「あのころの太宰は、あなたに相当あこがれていましたね。実際、そうでした。」
桃子さんは、びっくりした風で、見る見る顔を赤らめて、
「あら初耳だわ。」
と独りごとのように云った。
「おや、御存じなかったんですか。これは失礼。」
「いいえ、ちっとも。――でも、あたしだったら、太宰さんを死なせなかったでしょうよ。」
この才媛は、まだ顔を赤らめていた。
ひとくちに「おんなごころ」といっても、人によって現れかたが違っている。
(井伏鱒二『太宰治』中公文庫、2018)
こんばんは。前回のブログに「縁あって福島県は只見町に行ってきました」という話を書きました。前々回のブログには「酒縁にせよ書縁にせよ、縁は育むもの」という話を書きました。今回のブログは「実際に縁を育んでみました」という話から始めます。縁を育むべく、
いざ、東京へ!
昨夜、只見町で知り合った都内在住のコミュニティマネージャーさんにお呼ばれされ、職場見学をしてきました。コミュニティマネージャーさん曰く「誰かと誰か、あるいは会社と会社をつなげるための場づくりをしている」とのこと。世の中には、
実にいろいろな仕事があります。
酔り道。 pic.twitter.com/rKr3Zb2L1x
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 27, 2024
共同スペースにビールサーバーが置いてありました。無料です。おかわりも自由。誰かと誰か、あるいは会社と会社をつなげるためには、ビールの一杯や二杯なんてどうってことないのでしょう。ひとくちに「働き方」といっても、職場や職種によって現れ方が思いっきり違います。もしも小学校の職員室にビールサーバーがあったら。16時以降は自由に飲んでよかったら。休憩時間が全国平均で1分しかないというイリーガルな状況が改善されたら。教員不足の解消も、過労死防止も、定時退勤も、夢ではないかもしれません。冒頭の桃子さんの「でも、あたしだったら、太宰さんを死なせなかったでしょうよ。」という台詞を捩ればこうなります。我が社だったら、
教員を死なせなかったでしょうよ。
井伏鱒二の『太宰治』を読みました。太宰がしたためていた遺書に「井伏さんは悪人です」と書かれていたという話は有名ですが、井伏が『太宰治』というその者ずばりのタイトルの本を書いていたなんて知りませんでした。
井伏鱒二 著『太宰治』読了。太宰の師であり友でもあった井伏による思い出の記。巻末には節代夫人が語った「太宰さんのこと」収録。そこに、太宰の葬儀の折、自分の子どもが死んでも泣かなかった井伏が、声を上げて泣いたというエピソードが載っている。二人の関係は、二人にしかわからない。#読了 pic.twitter.com/WrIsh1Etun
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 28, 2024
二人の関係は、二人にしかわからない。
もしかしたら、二人にだってよくわかっていなかったかもしれません。いわんや第三者をや。そういったことがよくわかる一冊です。
昭和七年から後の数年間、私は太宰君が何か事件を起すたびごとに、それに関する太宰君の行状を書きとめていた。これには個人的な事情と理由がある。そのころ私は自分の日記などつけなかったが、しかし他人である太宰君に関する日記だけはときどき書いていた。
現代でいうところの「推し活」みたいなものでしょう。自分ではなく、他人の日記を書くなんて、太宰に対する井伏の並々ならぬ関心をうかがわせます。ちなみに事件と聞くと、太宰が何度も起こした心中事件のことを連想するのではないでしょうか。心中事件については、猪瀬直樹さんの『ピカレスク 太宰治伝』に詳しい。表紙に描かれていることからもわかるように、井伏鱒二もキーパーソンとして登場するので、『太宰治』とセットで、
ぜひ。
書縁も育むもの。
コミュニティマネージャーさんが「勧められた本は必ず読む。それが今年の目標のひとつ」という話をしていました。クラスの子どもたちにも聞かせたい心がけです。コミュニティマネージャーさんには、新総理誕生(石破茂さん)のニュースを受け、猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』(中公文庫)を勧めておきました。巻末に、著者と石破さんの対談が収められているからです。
みなさんも、ぜひ。
過日、石破茂さんに意見を述べるチャンスがあった。教員の現状について、曰く「われわれのところにダイレクトには伝わってこない」とのことだった。ダイレクトにこれを伝えればよかった。 https://t.co/eEQGlUN9qc
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 26, 2024
コミュニティマネージャーさんには、酔った勢いでその他にも10冊近くの本を勧めてしまいました。本好きあるあるですが、何かの話題になるたびにそれに関連する書籍が頭に浮かんでしまって大変です。コミュニティマネージャーさん曰く「もうやめてくれ!」。ちなみに井伏も太宰に本を勧めていて、曰く「もし小説を書くつもりなら、つまらないものは読んではいけない。古典を読まなくっちゃいけない」云々。
外国語が得意なのかと訊くと、一向に駄目だと答えるので、それでは翻訳でプーシキンを読めと勧めた。それから漢詩とプルーストを読めと勧めた。
太宰は井伏に勧めに従ってプーシキンの『オネーギン』を読み、すっかりはまってしまってそれをもとに『思い出』を書いたそうです。
さすがの師弟関係。
矢張りその頃、太宰君のくれた手紙に、「自分は孤高でありたいが、こんなような時代にはそれが難しい」と云ってあった。私は陣中日記に「太宰君は孤高でありたいと手紙をよこした」と書きこんで、日本の雑誌か何かに発表した。すると太宰君から、「孤高でありたいと云ったのは事実だが、あんなことを発表されては困る。はずかしくてやりきれない。なんて気障な男だと人から思われる」という意味の抗議を云って来た。
師弟関係であったとしても、私信を別の誰かに話してしまうのはアウトでしょう。太宰が抗議するのも無理はありません。
うん、井伏さんは悪人です。
悪人ではありますが、善人でもあって、太宰の葬儀のときには、柄にもなく声を上げて泣いていたそうですから、大好きだったのでしょう。それはきっと「会ってくれなければ自殺する」という手紙を井伏に送って「縁」をつくったという太宰も同じです。
縁は二人で育むもの。
おやすみなさい。