田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、旅行、映画」

恩田陸 著『夜のピクニック』より。コミュニケーションの質は、シチュエーションに左右される。

 だが、こんな話を忍の口から聞くのは面白かった。一見クールに見える忍が見かけによらず「熱く語る」奴だというのも意外だったし、夜遅く歩きながら融の性格について話をするなんて思いもよらなかった。いつのまにか、足の痛みを忘れていたことに気付く。
 なぜか、その時、初めて歩行祭だという実感が湧いた。
 こうして、夜中に、昼間ならば絶対に語れないようなことを語っている今こそが ―― 全身痛みでボロボロなんだけど、顔も見えない真っ暗なところで話をしながら頷いているのが、あたしの歩行祭なのだと。
(恩田陸『夜のピクニック』新潮文庫、2006)

 

 おはようございます。コロナの感染拡大が続いていて、朝だろうと昼だろうと夜だろうとピクニックどころではありません。いったい、この緊急事態はいつになったら終わるのでしょうか。このままだと2学期に予定している宿泊行事が中止になって、クラスの子どもたちに《昼間ならば絶対に語れないようなことを語っている今こそが》コミュニケーションの醍醐味なのだということを伝えることができなくなります。5年生のときもコロナでNG(中止)でした。6年生の1学期もコロナでNG(延期)でした。もしも2学期の宿泊行事もコロナでNG(中止)になったら、子どもたちは夜のピクニック的なコミュニケーションを一度も体験しないまま卒業式を迎えることになります。可哀想に。

 

 みんなで、夜歩く。
 みんなで、夜話す。

 

 たったそれだけのことが、どうしてこんなに特別なことになるんだろうねって、西脇融や戸田忍や甲田貴子や遊佐美和子のように、子どもたちにも体感してほしい。担任は、切にそう願います。

 

 

 恩田陸さんの『夜のピクニック』を読みました。初・恩田ワールドです。読み終えた後に Wikipedia を覗いたところ、女性と書いてあって、びっくり。昔の教え子に「陸」っていう男の子がいたので、それも二人いたので、勝手に男性をイメージしていました。そうか、恩田さんは女性だったのか。読んでいるときに高校生の長女に勧めたくなったのは、そういうわけだったんだ。

 男性が描く青春小説よりも、女性の手によるそれの方が、登場人物(♀)の造形が長女の実態に近い。まぁ、当然です。加えてこの小説には「なんで私のことが書いてあるんだろう」って、そう感じさせてくれる村上春樹的なよさがある。だからきっと、高校生の貴子や美和子に長女はシンパシーを感じるに違いない。エンパシーも感じるに違いない。そう思ったというわけです。

 

 例えば、以下。

 

 好きという感情には、答えがない。何が解決策なのか、誰も教えてくれないし、自分でもなかなか見つけられない。自分の中で後生大事に抱えてうろうろするしかないのだ。
 好きという気持ちには、どうやって区切りをつければいいのだろう。

 

 高校生(♀)っぽい。

 

 長女に勧めたいと思ったのにはもうひとつ理由があって、それは長女の高校もコロナの影響で宿泊行事がNGになっているからです。長女、めちゃくちゃ楽しみにしていたのにな。可哀想に。

 だからせめて、著者の母校の行事「歩く会」(小説では「歩行祭」)をモデルにしたという『夜のピクニック』を読んで、主人公の貴子が言うところの《「これって、凄く青春っぽくない?」》の「青春っぽさ」を疑似体験してほしい。読者として「歩行祭」に参加し、融や忍や貴子や美和子と一緒に80kmの道のりを夜を徹して歩くことで、コミュニケーションの醍醐味を味わってほしい。ステイホームなんて口にせざるを得ないパパは、そう思ったというわけです。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 コミュニケーションの質は、シチュエーションに左右される。

 

 80㎞の歩行祭を終えたときに、すなわち全447頁を読み終えたときに、上記のブログに書いたことを思い出しました。コミュニケーションの本質とは(?)という内容です。恩田さんは、コミュニケーションの本質がよくわかっている。わかりすぎるくらいよくわかっている。

 

 コミュニケーションを深めようと思ったら、夜を深めればいい。

 

 教室から離れて、メンバーも少なくするといい。歩行祭という舞台はその条件にうってつけ。しかも高校生活の最後という、これまたコミュニケーションの本質、すなわち「最後だから何でも言える」的なシチュエーションになっていて、さすがの第2回本屋大賞&第26回吉川英治文学新人賞受賞作です。

 

 例えば、以下。

 

「いいや。他人に対する優しさが、大人の優しさなんだよねえ。引き算の優しさ、というか」
 貴子はまた笑い出した。
「なんか戸田君、凄くない? 梨香より脚本家に向いてるかも」
「へえ、自分の知らない才能を発見したかな ―― 大体、俺らみたいなガキの優しさって、プラスの優しさじゃん。何かしてあげるとか、文字通り何かあげるとかさ。でも、君らの場合は、何もしないでくれる優しさなんだよな。それって、大人だと思うんだ」

 

 なんか戸田君、深くない(?)。シチュエーションの為せる業です。闇が深くなるにつれて、コミュニケーションも深くなっていく。小学生の宿泊行事でいえば、消灯後に「実は~」なんて会話が増えていくのと同じです。ちなみにこれは冒頭の引用の直前にある戸田忍と甲田貴子のやりとりです。戸田君に相当するような男の子、長女の学校にはいるのかなぁ。

 

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コミュニケーションの質は、シチュエーションに左右される

 

 先日、某所にて《「最後だから何でも言える」というコミュニケーションを普段からできればいいのに》という名言で知られる若者と1年ぶりにご飯を食べました。コミュニケーションの質を高くするべく、シチュエーションを高くしてみましたが、やはり夜とお酒がほしいなと思ったのが正直なところです。いつになったら気兼ねなく夜のピクニックができるようになるのでしょうか。その若者が言うところの「最後だから何でも言える」というコミュニケーションを、貴子は、もうひとりの主人公である融と、クライマックスの場面で愛しみます。

 

 これって、凄く青春っぽくない?

 

 長女の感想や如何に。