田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

高野秀行、清水克行 著『世界の辺境とハードボイルド室町時代』より。空前絶後の奇書!

清水 僕もいくらか農村調査はやってきましたけど、確かに今はもう日本の農村に行っても、戦前の暮らしが垣間見えればいい方で、とても前近代は体感できないんですよね。だから、これから前近代史研究を志す人は世界の辺境に行ってみた方がいいのかもしれません。学ぶところがきっと多いんじゃないかと思います。
高野 辺境を知ろうとするときに歴史が役に立つみたいに、歴史を考えるときに辺境での見聞が役に立つということですか。
清水 中世史の研究者も、古文書だけから理論を立ち上げているわけではまったくなくて。そうでもしないと、想像もつかない世界のことを叙述するのはたぶん無理なんで。(高野秀行、清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』集英社文庫、2019)

 

 こんばんは。農村調査でも世界の辺境でもないですが、先日、縁あって福島県の西南にある只見町に行ってきました。豊かな森林資源や田子倉ダムで知られる、人口3500人の小さな町です。

 

只見駅(2024.9.22)

 

田子倉ダム(2024.9.22)

 

森林の分校ふざわ(2024.9.22)

 

名物のマトンでBBQ(2024.9.22)

 

酒蔵見学(2024.9.22)

 

 故・城山三郎(1927-2007)の『黄金峡』の舞台となった田子倉ダムを見学したり、絶景だらけの秘境鉄道として知られる只見線に乗ったり、かつては小学校だった「森林の分校ふざわ」でマトンBBQをしたり、合同会社ねっか奥会津蒸留所で酒元さんの話を聞きながら焼酎を飲んだり。控えめに言って最高でした。ちなみに町民が3500人しかいないのに、只見町が近隣自治体に吸収合併されることなくやっていけるのは、町議会議員さん曰く、

 

「ダムがあるから」です。

 

 原発と同じ構造です。電力供給地には、国から、お金が出る。なるほど。とはいえ、人口はどんどん減っているとのこと。酒蔵見学の際、自身は移住者だというねっかの社長さんが「只見町にある3つの小学校(全て複式学級)の5年生の子どもたちを招いて、米づくりだったり酒づくりだったりを教えている。収穫した米は、焼酎にして、寝かせて、20歳のときにみんなで再び集まって、飲む」という話をしてくれました。人口減に歯止めをかけるためには、子どもたちが残ってくれるような、或いは戻ってきてくれるような町づくりの工夫が必要不可欠というわけです。それにしても、町議会議員さんといい、蔵元さんといい、その他のみなさんといい、

 

 一人残らずいい人だったなぁ。

 

 

 

 いい人に出会うと、また行きたくなります。今回、只見町に滞在した時間は、約26時間。

 

「二十六時間」と私は言った。

 

「三十六時間」と私は言った。時計を見る必要もなかった。地球が一回半自転するだけの時間だ。その間に朝刊が二回と夕刊が一回配達される。目覚まし時計が二回鳴り、男たちは二回髭を剃る。運の良い人間はそのあいだに二回か三回性交するかもしれない。三十六時間とはそれだけの時間だ。

 

 残念ながら、村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』でいうところの「36時間」には到達しませんでした。運良く、

 

 また行けますように。

 

 

 高野秀行さんと清水克行さんの『世界の辺境とハードボイルド室町時代』を読みました。前置きが長くなってしまったので長々と紹介することはしませんが、読後すぐに関連図書の『辺境の怪書、歴史の驚書、ハードボイルド読書合戦』をポチッとしてしまうくらい、知的に興奮させてくれる対談集(探検家 VS. 歴史学者)でした。社会科の歴史の授業に役立つという意味で、特に小学6年生の学級担任にお勧めです。

 

 以下、目次より。

 

 はじめに
 第1章 かぶりすぎている室町時代とソマリ社会
 第2章 未来に向かってバックせよ!
 第3章 伊達政宗のイタい恋
 第4章 独裁者は平和がお好き
 第5章 異端のふたりにできること
 第6章 むしろ特殊な現代日本
 おわりに
 追 章 文庫化記念対談
 解 説 柳下殻一郎

 清水さんの処女作である『喧嘩両成敗の誕生』に登場する室町時代の日本人と、高野さんの『謎の独立国家ソマリランド』に登場する現代のソマリ人が、

 

 よく似ている!

 

 ツイッターにそういった主旨のツイートが流れていたことがきっかけで、この『世界の辺境とハードボイルド室町時代』が生まれたそうです。ちなみにそのツイートの主が、終盤、サプライズで登場する場面があって、びっくり。第3章に出てくる伊達政宗のイタい恋にも、

 

 びっくり。

 

清水 仲間として一緒に戦えるわけですよね。合理的ですよね。
 伊達政宗がラブレターというか、恋人である男の子にあてた手紙も残っているんですよ。「俺は浮気はしていない。お前だけなんだ」ということを女々しく書き連ねていて、「愛の証しのために、今すぐ腕に刀を立ててもいい」と言っているんです。

 

 その古文書を最初に読んだ歴史学者は驚いただろうな。疑問もたくさん浮かんだだろうな。6年生の子どもたちだって、この話を知ったら驚くだろうな。歴史学者に負けず劣らず、問いも生まれるだろうな。仲間として一緒に戦えるとはどういうことなのか。恋人である男の子とはどういうことなのか。古文書って何なのか。エトセトラエトセトラ。次のやりとりも、

 

 授業で紹介したい。

 

高野 ほう、じゃ、武田の騎馬隊は?
清水 存在しなかっただろうって言われているんですよ。
高野 ええっ? 存在しないんですか。本当ですか。
清水 そうなんですよ。長篠の戦いで織田の鉄砲隊と武田の騎馬隊が激突したと言われていますけど……。
高野 ありえないと。

 

 ええっ? 教科書や資料集に載っている武田の騎馬隊の挿絵は「ありえない」という話です。探検家である高野さんも、びっくり。本当でしょうか。第4章に出てくるこの話もまた、子どもたちに投げかけて、意見を聞きたくなります。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 最後にもうひとつ。

 

 それにしても、脚注の単語だけながめてみても、この本は何が主題であるのかよくわからない本である。「ジャン=リュック・ゴダール」と「白村江の戦い」と「スーフィー」と「キジムナー」と「角幡唯介」が、一冊の本で語られるというのは空前絶後のことではなかろうか。本書は間違いなく「奇書」である。

 

 清水さんの「おわりに」より。《角幡唯介》というところに、探検家に対する清水さんの「愛」を感じました。『極夜行』などで知られる角幡さんは、高野さんの後輩(早稲田大学の探検部)にあたります。

 極夜ほどではないものの、朝晩、少し涼しくなってきました。秋の夜長に「空前絶後の奇書」を、

 

 どうでしょうか。

 

 おやすみなさい。