「美味しい」
口の中にまだ熱々のしゅうまいを含んだまま、それでも驚きの声を上げずにはいられなかった。固まりの肉を、わざわざ叩いて使っているのだろう。アラびきの肉それぞれに濃厚な肉汁がぎゅっと詰まって、口の中で爆竹のように炸裂する。
「うん、やっぱりここのしゅうまいは、天下一品だね」
恋人も、コップに残っていた冷たいビールを飲み干してから、幸せそうにしゅうまいを頬張っていた。
(小川糸『あつあつを召し上がれ』新潮文庫、2014)
こんばんは。人間関係についても、可能な限り「あつあつ」のうちに会って話をすると、「えっ、もうラストオーダー?」って、声を上げずにはいられない興奮を味わえるケースが多いように思います。そんなわけで、昨日、熱が冷めないうちに「会いたかった人」に会ってきました。
会いたい人に会うために、待つしあわせ。土曜日に休めるしあわせ。来週は振休なしの土曜授業。当たり前のしあわせを奪わないでほしい。 pic.twitter.com/dBLT2bxB5R
— CountryTeacher (@HereticsStar) March 4, 2023
私はチキンとソーセージのグリルプレートを、彼女はエビと大葉のオムライスを注文し、ラストオーダーの時間になるまでたっぷりとランチトークを楽しみました。作家の小川糸さんだったらこの味とこのシチュエーションをどんなふうに表現するだろうなぁ、なんてことをチラッと考えてしまうくらいに、私にとっては「あつあつ」の時間だったように思います。途中、著書にサインをしていただき、メッセージも添えていただきました。人生の大先輩からいただいた言葉は、ずばり、
健康第一で!
友人に勧められて、小川糸さんの短編集『あつあつを召し上がれ』を読みました。小川さんの小説を読んだのは初めてです。やわらかな文体といい、心に染み入る展開といい、どれも天下一品で素晴らしく、思わず「おかわり」を頼みたくなった食後でした。否、読後でした。実際、読み終えた後すぐに小川さんの代表作のひとつである『食堂かたつむり』をポチッ。続いて『私の夢は』もポチッ。しばらくのあいだ小川ワールドにはまってしまうかもしれません。年度末の忙しさにやられることなく「健康第一で!」を実践するためにも、普段以上に美味しい料理を食べてホッとしたくなるからです。食べる代わりに、せめて読んで、ホッ。収録されている作品は、以下の7つです。
バーバのかき氷
親父のぶたばら飯
さよなら松茸
こーちゃんのおみそ汁
いとしのハートコロリット
ボルクの晩餐
季節はずれのきりたんぽ
冒頭の引用は「親父のぶたばら飯」からとりました。続く「さよなら松茸」とセットで味わうと、これがまたいいんです。男女のはじまりとおわりが「食べること」と絡めて官能的に描かれていて、いろいろ思い出すんです。官能的といっても、もちろん変な意味ではありません。この本を勧めてくれた友人は「松茸」がツボに入ったようで、エロティックな意味でうけていましたが。うん、変態だ。まぁ、読んでみてのお楽しみです。
どうして本当に美味しい食べ物って、人を官能的な気分にさせるのだろう。食べれば食べるほど、悩ましいような、行き場のないような気持ちになってくる。
恩田陸さんの『夜のピクニック』に出てくる《好きという気持ちには、どうやって区切りをつければいいのだろう。》という一文を思い出しました。先日、友人と一緒に生牡蠣を食べに行ったときに、あまりにも美味しくて、二人同時に「もったいなくて、食べたいけど食べたくない」というアンビバレントな意見で一致したのですが、それと似ています。本当に美味しい食べ物も、異性に対する好きという気持ちも、
悩ましい。
認知症の祖母と《ちぐはぐな両親の蝶番となるべく、幼い子役を演じるのに必死だった》という孫娘との泣けるやりとりを描いた「バーバのかき氷」に始まり、ぶたばら飯と松茸の二編を挟んで《でも、呼春が生まれて再発するまでの数年間は、本当に僕達夫婦にとっては、天国だったんだ。その時に、人生のすべての喜びを、思う存分、味わったんだ》という120%同意の叙述が味わい深い「こーちゃんのおみそ汁」が続き、さらには「おそらくそうだろうなぁ」という隠し味が切なさを誘う「いとしのハートコロリット」に文字通り心をコロリとさせられた後に、読めばわかりますが「ボルクの晩餐」で転調して、ラストの「季節はずれのきりたんぽ」でやっぱり主役は「人」だよなぁというところに着地するという、小川糸さん、おそるべし。コース料理的に、あるいは授業展開的に、素晴らしすぎました。
沢木耕太郎さんの『深夜特急』を読むと、旅に出たくなります。それと同じように、小川糸さんの『あつあつを召し上がれ』を読むと、気の置けない人と二人で美味しい物を食べに行きたくなります。そんな一冊。お勧めです。
おやすみなさい。
健康第一!