あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。
(宇佐見りん『推し、燃ゆ』河出文庫、2023)
おはようございます。昨日の放課後は運動会に向けての校庭整備でした。今日の放課後はプール清掃です。いわゆる「教えない授業」っていうのはもしかしたらこの授業準備という概念の暗示すらない状況に対する苦肉の策として生まれたものなのではないか。そう勘ぐってしまうくらい、
あっという間に定時です。
授業準備の時間なんてどこにもありません。いったい、いつになったら「だけど授業の準備をすることが教員の仕事の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな」って、胸を張って言えるようになるのでしょうか。勤務時間内に授業準備の時間が枠として確保されていないために何気ない私生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいた教員が「教えない授業」に活路を見出したのだとしたら、それは何というか、怪我の功名、瓢箪から駒、
禍転じて福と為す。
ちなみに私は「教えない授業」推しです。汐見稔幸さんの『学校とは何か』に登場する私の師匠もそうでした。教えないのに、否、教えないからこそ、師匠の教室はいつも学びでいっぱい。
宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』読了。タイトルも、冒頭の《推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。》も、この小説が「文藝」に掲載されたとき、著者は21歳になったばかりだったという話も、それから金原ひとみさんの解説も、刺さった。クラスにも「推し」勢がいるから、勧めてみようと思う。#読了 pic.twitter.com/3RvMQajFcB
— CountryTeacher (@HereticsStar) September 10, 2024
先週教室に来てくれた自称「日本一授業がうまい」ゲストティーチャー(学習塾の先生)は、若い頃、1コマの授業準備に10時間かけたと話していました。実際、うまいトークで、さすがは日本一だなと。間違いなく「教える授業」推しだなと。数年前に司法が判断したところの「授業準備は1コマ5分」の公立小学校の教員ではとても太刀打ちできないなと。だからやっぱり「教えない授業」推しを貫くしかありません。だって、6コマだったら60時間。
「推しは命にかかわるからね」
宇佐見りんさんの『推し、燃ゆ』を読みました。第164回芥川賞受賞作。そのユニークな題名を目にしたときからずっと気になっていた一冊です。文庫化されていたので、購入。冒頭からふるっています。
推しが燃えた。ファンを殴ったらしい。
テストだったら120点をつけたくなる始まりです。古典でいえば《国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。》や《我輩は猫である。名前はまだ無い。》、最近の作品でいえば《春が二階から落ちてきた。》や《まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。ブラウンがブルーに仕事を教え、コツを伝授し、ブラウンが年老いたとき、ブルーが後を継いだのだ。物語はそのようにしてはじまる。》に匹敵するのではないでしょうか。ちなみに《我輩は猫である》の「猫」は当時の日本のことを指していて、国際社会においてはまだ無名だったから《名前はまだ無い》と表現されているという話を聞いたことがあるのですが、
本当でしょうか?
夏目漱石の『我輩は猫である』が世に出てきたのは1905年です。日露戦争のまっ最中。その後、日露戦争に勝利した日本は《名前はまだ無い》状態を脱していくわけですが、その約120年後、20歳そこそこの日本人女性によって書かれた小説がイギリスの雑誌に《TikTok世代のキャチャー・イン・ザ・ライ》と評され、全世界で80万部以上も売れるなんて、イギリスに溶け込むことのできなかった漱石に言わせれば、
本当でしょうか?
という心境でしょう。本当です。すごいんです、TikTok世代の日本人は。クラスの子どもたちも「推し活係」なんてつくっちゃって、
すごいんです。
保健室で病院の受診を勧められ、ふたつほど診断名がついた。薬を飲んだら気分が悪くなり、何度も予約をばっくれるうちに、病院に足を運ぶのさえ億劫になった。肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。
主人公は高校2年生のあかり。推し活をしているニューロマイノリティー(発達障害)という設定です。推しているのはアイドルグループの上野真幸。その上野が「燃えた」ところから物語が始まります。推しといい、発達障害といい、小学校の学級担任にとっては身近な話題で、身近な話題だからこそ物語に引き込まれていきます。冒頭の《ファンを殴ったらしい》が後半に生きてくるところなんて、ほんと、巧かったなぁ。ネタバレしないよう、詳しくは書きませんが、児童理解に役立ち、クラスの子どもたち(小学6年生)にも勧めたくなる《TikTok世代のキャチャー・イン・ザ・ライ》。
この本、推します。
行ってきます。