田舎教師ときどき都会教師

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横道誠 著『みんな水の中』より。誠をめぐる冒険。

 私が発達障害の診断を受けたのは、2019年4月のことだった。仕事を休職してしまい、長年の自分の「謎」を解くために、以前から疑っていた自分の鍵穴に、「発達障害の診断」という秘密の鍵を挿しこんだのだった。
 そこから私は発達障害支援センター「かがやき」の光岡裕之さんらにつながり、「かがやき」から京都障害者職業センターの安田泰子さんらにつながった。私は診断を受けてから初めて、発達障害に関する書物を読みはじめた。不思議な体験だった。新しく仕入れる他者に関する知識が、私の困りごとを説明していた。
(横道誠『みんな水の中』医学書院、2021)

 

 こんばんは。横道誠さんの本を読みはじめてからというもの、そこに書かれている知識が、これまでに出会ってきた教え子たちの、否、一部のユニークすぎる教え子たちの「謎」を説明しているのだから、不思議というか、シーク・アンド・ファインドです。村上春樹さんの小説と同じように、読み始めたらもう止まりません。もしかしたらあの子たちも、

 

 水の中にいたのかもしれない。

 

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 トータル12冊。今回紹介する『みんな水の中』で13冊目。我ながらアディクティッド・トゥ・ユーな読み方です。別言すると《おまえはひとつの鞄を買ったら、ひとつだけを何年も使うタチだっ》という読み方です。ひとりの作者にはまったら、その作者の作品を全て読みたくなるタチです、私は。教え子だけでなく、そんな私の「謎」も解き明かされていくのだから、不思議というか、やはりシーク・アンド・ファインドです。

 

 誠をめぐる冒険。

 

 

 横道誠さんの原点にして主著となる『みんな水の中』を読みました。横道さん自身による当事者研究の書です。言い換えると、

 

 誠をめぐる冒険。

 

 横道さんは本書を書いた理由を次のように述べています。曰く《三種類の様式を使って、ASD(自閉スペクトラム症)とADHA(注意欠如・多動症)の診断を受けている私という人間の体験世界を伝える》云々。三種類の様式というのは、以下の目次のことを指します。

 

 Ⅰ部「詩のように。」
 Ⅱ部「論文的な。」
 Ⅲ部「小説風。」

 

 

 

 

 Ⅰ部の「詩のように。」では、水の中を泳ぐ言葉たちを目にすることができます。小学6年生の国語でいうところの「やまなし」に通ずる世界観です。「二ひきの蟹の子供らが青じろい水の底で話していました。」っていう、あれです。クラムボンです。おそらくは宮沢賢治も水の中にいたのでしょう。

 

 えっ、意味がわからない?

 

 百聞は一見にしかずです。ぜひ手にとって読んでみてください。横道さん言うところの「みんな水の中」感が、かぷかぷ伝わるはずですから。

 Ⅱ部の「論文的な。」を読むと、タイトルに相応しく、横道さんが大学の先生(文学研究者)であることがよくわかります。圧倒的なポリフォニーなんです。たくさんの声が聞こえてくるんです。

 

 ASDがあると、定型発達者とのあいだに深刻な断絶感を抱くことになる。
 ウィリアムズは「ガラス張りの世界から」「行き交う人を、外の世界を」「静かに見つめている」と表現する。ローソンは自分を「永遠の傍観者」と呼ぶ。綾屋は「人々が楽しそうに話している様子は、水の中から、もしくはガラス越しに外の世界を見ているかのように、自分とは隔絶された世界だと感じる」と書く。

 

 ウィリアムズとかローソンとか綾屋とか、たくさんの声というのは、そういった意味です。無数の「声」はもちろんのこと、それらの「声」を響き渡らせている横道さんの体感世界の奥行きと広がりが、その後の凄まじいペースでの創作を予告しているかのようで、読み応えたっぷり。

 

 横道作品を取りまくポリフォニーをどう聴くのか。

 

 彼はいわゆるロマンチスト。少女マンガのような「運命の出会い」のモティーフに弱い。ASDの人は普通よりも孤独に強い。でも、それだけにとてつもなく孤独になりがち。結果、常識離れした絆に憧れてしまうのだ。

 

 Ⅲ部の「小説風。」より。引用の《彼》は、横道さんの分身でしょう。横道さんはロマンチスト。沢木耕太郎さんの『檀』に、作家・檀一雄(1912-1976)を評して《孤独に憧れながら、常に人を求めてしまう。しかし、それは檀の弱さでもあると同時に、魅力でもあったと思う》とあります。横道さんの魅力は、檀のそれと似ているような気がします。

 

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 今日は4時間授業で、午後に研修がありました。キャリア・カウンセリングの専門家の話を聞きました。横道さんが《私は、現実がつねに夢に浸されているような体感でいる》と書いていますが、まさにそれでした。うとうと、

 

 みんな夢の中。

 

 おやすみなさい。