田舎教師ときどき都会教師

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勅使河原真衣 著『「能力」の生きづらさをほぐす』より。磯野真穂さんとのトークイベントに参加してきました♬

 最後に。1994年冬、担任にハブられた私に両親は「もう学校行かなくていいよ」と言いました。愛で受け止めてくれたからこそ、翌日も何食わぬ顔をして学校へ行くことを自ら選びました。いつも多様な「正しさ」を見せてくれる両親に感謝します。親孝行するまではこの世を去ってはいけないね。ここからは巻いていきますよ、まだまだお付き合いをお願いします。
(勅使河原真衣『「能力」の生きづらさをほぐす』どく社、2022)

 

 こんばんは。先週の水曜日の夜に、勅使河原真衣さんの『「能力」の生きづらさをほぐす』の刊行記念として行われたトークイベントに参加してきました。イベントのタイトルは「いのちをかけて探究した、他者と生きる知恵」、勅使河原さんの対談相手は執筆伴走を務めた文化人類学者の磯野真穂さん、そして司会は代官山蔦谷書店の人文コンシェルジュとして知られる宮台由美子さんです。

 

 最前列、ゲット。

 

代官山蔦谷書店シェアラウンジにて(2023.3.8)

 

 磯野真穂さんの話を聞きに行こう。今度こそサインをもらおう。そう思ってのチケット購入(書籍付き)だったので、主役である勅使河原さんのことはほとんどというか全く知らないまま、つまり『「能力」の生きづらさをほぐす』は未読のままでの参加となりました。だからまずは人物観察です。勅使河原さんはどうやら、

 

 苅谷剛彦さんのもとで学んでいたらしい。

 

 教育社会学者として知られる、オックスフォード大学教授の苅谷さんのことです。知らない人は検索してみてください。教員として、当然興味がわきます。巻末にある著者紹介の後半には《2017年に組織開発を専門とする、おのみず株式会社を設立し、企業はもちろん、病院、学校などの組織開発を支援する。二児の母。2020年から乳ガン闘病中》とあります。まるで中原淳さんのよう。組織開発や人材開発の研究で知られる、立教大学教授の中原さんのことです。知らない人は検索してみてください。いずれにせよ、教員として、俄然興味がわきます。

 

 

 教育基本法への言及といい、ガン患者だった故・宮野真生子さんとの共著がある磯野さんとの師弟&友人関係といい、それから勅使河原さんの「伴走の8割は質問で、磯野さんの質問力はすごかった。さすがは人類学者」という主旨の発言といい、教員としての興味は無限にわいていきます。

 

 サインをもらって、一言二言話せたらいいな。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 が、不穏な話がときどき出てくるんですよね。勅使河原さんが小学生だったときに、酷い目に遭ったという話です。詳細はわからないものの、担任がろくでもなかった、ということだけはひしひしと伝わってきます。ひしひしが大きすぎて、磯野さんも宮台さんも、それから会場にいる参加者たちも、みんなそろって「ほんと、ろくでもないな、小学校の教員は」と頷いているように見えます。しがない一教員の生きづらさは、ほぐれるどころか増すばかり。やはり『「能力」の生きづらさをほぐす』を読んでから参加すべきだった。そう思っても、後の祭りです。サインをもらうときに、小学校の教員をしています、とはとてもじゃないけれど言えない雰囲気に。なんてことをしてくれたんだ、その担任。誰か「教員」の生きづらさをほぐしてください。

 

 

 勅使河原真衣さんの『「能力」の生きづらさをほぐす』を読みました。母であり、ガン患者でもある勅使河原さんが、行きすぎた能力社会の行方を憂え、生きづらさを抱えるかもしれない未来の我が子に向けて書いた一冊です。ときは、2037年。構成は、対話形式。

 

 母さん、僕は仕事のできない、能力のないやつですか?

