田舎教師ときどき都会教師

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宮島未奈 著『成瀬は天下を取りにいく』より。成瀬はジェンダー・バイアスを覆す。

「この短時間でわたしのどこに惹かれたのか教えてくれないか」
 成瀬さんが俺の目を見て尋ねる。
「だれにも似てないところかな」
 考える前に口から出ていた。少なくとも、これまで俺が出会ってきた女子の中に成瀬さんのような人はいなかった。成瀬さんは「なるほど」とうなずく。

(宮島未奈『成瀬は天下を取りにいく』新潮社、2023)

 

 こんにちは。この「だれにも似てないところかな」というのは言い得て妙で、読みながら「なるほど」と頷いてしまいました。少なくとも、これまで私が出会ってきた女性の中に成瀬さん(以下、敬称略)のような人はいません。「だれにも似てない」女性だったら、奇跡的に一人いますが。それはさておき、この「だれにも似てない」というエピソードをまくらに、クラスの子どもたちに成瀬のことを、小学校の卒業文集に「200歳まで生きる」と書いた成瀬のことを、《大きなことを百個言って、ひとつでも叶えたら、「あの人すごい」になる》という成瀬のことを、そして中2の夏を西武に捧げた成瀬のことを、本を片手に紹介したところ、

 

 その本、見たことがあります!

 

 

 さすがは本屋大賞の受賞作です。田舎の小学6年生にも知られているのだから、著者の宮島未奈さんが天下をとるのも夢ではないかもしれません。ちなみに西武というのは2020年8月31日に閉店した西武大津店のことです。最寄り駅はJRの膳所駅。膳所の読み方は、

 

 ゼゼ。

 

 西武というと、私もおそらくは宮島さんと同様に、ノスタルジーに駆られます。西武遊園地、西武球場、西武新宿線、等々。生まれてから高校を卒業するまで、ずっと「西武」に囲まれて育ったからです。西武大津店と違って、どれもまだ健在ですが。ちなみに西武の歴史については猪瀬直樹さんの『ミカドの肖像』に詳しく書かれているので、ぜひお読みください。

 

 西武って、何だ?

 

www.countryteacher.tokyo

 

 西武と同様に、成瀬という固有名詞にも思い入れがあります。どんな思い入れなのかは秘密ですが、いつか成瀬が天下を取って、小学校の国語の教科書に掲載されたら、嬉しい。教科書の中に描かれているステレオタイプの男女像が、いわゆる「隠れたカリキュラム」として、児童のジェンダー・バイアスを助長させていると思うからです。

 

 成瀬はジェンダー・バイアスを覆す。

 

 

 宮島未奈さんの『成瀬は天下を取りにいく』を読みました。成瀬にまつわる、6つの物語が収録されています。

 繰り返しますが、成瀬という固有名詞には思い入れがあって、前々から気にはなっていました。近所の本屋に面陳されていたんですよね、ずっと。しかし、表紙からしてちょっとラノベっぽく思えたので、購入には至らず。今回手に取ったのは、成瀬が天下ではなく本屋大賞を取ったからです。本屋大賞とか、世界遺産とか、日本三大うどんとか、そういった言葉に弱いのは、人間の性でしょうか。

 

富岡製糸場(2024.4.20)

 

水沢うどん(2024.4.20)

 

 人間の性など全く気にしてないように見えるのが成瀬です。成瀬は言います。《八月になったらぐるりんワイドで西武大津店から生中継をする。それに毎日映るから、島崎にはテレビをチェックしてほしい》って。さらにこんなことも言います。《島崎、わたしはお笑いの頂点を目指そうと思う》って。まだ中学生なのに M-1の予選に出るんですよね。幼馴染みの島崎もびっくり。本の帯に書かれている柚木麻子さんの言葉が、成瀬の生き方をよく表わしています。

 

可能性に賭けなくていい。可能性を楽しむだけで人生はこんなにも豊かになるのか。

 

 豊かなんです、成瀬の生き方が、とっても。ネタバレになるので詳しくは書きませんが。結果はどうあれ、ただただ、可能性を楽しんでいるだけなのに。そしてこう思います。成瀬が「だれにも似てない」ということは、可能性を楽しんでいる人が、子どもにも大人にも少ないということでしょう。可能性なんて、そこら中に転がっているのに、です。例えば「毎日西武大津店に行く」を、教員だったら「毎日定時で帰る」に置き換えることもひとつの「可能性」でしょう。プロジェクト、あるいは目標を設定した上でのプロセスと言い換えてもいいかもしれません。

 

 そして、それを楽しむ。

 

 結果はどうあれ、興味・関心はどうあれ、「M-1の予選に出る」を楽しむことだって、ほとんどの人に開かれている可能性のはずです。人間の性だったり、常識や同調圧力、ジェンダー・バイアスだったりに惑わされることなく、可能性に気づくこと。可能性を耕すこと。そして可能性に賭けずに、楽しむこと。

 

 成瀬は信じた道を行く。

 

 私も。