教育は歴史的に古くからあったのですが、本書でも先に述べたように(73ページ参照)、全てはすぐれた師を見つけ、弟子入りを願い、許されて教えを請う関係に入る形で行われてきました。
ところが現代の学校は異なります。教員は、教える方法のプロですが、教える内容のプロではないのです。教える内容に迫力がどうしても足りなくなる。そこで、宮下先生は、その道の専門性を持った人たちにたくさんきてもらって、あるいはこちらから出かけていって、さまざまな知識スキルを教示してもらいながら、学びの内容に専門性を担保しようとしているのです。
(汐見稔幸 編著『学校とは何か』河出新書、2024)
こんにちは。師って、大事ですよね。担任としての力量を高めたければ、時間のかかる研修よりも、師。時間のかかる研究よりも、師。つまり、長時間労働よりも、師です。
私の場合は最初に赴任した県の1校目の小学校でも、次に赴任した県の1校目の小学校でも、すぐれた師を1年目から見つけることができて、さらに、教えを請う関係にすぐに入っていくことができて、ラッキーでした。そのラッキーさは、いろいろな職員室を経験した今だからこそよくわかります。2人とも異端でした。いい意味で、モンティー(モンスター・ティーチャー)でした。本をよく読んでいました。師匠その1は三浦英之さんの本に出てくるし、師匠その2はこれから紹介する汐見稔幸さんが編著者を務めている『学校とは何か』に出てくるし、ほんと、
レアだなぁ。
汐見稔幸 編著『学校とは何か』を読み始める。取材&ルポを担当している太田美由紀さんが書き、汐見さんが解説を添える感じで進んでいく。私の師匠が出てきて、嬉しく思う。相変わらずの師匠節。一人でも多くの人に読んでほしい。師匠はモンティ(モンスター・ティーチャー)。もちろん、いい意味で。 pic.twitter.com/tU6QDSVouu
— CountryTeacher (@HereticsStar) August 30, 2024
レアな二人に出会えたこと、本当にラッキーだったと思います。ラッキーというか、贈与です。
贈与は、受取人の想像力から始まる。
贈与論で知られる近内悠太さんの言葉です。おそらくは『学校とは何か』をつくった汐見稔幸さん(編著者)と太田美由紀さん(ルポライター)も、レアな先生たちから贈与を受け取ったと感じたのでしょう。受け取ったら、応える。その応え合いのプロセスから生まれたのが『学校とは何か』です。
汐見稔幸さんが編著者を務めている『学校とは何か』を読みました。おそらくは師匠と同じように「モンティー」にカテゴライズされるであろう現場の先生たち(+教育委員会が2つ)がたくさん取り上げられている一冊です。そういった意味ではこの夏に読んだ授業づくりネットワークの『揃わない前提の授業を見る・感じる・考える』と似ているかもしれません。大きな違いといえば、それはやはり編著者の汐見さんの存在でしょう。汐見さんが学者の立場からそれぞれの実践についてコメントを寄せているんですよね。それがまた、
いいんです。
以下、目次です。
第1章 「学び」のスイッチを入れる できる・できないからの解放
【教えから学びにふみ出すために】評価・教育課程(カリキュラム)からの解放
第2章 「学び」に向かう前提 主体的な学び・個別最適化
【教えから学びにふみ出すために】こころの安全の保障・安心して失敗できる環境づくり
第3章 自分に合う「学び」方 一斉授業からの脱却・本来の自由進度学習
【教えから学びにふみ出すために】一斉授業からの脱却・自分に合う学び方
第4章 正解のない「学び」 プロジェクト学習・縦割り
【教えから学びにふみ出すために】プロジェクト学習の効果
第5章 多様な子どもたちが安心して学べる環境 インクルーシブ教育を目指して
【教えから学びにふみ出すために】インクルーシブ教育への歩み
第6章 教員の視点の転換のために 教育委員会の動き
【教えから学びにふみ出すために】教員と保護者に必要な子ども観
太田さんが取材して書いた現場ルポが各章に2つずつ紹介されています。そしてその現場ルポに対して、汐見さんが学者の立場でコメント等を加えています。例えば第1章だったら【教えから学びにふみ出すために】というかたちで、です。冒頭の引用は第3章の汐見さんの【教えから学びにふみ出すために】からとりました。教室に《その道の専門性を持った人たちにたくさんきてもらって、あるいはこちらから出かけていって》というところ、
まさに師匠です。
師匠その1もそうでした。その道の専門性を持った人たちとたくさんつながっていました。専門性を持っていない人たちともたくさんつながっていました。卒業生や卒業生の保護者たちともつながっていました。そしてそのつながりの豊かさを教室の子どもたちや自身の人生に還元していました。私も、そうありたい。そして退職するときには、
こんなふうに振り返りたい。
「私が思う公立の学校のおもしろさは、世界に一番近い状態にあるというところです。いろんな人がいて、いろんな思いがあって、自分の思い通りにはならない。だからおもしろい。逆に言えば、大変だからおもしろがるしかないということもあります。
そして、そこで『応え合い』が必要になるのです。
長年の教師生活には、うまく行かないこともたくさんありました。私はどちらかというと子どもたちや保護者の視線で授業を作っていきますが、ほかの先生から『宮下先生のクラスだけ、ほかのクラスと違うことをされては困ります』などと苦情が出たことももちろんあります。そんなときは、じゃあどうしようかと子どもたちに相談し、応え合い、こうしてみたらどうだろうという実験を繰り返してきました。
私が子どもたちに何かを教えるというより、子どもたちに生きる元気をもらってきました。たぶん、教室に来て関わってくれた保護者の皆さんや、地域の皆さんもそうだったと思います。そうして、私自身が世界平和を目指すプロセスを楽しみながら、ここまで公立の小学校の先生を続けてこられたのだと思います」
どうでしょうか。教育委員会等からのありとあらゆる誘いを断わって、学級担任であることにこだわり続けていた師匠です。その師匠がどんな学級づくり&授業づくりをしてきたのか(少しだけヒントを書くと、座学ではなく立学とか、板書はしないとか、アイランド型の座席配置とか)、師匠と同じようにモンティーであろう先生たちが、どんな思いをもって現場で働いているのか、気になる方はぜひ『学校とは何か』を読んでみてください。
世界平和に向けて。
ぜひ協働を。