田舎教師ときどき都会教師

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城山三郎 著『黄金峡』より。福島県只見川田子倉ダム補償事件をモデルにした社会派小説。

 織元は、ダム建設に純粋に命を懸けている。なぜそれほど命懸けになるかは詳しく描かれていない。しかし、この小説が、足掛け8年に及ぶ補償交渉が1956年(昭和31年)に妥結した福島県只見川田子倉ダム補償事件をモデルにしていることを考えると彼の立場は理解できる。この頃の日本人は、戦争の痛手から必死に回復しようとしていた。織元も日本の復興のためには電力が必要であるとの信念でダム開発に取り組んでいる。言わば「公」の価値を体現する男だ。
(城山三郎『黄金峡』講談社文庫、2010)

 

 おはようございます。福島県は只見町にある只見駅から歩いて5分くらいのところに「ふるさと館田子倉」があります。田子倉ダム建設に伴い、湖底に沈んだ田子倉集落の記憶を後世に残すことを目的とした資料館です。ちょうど1週間前の日曜日に、只見町の町議会議員さんであったり、只見町に興味を持っている人たちだったりと共に、そこに足を運びました。

 

資料館「ふるさと館田子倉」①(2024.9.22)

 

資料館「ふるさと館田子倉」②(2024.9.22)

 

 日本有数の総貯水容量を誇る田子倉ダムには、かつて「桃源郷」と呼ばれた小さな集落が沈んでいます。現在の只見町もそうですが、山には山菜があふれ、只見川にはイワナやマスが泳ぐ、自然の恵み豊かな地域だったとのこと。戦後、政府はここにダムを建設します。原発と同様、復興に欠かせない都市部の電力を確保するためです。

 

 村を沈めてダムをつくる。

 

 田子倉に限らず、ダムをつくるにあたってはよく耳にする話ですが、当然、村の住民(約300人)は反対します。桃源郷を沈める(?)。冗談じゃない、と。

 

「戸倉の人の気持ちはわかるな。・・・・・・これまでの公社の調べじゃ、山林あり天恵物ありで、あの戸倉はかなり裕福だ。決して生活に困っていやしない。反対してるのは、決して金をつり上げるためじゃなく、もっと素朴で、純粋な気持からなんだ。あの戸倉に住んでいたら、そんな汚れた打算的な気分になれないんじゃないかな」

 

 城山三郎(1927-2007)の『黄金峡』の主人公である若林静雄の台詞です。戸倉というのは田子倉のこと、若林が勤めている公社というのは電源開発(Jパワー)のことです。高度経済成長黎明期の1959年に執筆された『黄金峡』には、素朴で、純粋な気持ちに満ちた「桃源郷」が、打算的な気分に満ちた「黄金峡」に変わっていく様子がありありと描かれています。

 

 住民たちの眼は輝き出す。〈ダムときまれば、何もかも黄金に変わっちまうだ〉と聞かされていた噂は、やはり本当だったのだ。
「庭木はどんな木でも一本二百円だしか」

 

 立ち退きに際しては、現在の価値でいうところの3億円くらいのお金が各戸に支払われたというだから、

 

 それは確かに黄金峡です。

 

田子倉ダム①(2024.9.22)

 

田子倉ダム②(2024.9.22)

 

田子倉ダム③(2024.9.22)

 

田子倉ダム④(2024.9.22)

 

 小雨の降る中、田子倉ダムを見学しました。資料館「ふるさと館田子倉」で知識を得た上での見学だったので、感慨もひとしおです。史料や写真から知識を得た後に、現地へ行って体で感じ、人と話し、本を読んでさらにインプットしたら、最後はブログに書いてアウトプットする。

 

 学校の勉強も、こうありたい。

 

 

 城山三郎の『黄金峡』を読みました。資料館「ふるさと田子倉」に展示されていた曾野綾子(1931-)さんの『無名碑』とどちらを読むか迷いましたが、曾野さんの『無名碑』はちょっと長そうだったので『黄金峡』にしました。

 

 たぶん、正解です。

 

 冒頭の引用は、江上剛さん(1954-)による解説からとりました。ネタバレになるのでもうあまり書きませんが、ダムの建設を推し進める電源開発の「公」と、それ(金の誘惑すなわち「公」)に抵抗しようと試みるも、結局は誘惑に負けてしまう村人の「私」が織り成す人間模様の生々しさが、この小説の魅力です。人間模様といえば、男女の関係でしょうか。

 

「誰でもいいわ。そういう愛し方こそ、ほんとうの愛し方だっていう人も居るの。『男と女が最後にできることは、それしかない。ただ技巧や体面で間をもたせている。多美はそうすることに、何のためらいももたない、いい女だ』って」

 

 いい女とは思えません。ことほど左様に人間の価値観はさまざまです。男女の関係に限らず、極限状態(故郷が奪われる、大金が転がり込んでくる)で噴出した、その「さまざま」を描いているのが『黄金峡』というわけです。ちなみに、城山がなぜこの題材に興味をもったのかといえば、江上さん曰く《それは城山氏が「公」が勝手に始めた戦争に「私」が翻弄された経験からくるものであるに違いない》云々。戦争も、極限状態ですよね。

 

 うん、なるほど。

 

 

 福島の原発のことはたくさん学んできたつもりですが、福島のダムのことについては勉強不足でした。只見に行って、よかった。曾野綾子さんの『無名碑』も、いつか読んでみようと思います。

 

 今日はこれから休日出勤です。

 

 行ってきます。