごとくストレートな欠点で、リフレーミングのしようがありません。ちなみに〆切は明日です。所見を書くために、明朝私は目覚めるのです。
怖がることは何もない。
おやすみなさい。