渡船は野生種だからこそ、のびのび育つのだと言います。
「野生種は、人に育ててもらおうと思って生まれた米ではないために、自分で子孫を残そうするちからがあるので、もう、言うことを聞かないんです(笑)。でも、そこがかわいい。甘やかすと、どんどん伸びて手に負えなくなり、倒伏(稲が倒れること)の原因になるのですが、田んぼの水やりや肥料の量を注意しながら、うまくコントロールしてあげると、抜群にいい酒米に育ってくれます」
(山内聖子『いつも、日本酒のことばかり。』イースト・プレス、2020)
こんばんは。いつも、クラスのことばかり考えている担任は、子どもと同じだなぁって、そう思ったのではないでしょうか。
クラスの中には、野生種のような子もいるんです。でも、そこがかわいい。甘やかすと、どんどん荒れて手に負えなくなり、学級崩壊の原因になるのですが、教室の雰囲気や子どもたちの関係性に注意を払いながら、うまくコントロールしてあげると、抜群におもしろい子に育ってくれます。ことほどさように、クラスづくりと日本酒づくりには、
共通点がいっぱい。
「学校で先生が、上手に子供たちを導くのとおなじように、人間が空気中にいるさまざまな菌を排除しながら、酵母菌をうまく誘導しながら育てるのです」
群馬県「群馬泉」蔵元・杜氏の島岡利宣さんの言葉より。これも共通点ですよねって、そんな話ができるのではないかと思い、先日、『いつも、日本酒のことばかり。』の山内聖子さんが女将をやっていると噂される、某バーへ足を運びました。その前の週にあった日本酒のイベントでサインをもらっていたので、
もしかしたら覚えていてくれるかもしれない!
店構えがアダルトな感じかつこじんまりとしていて、しかも満席に近かったために、最初の一歩を踏み出すのにかなりの勇気と時間を要しました。しばし店の前を行ったり来たり。基本、Tully'sな人間として酒にも女にも溺れずに真面目に生きてきたので、苦手なんです、メニューがなかったり、値段もわからなかったりするお店は。とはいえ、電車を乗り継ぎ、年休も駆使し、せっかくここまで来たのだから、と思って足を踏み入れたところ、
覚えていてくれました!
先ずはAKABU。次に白隠正宗。そして月山。最後にお店にいたお客さんから群馬泉をご馳走になるという、今井孝さんいうところの「2時間の使い方の天才」になった気分でバーを後にしました。
幸せです。
料理もたくさん出てきました。日本酒と同様に、何も注文していないのに出てきました。途中、「これはいったい、いくらくらい請求されるのだろう」と不安になりましたが、良心的な値段でした。山内さんのお話もたくさん聞けたし、お客さんに一杯ご馳走になるという人生初めての経験もできたし、
また行きます。
山内聖子さんの『いつも、日本酒のことばかり。』を読みました。最新作の『日本酒呑んで旅ゆけば』や、前作の『夜ふけの酒評』に負けず劣らず、日本酒への愛がたっぷりと詰まった一冊です。山内さん曰く「遡っていますね」。次は処女作の『蔵を継ぐ』を読まなければ(!)と思います。
目次は以下。
第1章 日本酒について考えていること
第2章 じっくり、つくられる
第3章 むかしの話
第4章 日本酒の今
山内聖子さんの『いつも、日本酒のことばかり。』読了。いつも、クラスのことばかり考えている担任が読むと、日本酒づくりとクラスづくりの共通点に気づくはず。麹をつくるには《手をかけすぎてもだめですし、かと言ってほったらかしもよくない》とあり、まさにそれ。酒屋万流 、クラス万流。#読了 pic.twitter.com/xvQAF0mgmx
— CountryTeacher (@HereticsStar) October 22, 2024
山内さんの本を読んで思うのは、どの本でもそうですが、日本酒づくりとクラスづくりには共通点があるということ。だから、
学級担任に勧めたい。
日本酒も、おいしくつくるためには自然だのみでつくること以上に、各工程の緻密な計画性と、酒質を構築する技術こそ大切だと思います。微生物に対して愛情を注ぐだけでなく、ときには厳しく、駆け引きをするくらい冷静な判断力も求められます。オーケストラを指揮するマエストロのような、統率力と演者の独創性を導く感性に近いのかもしれません。
クラスづくりにも緻密な計画性が必要です。手立てゼロで自然にいい集団ができあがるなんてことはありません。ちなみにこの文章は第2章の「じっくり、つくられる」に出てくる「お酒のもと 酒母@『群馬泉』」から引用しました。第2章には、日本酒づくりのプロセスが載っていて、ひとつの工程ごとに、例えば「酒米」だったら「山形正宗」の蔵元さんに、「米をみがく」だったら「獺祭」の社外取締役に、「米を洗う」だったら「花の香」の蔵元・杜氏さんに詳しく教えてもらうという、
贅沢すぎる構成。
群馬泉は、山内さんの『夜ふけの酒評』で《唯一無二という言葉は、この酒のためにあるのではないでしょうか》と評されている日本酒です。その群馬泉をバーでご馳走してくれたお客さんは、なんと、マエストロではありませんが、超有名な某オーケストラの団員さんという、
贅沢すぎる展開。
山内さんにも、その団員さんにも、いつかゲストティーチャーとして授業に来てほしい。山内さんの話も、団員さんの話も、おもしろかったなぁ。日本酒も、話も、そして文章も、
うまい。
文章のうまさの秘訣を探るべく、山内さんに「影響を受けている作家さんはいますか?」と尋ねたところ、曰く「佐々木久子さんと藤田千恵子さん、それから山同敦子さん」と返ってきました。3人とも日本酒のことを書いている人です。うん、誰ひとりとして知りません。山内さんの本を全部読み終わったら、チャレンジしてみようと思います。
問題は、全部が全部そうじゃないにせよ、大半のPR活動が飲み手にとって、ハレの日のお祭り的な特別感をもたらすものとしてしか、ほとんど機能していないところにあるのではないでしょうか。
このまま、売り手と飲み手の求めているもののズレを考えずに、販促活動をつづけると、日本酒は日常性を失っていくと思います。
第4章の「日本酒の今」より。日本酒のイベントがものすごく増えているという話です。そして増えれば増えるほど、《日本酒はふだんに飲むものではなく、特別な日に飲むお酒に偏っていく可能性がある》という警告としての話でもあります。これも学校教育に似ています。明日、他学年の研究授業があるんですよね。指導案を書いて、事前検討をして、みんなで観て、事後検討をして、打上げをして。百歩譲って、暇ならいい。余裕があるならいい。残業ゼロで、休憩時間も45分とれているならいい。授業者がやりたくてやっているならいい。教員不足じゃなければいい。日本酒と同様に、
大事なのは日常です。
おやすみなさい。