田舎教師ときどき都会教師

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勅使川原真衣 著『働くということ』より。他者と何かを仕合うことで「仕合わせ」になる。

 しかしながら、私たちの社会は、「自立」を目指すばかりに、本来組み合わさってなんぼの人間を「個人」に分断し、序列をつけて「競争」させる ―― これを学校で、職場で、こと現代はしこたまやりすぎました。そこから生まれたものは、冒頭からお伝えのとおり、大多数の方々の「生きづらさ」に他ならないのではないでしょうか。
(勅使川原真衣『働くということ』集英社新書、2024)

 

 こんばんは。引用にある《本来組み合わさってなんぼの人間》って、書いてることスピノザじゃん(!)と思ったそこのあなた。正解です。著者である勅使川原真衣さんも、かつてコンサルをしていたときに「やってることスピノザじゃん」と言われたことがあるそうです。出版記念のトークイベントの際、編集担当の藁谷浩一さんの隣で、ご本人がそう話していました。二人の組み合わせも、

 

 善い。

 

新宿紀伊國屋本店にて(2024.618)

 

www.countryteacher.tokyo

 

 スピノザ曰く《例えば、音楽は憂鬱の人には善く、悲傷の人には悪しく、聾者には善くも悪しくもない》云々。勅使川原さん曰く《組み合わせの良し悪しこそあれど、個に良し悪しはないのです》云々。

 

 誰と同じ学年を組むか。

 

 小学校の学級担任でいうと、そういうことです。大事なのは「どの学年をもつか」よりも「誰と同じ学年を組むか」。要は大人の組み合わせ。人事権も予算権もないといわれている校長の最大の腕の見せ所でしょう。ちなみにここ数年、私は組み合わせに恵まれています。同じ学年の先生はそう思っていないかもしれませんが、いずれにせよ、恵まれていると仕事のモチベーションやパフォーマンスが上がるんですよね。逆に言うと、大人の組み合わせが悪いとモチベーションもパフォーマンスも下がるということです。つまり、人の能力なんて、

 

 組み合わさってなんぼ。

 

 

 勅使川原さんの本を読むことはなぜこんなに奥深いのか。なぜならば、勅使川原さんの人間観が「能力主義」を超えたところにあるから。しこたまやりすぎてしまった「能力主義」を、勅使川原さんの『働くということ』を道標にして、一緒に、

 

 超えましょう。

 

 

 勅使川原真衣さんの『働くということ 「能力主義」を超えて』を読みました。「能力」の生きづらさを劇的にほぐしてくれた処女作に続く、待望の2作目です。

 

 目次は以下。

 

 プロローグ 働くということ ――「選ぶ」「選ばれる」の考察から
 序 章 「選ばれたい」の興りと違和感
 第一章 「選ぶ」「選ばれる」の実相 ―― 能力の急所
 第二章 「関係性」の勘所 ―― 働くとはどういうことか
 第三章    実践のモメント
 終 章 「選ばれし者」の幕切れへ ―― 労働、教育、社会

 

 かぎ括弧が多用されています。ちなみにタイトルやサブタイトルに使われているかぎ括弧には、その言葉を疑ってみましょうという意味が含まれているとのこと。トークイベントのときに勅使河原さんがそんなふうに話していました。だから前作の「能力」と同様に、今作の「能力主義」も絶対的なものではなく、疑い、超える対象としてとらえなければいけません。

 

「能力主義」を超えた先には何があるのか。

 

 ずばり、我が子や教え子を安心して送り出せる社会でしょう。そしてその社会では、「能力主義」を超えた勅使川原さんの人間観がデフォルトになっているはずです。どんな人間観なのかといえば、

 

 これです。

 

「有能」になることや、「自立」すること、人と「競争」することのために、生きているわけではありません。人と人が組み合わさって、助け合うことが生きることなのです。

 

 教育の世界でいうところの西川純さんの『学び合い』の人間観に近いでしょうか。トークイベントのときに司会を務めていた紀伊國屋書店の星真一さんも、この仕合わせな人間観に光を当てていました。

 

 幸せではなく、仕合わせ。

 

 かつて「しあわせ」を「仕合わせ」と書いていた日本人にとっては、もしかしたら原点回帰なのかもしれません。勅使川原さんの話を聞きながら、そんなふうにも思いました。他者と何かを仕合うことで「仕合わせ」になる。レゴブロックで例えれば、我が子と一緒にさまざまなブロックを組み合わせて巨大な船をつくり、「仕合わせ」になる。

 

 えっ、レゴブロック?

 

 ここで思考実験してみたいのは、「優秀」とはレゴブロックで言うならばどういう状態なのかということです。

 

 さて、どういう状態でしょうか。色も形も大きさも違う個々のブロックに対して「優秀」とは。あるいは「優秀ではない」とは。

 

 もうおわかりでしょう。

 

 翻って人間界を考えると、こんなことになっているような気がするのは私だけでしょうか。この小さな小さなブロック一つひとつに対してまでも、「かっこいい『優秀な』船になれ!」と要求している ―― 組み合わせれば、皆で見たことのない壮大な景色を見ることができるかもしれないのに。

 

 そういうことです。大切なのは、「有能」とか「自立」とか「競争」ではなく、喜びをもたらす組み合わせを見つけること。

 

 言ってることスピノザじゃん。

 

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 スピノザに始まり、スピノザで終えようとしていますが、もちろん『働くということ』に書かれていることはそれだけではありません。白眉は「能力主義」の代案、すなわち第三章の「実践のモメント」にあります。えっ、気になる(!)と思ったそこのあなた。

 

 ぜひ購入して読んでみてください。

 

 おやすみなさい。