文化人類学者のクリフォード・ギアツは、私たちとは遠く離れたよその山あいで羊を守る人々が語る言葉の中に、人間として生きることの根源的な問いを忍ばせることが、文化人類学者の使命の一つだと述べている。このギアツの言葉にならい、私は「拒食や過食がやめられない」という一見大多数の人とはかけ離れた女性の人生の中に、人が食べて生きることの根源的な意味を見出したいと思う。彼女たちの問題を、すべての人の問題として開きたいと思う。
(磯野真穂『なぜふつうに食べられないのか』春秋社、2015)
こんばんは。カッコいい文章です。文章フェチにはたまりません。クリフォード・ギアツって、いったい何者なのでしょうか。サウンド的には「勇者」な感じがします。しかも羊ですよ、羊。羊といえば村上春樹さんの『羊をめぐる冒険』を連想します。全ての人に開かれた「根源的な問い」をめぐる冒険。のっけから惹きつけるなぁなんて思いながら「はじめに」を読み終え、目次を挟んで「序章」に進むと、伏線を回収するかのように《パン屋のリアリティーはパンの中に存在するのであって、小麦粉の中にあるのではない》という村上春樹さんの言葉が引用されていて、ホント、うますぎるなぁ。
磯野真穂さんって、いったい何者?
発達障害や緘黙症、摂食障害など、長く教員をやっていると「もっと詳しく、そして多面的に理解したい」と思うことがたくさん出てきます。クラスに発達障害の子がいれば発達障害について書かれた本を読みたくなるし、摂食障害の子がいれば摂食障害について書かれた本を読みたくなります。
そして実際に読んで、いつも思います。全くわくわくしない。羊も出てこないし、1ミリもリーダブルじゃないって。まぁ、内容が内容だけに、当然といえば当然なのですが、だからこそ摂食障害のことを知りたいと思ったときに手にした『なぜふつうに食べられないのか』は驚きでした。わくわくする読み物になる可能性に夢をかけていることが、著者の他者を想うやさしさとともに、ダイレクトに伝わってきたからです。
磯野真穂さんって、いったい何者?
そんなわけで磯野真穂さんの代表作である『ダイエット幻想』を読み、続けて宮野真生子さんとの共著である『急に具合が悪くなる』も読みました。それぞれを読んで考えたことをブログに書いたら、Twitter経由で磯野真穂さん御本人からコメントをいただくというしあわせにも恵まれました。
そして昨夜、ついにリアル磯野真穂さんを目にすることができました。場所は代官山の蔦谷書店。主な登場人物は文化人類学者と哲学者、それから企画人のコンシェルジェさんです。羊をめぐる冒険のハイライト、はじまりはじまり~。
文化人類学者の磯野真穂さんと哲学者の古田徹也さんの「本当が届き、本当が返ってくる」対談。聞き応え十分な1時間半でした。すでに本に書かれていることも含めて、磯野さんの次のような話が印象に残りました。
- 10代の私にどんな言葉をかければいいか。そう考えて書いたのが『ダイエット幻想』だった。
- いい女性になろうということと、ちゃんとした人間になろうということが、バッティングする。そこで悩む女性がいる。
- なぜ女はやせようとするのか。「やせることで不安がなくなる」というときの不安って何なのか。
- チンパンジーは絶望しない。人間は不安になり、絶望する。その不安は「連想」から来るのではないか。霊長類学者の山極壽一さんは「円があったら、人間の子どもはそこに目や口をつけたすが、チンパンジーはグルグルとなぞることしかしない」という。それはきっと、人間が「連想」するから。だから人間は絶望するし、逆に、希望ももつ。
- 食べ物を多面的に見られなくなるのは、閉じた連想。
- 不安なときは余計なものを取り込めなくなる。
- 摂食障害によくある話だが、不運を物語に落とし込むと余計に苦しくなる。
古田さんの話も含めて、他にもたくさんあったのですが、いちばん「う~ん」となったのは、磯野さんの次のひとことです。
「残っているのがその他というのが苦しい」
宮野真生子さんとの往復書簡『急に具合が悪くなる』の話です。あの本は宮野さんの本であり、私は「その他」に過ぎない、とのこと。その他に過ぎないのに、生き残っているのが私だなんて……。戦争を生き抜いた人が「なんで私が生き残って、あいつは死んでしまったのか」と悩んだり苦しんだりするという話と似ているかもしれません。とはいえ「磯野真穂さんって、いったい何者?」というところから『急に具合が悪くなる』にたどり着いた身としては、あの本は「二人の魂」の本であって、決してどちらか一人の本とは思えません。だから「死者を語ることの暴力性」という文脈で、磯野さんが厳しい批判を受けたという話が出てきたときには、それこそ「苦しく」思いました。
レベルも次元も全く異なりますが、最後にひとこと。本を自宅に置き忘れて、サインをもらい損ねました。
悲しい。