 

 母の遺影の前でうなだれている社会人1年目のダイ(23歳)の目の前に、幽霊となった母が現われ、対話を始めます。岸見一郎さんの『嫌われる勇気』をイメージしてもらえば伝わるでしょうか。執筆伴走の磯野さんが言うには、この「対話形式」を採用することが決まってから、勅使河原さんの筆が乗りはじめたとのこと。ちなみにトークイベントのときの勅使河原さんの服装は、幽霊をイメージしたものだったそうです。うん、幽霊なだけに、1ミリも気づかなかった。

 

 目次は以下。

 

 はじめに
 プロローグ 母さん、僕は仕事のできない、能力のないやつですか?
 第1話 能力の乱高下
 第2話 能力の化けの皮剥がし ―― 教育社会学ことはじめ
 第3話 不穏な「求める能力」―― 尖るのを止めた大学
 第4話 能力の泥沼 ―― 誰も知らない本当の私
 第5話 求ム、能力屋さん ―― 人材開発業界の価値
 第6話 爆売れ・リーダーシップ ――「能力」が売れるカラクリ①
 第7話 止まらぬ進化と深化 ――「能力」が売れるカラクリ②あ
 第8話 問題はあなたのメンタル ―― 能力開発の行き着く先
 第9話 葛藤をなくさない ―― 母から子へ
 エピローグ 母さん、ふつうでない私は幸せになれますか?
 伴走者からの言葉 磯野真穂
 あとがき

 

 冒頭に引用した「あとがき」の最後にも触れられている、例の「小学生だったときのエピソード」は、第4話に出てきます。

 横浜生まれの小学4年生だった真衣少女は、リーダーシップにあふれた子として、4年の担任から絶大な信頼を得ていた。しかしその1年後、小学5年生になった真衣少女は、今度は逆にリーダーシップがありすぎるとして、5年の担任に糾弾された。いわゆる「上司が替わると評価も変わる」問題の小学生バージョンです。

 

 でね、忘れもしない1994年12月4日。冬の寒い日に登校すると、朝から一人だけ図書室に行くよう指示されたんだ。そして、その担任は、母さんのいない教室で「彼女のリーダーシップについてみんなで悪い点を挙げましょう」って学級会を開いた。悲しすぎて親に話せないでいたけれど、異様な一日だと感じた同級生が家で保護者に話し、事態が明るみに。結果、校長をはじめ、学校側から謝罪を受けた。

 

 うん、ろくでもない。この母の告白に対して、ダイは《やば。母さんの「能力」へのこだわりは完全に恨みから発している……。しかも死してなお傷が癒えていない。こういうのが地縛霊になるんだろう。》と返しています。日付まで覚えているのだから、相当な深手を負ったのでしょう。でも、その悲しい経験が、勅使河原さんのその後のキャリア(組織開発、「能力」へのこだわり、等々)におもいっきり影響を与えているのだとしたら、やはり教育って難しいなぁと思います。写真家でガン患者の幡野広志さんが『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』というタイトルの本を書いているのに似た難しさです。もしも「ほしかった親」に育てられていたとしたら、幡野さんが今のような大人になっていたのかどうかはわからない。子ども時代にイヤなことがあったからこそ、本を出せるような大人になったのかもしれない。そういった難しさです。

 話を戻すと、担任が替わったくらいで、あるいはクラスが変わったくらいで、リーダーシップという「能力」が乱高下するのはどういうこと(?)というのが勅使河原さんの主張の核です。

 

 これは何?

 

 執筆伴走の磯野さんも同様のことを話していました。曰く、大学ではポジションを得られなかったのに、仕方なく大学の外に出てみてたら、おもしろいって言われて重宝されるようになって、「これは何?」となった、云々。つまり、そういうことです。リーダーシップもフォロワーシップも生きる力も非認知能力も主体性も協調性も、その他もろもろの「能力」も、シチュエーションに左右されるものであり、

 

 絶対的な「ものさし」にはなり得ない。

 

 だから我が子には、そんな曖昧な「能力」に振り回されて、生きづらさを感じるような人生を送ってほしくはない。企業がいかに巧妙にそれらの「能力」を絶対的な「ものさし」として都合よく使ったり、儲けのために売り出したりしているのか、組織開発や人材開発の現場にいて、そのカラクリを熟知している母としては、そのことを伝えずには死にきれない。我が子だけでなく、生きずらさを感じている全ての人たちに、伝えたい。

 

 カラクリ?

 

 第5話以降に書かれている人材開発業界の裏話や「能力」が売れるカラクリについては、教員も知るべき内容です。知れば、文部科学省や教育委員会から降りてくる〇〇力なんていう言葉に振り回されなくてすむかもしれません。

 

 はじめまして。

 

 小学校の教員です。その節は、同業者がアホな指導をしてしまったようで、本当に申し訳ありません。明日、出勤したら、この本を同僚に勧めます。そして《「能力社会」のような大ウソ(欺瞞)》に抗う仲間を増やしていくつもりです(!)とは言えませんでしたが、トークイベント終了後、勅使河原さんにサインをしていただきました。

 

 またお話が聞けますように。

 

 永遠に未完。