田舎教師ときどき都会教師

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藤原章生 著『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』より。絵葉書ではなく、物語にしてもらえた先輩。

 これは目標の喪失にもつながるが、常に最先端を意識していた永田さんはいつの間にか、登る動機が、高校時代に吉川智明さんと登ったときのような、「山の中にいる、ただそれだけの喜び」から、メディアへの評価へと変わっていった面もあったのではないだろうか。評価されない以上、登っても仕方がないと。K7から下山後、記者会見を開いても誰も来てくれなかったことを嘆いたのも、その傍証だ。
(藤原章生『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』山と渓谷社、2023)

 

 こんばんは。教員を長く続けていると、子どもにせよ大人にせよ、この人はおそらく発達障害なのだろうなぁと思うことがしばしばあります。藤原章生さんの新刊に登場する故・永田東一郎も、おそらくというか、間違いなくそうでしょう。《しつこくからんでいく割に、他人が自分をどう見ているかにはひどく鈍感なのだ》という下りなんて典型です。

 

 しかも東大生。

 

 ビンゴです。4人に1人が「アスペ」と噂される大学ですから。もちろん発達障害が Good とか Bad とか、そういったことをいいたいのではありません。ただ、生きづらさを抱えていただろうな、と。強烈な個性をもっていたかつての教え子を思い出しつつ、そんなふうに思いました。実際、永田は、社会にうまく適応することができず、46歳という若さで酒に溺れて命を落とすことになります。藤原さんが永田の死を知ったのは、

 

 その12年後。

 

 

 藤原章生さんの『酔いどれクライマー 永田東一郎物語』を読みました。藤原さんが通っていた都立上野高校山岳部の三年先輩にあたる永田東一郎を主人公にした評伝です。藤原さん曰く、永田の死を知った数日後には、この物語を書こうと決めていたとのこと。猪瀬直樹さんが石原慎太郎のことを書こうと決めたように、あるいは沢木耕太郎さんが西川一三のことを書こうと決めたように、藤原さんも永田を書くことが作家としての責務だと感じたのでしょう。石原慎太郎や西川一三と同じように、永田東一郎もまた人を惹きつけて止まない価値紊乱の個性をもっていたというわけです。

 

 私からすると、三人とも発達障害。

 

 教員として、興味津々。

 

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 目次は以下。


 プロローグ 十二年後に知った死
 第一章 十七歳の出会い
 第二章 強烈な個性
 第三章 下町育ちの ”講談師”
 第四章 東京大学スキー山岳部
 第五章 生まれもった文才
 第六章 強運のクライマー
 第七章 K7初登頂
 第八章 山からの離脱
 第九章 不得意分野は「恋」
 第十章 迷走する建築家
 第十一章 酒と借金の晩年
 第十二章 時空間を超えた人
 エピローグ はじまりの山、おわりの山

 目次のタイトルを活用しながらざっくり説明すると、藤原さんは17歳のときに永田という「東京大学スキー山岳部」に所属する、日暮里育ちの「強烈な個性」に出会い、その魅力というか勢いに魅せられます。

 

 永田さんは講談師になったら大成していたかもしれない。そう思えるほど、同じ言葉を低音で繰り返し、人の耳に残す人だった。

 

 うん、発達だ。そんな「下町育ちの ”講談師” 」こと永田は、なぜか後輩から好かれるんですよね。愛されキャラというわけです。ちなみに、発達障害の子を「愛されキャラ」にできたら学級経営はうまくいきます。推測するに、永田の小学校時代の担任がやり手だったのでしょう。喋りだけでなく「生まれもった文才」にも恵まれた永田ですが、こだわりの対象は「話す」でもなく「書く」でもなく、幼少期から「登る」ことに向けられ、やがては後輩たちを引き連れて「K7初登頂」に成功するまでの「強運のクライマー」になります。

 

 25歳と8ヶ月。

 

 永田がクライマーとして生きた年月です。その後は別のステージに。K7の遠征を終えた永田は、突然「山からの離脱」を選択し、「迷走する建築家」として生きることにするんですよね。そしてその選択は、間違っていた。強運の建築家にはなれなかった。待っていたのは「酒と借金の晩年」です。

 

 なぜ山から離脱したのか。

 

 私もそこに興味をもちました。冒頭の引用は藤原さんが考えた仮説のひとつ(登山表現の喪失)です。教育でいえば、勉強そのものが好きだったのに、受験勉強をするようになってから、理解動機よりも競争動機が優位になってしまって、気が付いたら勉強しない大人になっていたという、多くの日本人が当てはまる話と似ています。

 藤原さんが立てた仮説は他に3つ。死への恐怖と目標の喪失、それから建築への転戦です。どれも当てはまるような気がするし、どれも違うような気もします。藤原さんも書いているように、おそらくはそれらの複合でしょう。

 教員として、強いて別の仮説を立てるとすれば、強運のクライマーとして生きた「25歳と8ヶ月」が意外としあわせで、発達障害の症状が緩和されたのではないかというものです。緩和されたが故に、一般の人と同じような思考になって、就職しようと思った。しかし、就職した先の人生ではそれまでのような「しあわせ」を感じられなかったために、二次障害が出て酒に溺れてしまった。教室と同じです。発達障害の症状が緩和する学級もあれば、二次障害が出てしまう学級もある。永田の後半生は、後者だったのでしょう。

 

 長男、旭さんと長女、マリノさんにはいい父だった。

 

 酒に溺れた永田でしたが、そして後輩の藤原さんに「不得意分野は『恋』」なんていう章を立てられてしまった永田ですが、建築家になった後に結婚し、二人の子宝に恵まれています。その後、酒が原因で離婚してしまいますが、二人のお子さんが「いい父だった」と回想しているところに、

 

 ホッ。

 

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 もしも永田が生きていれば、藤原さんと一緒に「ぶらっとヒマラヤ」へ、なんてこともあったかもしれません。先輩と後輩という間柄で、トークイベントを開いていたかもしれません。いずれにせよ、

 

 絵葉書ではなく、物語にしてもらえた先輩。

 

 天国で喜んでいるにちがいない。

 

 

ぶらっとヒマラヤ

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