田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

磯田道史 著『日本史を暴く』より。教科書にはない史実を学び、授業に役立てよう。

 日本では修学旅行は明治十年代から師範学校などで始まった。最初は「長途遠足」などと言っていたが、明治二十年に『大日本教育会雑誌』に「修学旅行」の文言が登場。翌年、「尋常師範学校設備準則」で、修学旅行は「定期の休業中に於て一ヶ年六十日以内」で行うことが定められ、師範学校で修学旅行が公式化したとされる。ちなみに、この準則は100頁もあり、職員数の他に、備えるべき動物標本の種類まで全国一律で規定された。ヘビ部門はマムシとアオダイショウ、昆虫ではタマムシなどの標本を確保せよ、と具体的に規定していて細かい。
(磯田道史 著『日本史を暴く』中公新書、2022)

 

 こんばんは。先日、ハブ酒を飲む機会がありました。ヘビ部門のお酒にチャレンジしたのは、

 

 人生初。

 

 店員さんに促されるまま、ソーダ割りにして恐る恐る口にしたところ、なんと、ハブではなくハーブの香りがするではありませんか。驚きです。これなら飲める。気になったので「ハブ酒を暴く」とばかりに検索してみたところ、そもそもそういうものなんですね。ハブ酒を作るときには薬草やハーブを使う、云々。

 

 知りませんでした。

 

沖縄料理屋にて(2024.8.30)

 

 修学旅行が明治十年代から始まったということも知りませんでした。職員数の他に、備えるべき動物標本の種類まで全国一律で規定されていたなんていうことも知りませんでした。動物標本からイメージするに、ヘビ部門のお酒をつくって夜な夜な飲んでいた教員もいたのではないでしょうか。歴史学者の磯田道史さんも書いているように、《都合の悪いことは文書に残らない》のが普通ですから。ちなみに当時の修学旅行は《夜遊び自由の修学旅行》だったそうです。子どもが、です。子どもが自由なんだから、教員だって自由だったに違いありません。

 

 令和の教員とは大違いです。

 

 

 令和の政治家とは大違いです。

 

 

 磯田道史さんの『日本史を暴く』を読みました。歴史の授業に役立ちそうだなと思ってちょっと立ち読みしてみたところ、最初のページに織田信長と明智光秀の「仲違い」エピソードが載っていて、これがまたおもしろいんです。子どもたちに紹介したくなるエピソードなんです。さらに、磯田さん曰く、

 

こういう肝になる史実は、教科書には、ない。

 

 史実というところに惹かれます。磯田さんのことは、猪瀬直樹さんとの共著『明治維新で変わらなかった日本の核心』を読んだときに知りました。史実と言い切れるくらいの根拠と知識をもち、猪瀬さんと共著を書けるくらいの魅力と胆力をもち、要するにすごい人なんだろうな、と。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 以下、目次です。

 

 第1章 戦国の怪物たち
 第2章 江戸の殿様・庶民・猫
 第3章 幕末維新の光と闇
 第4章 疫病と災害の歴史に学ぶ

 第1章には13編、第2章には23編、第3章には11編、そして第4章には14編の「現場の一次情報」が載っています。著者が毎日《古文書のホコリと戦いながら》暴いていった日本史の一面です。おもしろくないわけがありません。冒頭の引用は第3章の「修学旅行の始まり」からとりました。第1章と第2章、第4章からも、印象に残ったところを引きます。

 

 まずは第1章に収録されている「秀頼の実父に新候補」より。

 

秀吉が朝鮮出兵で文禄元(1592)年に大阪城を出て、その留守中に淀殿が懐妊している。実の子でないと、秀吉もなんとなく、気付いたふしがある。秀吉は声聞師という祈祷師を追い払い、淀殿周辺の男女を淫らな男女関係を理由に大量に処刑しているからである。この粛清は公家の西洞院時慶の日記によれば「大阪において在陣の留守の女房衆、みだりに男女との義」が罪状とされ、「若公(秀頼公)の御袋(淀殿)家中・女房衆が(秀吉)の御留守に曲事」で処刑された。フロイスによれば「生きたまま火あぶりにされたものや斬られたものは30名を超えた」という。

 

 おもしろい。でも小学生に紹介するにはちょっと微妙かもしれない。ちなみにフロイスというのはイエズス会の宣教師のことです。フロイスも《多くの者は、もとより彼(秀吉)には子種がなく……その息子(秀頼兄・鶴丸)は彼の子ではないと密かに信じていた》と記していたそうです。西洞院時慶の日記とか、フロイスのそれとか、そういったものが残っているんですね。NHKの朝ドラ「虎に翼」の影響で再評価の機運が高まっている、猪瀬直樹さんの『昭和16年夏の敗戦』に《大上段に歴史意識などという言葉をふりかざす前に、記録する意思こそ問われねばならぬ》とありますが、やはり、

 

 記録って大事。

 

 

 続いて第2章に収録されている「カブトムシの日本史」より。これは小学生に紹介するにはもってこいの話です。

 

貝原はカブトムシの大きさと形状を詳細に論じ、ツノの図も載せた。足が6本で羽があり、「口の両脇にヒゲのような物」があると触角の存在も、ちゃんと認識している。「角が上下に動く。首と身に境目がある」とも記しており、素晴らしい観察力である。貝原はカブトムシが好きだったと書きたいが、違う。貝原は最後にこう記す。「その形、悪むべし」。

 

 悪むべしと書いて、にくむべしと読みます。貝原というのは『養生訓』で知られる貝原益軒のこと。小学生に大人気のカブトムシも、当時は今でいうところのゴキブリ扱いだったかもしれないという話です。昆虫や動物などへの日本人の見方・考え方の移り変わりも、文書・遺物などの史料からわかるんですね。やはり、

 

 記録って大事。

 

 最後に、第4章に収録されている「ねやごとにも自粛要請」より。

 

 それだけではない。国家は国民の日常生活へも制限を加えた。疲れると、病気への抵抗力が落ちるからであろう。飲酒はもちろん性行為の回数を減らせとまで布告した。「酒家は絶て禁ずるに及ばざれども、暴飲すべからず、かつ房事(性行為)を節にすべし」である。こんな布告が回ってきても、醍醐家では家来が詰所で丁寧に日記に書写している。

 

 約150年前に起きたパンデミックに対して、明治の新政府がどのように対応したかという記録が、公家の家臣がつけた日記として残っていたそうです。読むと、手洗いうがいの奨励や、換気の要請など、当時の政府も令和の政府と同じような対応をしていたことがわかります。さらに《ねやごと》にも制限を加えるというのだから、

 

 生権力、おそるべし。

 

 磯田さんはそのおそろしい政府について《革命政府たる明治国家は徹底したリアリズムの政権で、パンデミックになると、国民のねやごとにまで嘴を入れた史実を指摘しておく》と書いています。そのおそろしさがわかるのも、私たちがその史実から学ぶことができるのも、記録が残っているからこそ。やはり、

 

 記録って大事。

 

 昨日、2学期がスタートしました。まだ2日しか授業をしていないのに、ハブ酒でも飲んで病気への抵抗力をつけたいくらい疲れています。いつか誰かが令和の教員のおかしな労働実態を史実として指摘することができるように、勤務時間だったり仕事内容だったりを、可能な限り記録しておきたいものです。

 

 教員の労働史を暴く。

 

 おやすみなさい。