田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

小川糸 著『私の夢は』より。生きている限り、夢は増えていくもの。

 日本に戻ってきて、人工物の多さにぎょっとした。ウランバートルは大都会だけど、そこから車で30分も走れば、もう電気もない大草原だったから。日本の町並みを見て、よくぞここまでいろんな物を作ったなぁ、と感心してしまう。
 そして、人の多さにもびっくりした。渋谷で電車を乗り換えるだけで、3週間、モンゴルで出会った人の数を、はるかにしのぐ数の人達とすれ違った。
 今までの私だったら、ここで、あーあ、と思っていた。でももう、どんなに人工物を目の当たりにしても、その向こうに、草原が見える。はっきりと、緩やかな丘のような山並みが、見えるのだ。そこには、羊の群れもいるし、人の営みを守る小さなゲルもある。そしてもう一人の私が、その草原で、自由に馬に乗り、大地に手足を広げて、ゴロンしている。
(小川糸『私の夢は』幻冬舎文庫、2012)

 

 こんばんは。昨日は熱中症警戒アラートが出ていたにもかかわらず、近隣の学校がやっているからという理由で朝からプール指導でした。一昨日までは熱中症警戒アラートが発表された時点で中止だったのに、なぜ、簡単に判断基準を変えてしまうのでしょうか。

 

 あーあ。

 

 橋下治さんいうところの「上司は思いつきでものを言う」を地で行く展開にうんざりしていましたが、その同じ瞬間、もしかするとモンゴルの草原で羊の群れが大移動しているかもしれないって、そう思うことができたら、あるいはアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれないって、そう思うことができたら、小川糸さんが書いているように「あーあ」とは思わなくなるのかもしれません。星野道夫さんの『旅をする木』にも《ぼくたちが毎日を生きている同じ瞬間、もうひとつの時間が、確実に、ゆったりと流れている。日々の暮らしの中で、心の片隅にそのことを意識できるかどうか、それは、天と地の差ほど大きい》とあります。だから、よく生きるために、

 

 人は旅をする。

 

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 とはいえ、モンゴルにもアラスカにも行けないので、昨日は退勤後にちょっと遠出をして「あーあ」を鎮めてきました。朱野帰子さんの『オイスター・ウォーズ』に感化されての酔り道です。読むと旅をしたくなったり、読むと食べたくなったりする小説やエッセイっていいものですよね。沢木耕太郎さんの『旅のつばくろ』然り、渡辺淳子さんの『東京近江寮食堂』然り。小川糸さんの「美味しい旅エッセイ」も、そういった類いの一冊です。

 

 

 小川糸さんの『私の夢は』を読みました。2010年の1年間に書かれた日記を「美味しい旅エッセイ」としてまとめたもので、文庫の帯には《旅先で出会った、忘れられない味と人々》とあります。読後の感想文にタイトルをつけるとしたら、忘れられない生き方、となるでしょうか。カナダとかモンゴルとか石垣島とか、ふわふわワッフルとか羊のドラ蒸しとかベスト・オブ・クラムチャウダーとか。行きたくなって、食べたくなって、

 

 私の夢も増えていく。

 

 2010年の1月5日から12月31日まで、収録されている日記は150日分。冒頭の引用に続けるかたちで、その中からいくつかを紹介します。なお、忘れられない味については、どれもこれもあまりにも美味しそうで、いくつかに絞ることができなかったので、ぜひ手にとって読んでみてください。

 冒頭の引用は「楽しかったこと」(7月27日)からとりました。星野道夫さんも同じようなことを書いていたなって、そう思いながら読み進めていたところ、途中「道夫さんと直子さん」(9月15日)というタイトルの日記が出てきて、

 

 おっ!

 

 そして、私が今とても行きたいと思っている場所は、道夫さんと直子さんが、結婚後すぐに訪ねた所。ハネムーン旅行のようなものだったという。そのことも本の中で語られていた。淡々と綴られているからこそ、最後が本当に切なくなる本だった。
 偉大な人ほど、ある面では平凡なのかもしれない。道夫さんも、そして直子さんも。

 

 小川さんが言及しているのは星野道夫さんと直子さんとの共著『星野道夫と見た風景』です。道夫さんも直子さんも、それから島だろうが海外だろうが《私が今とても行きたいと思っている場所》に行ってしまう小川さんも、偉大だなぁと思います。周囲に流されることなく、大小さまざまな夢をかたちにする力があるからです。ボーッと生きていたり、近隣の学校がやっているからという理由で「水泳OK!」なんてしていたりすると、時間だけがどんどん過ぎていって、

 

 夢はいつまで経っても夢のまま。

 

 会おうと思えばいつでも会えると思える人には絶対に会えないし、行こうと思えばいつでも行けると思える場所にも絶対に行けません。先立つものも必要ですが、おそらく大切なのは、道夫さんや直子さんや小川さんが持っているような、確固たる「自分のものさし」なのでしょう。3人とも、偉大です。もちろん、ペンギンも。

 

 ペンギンと見た風景。

 

 昨日のスタンレー公園に行った時もそうだった。道を歩きながら通り過ぎる人たちに、「Hello!」「Hi!」と声をかける。富士山で、人とすれ違う時のように。笑顔で返事をしてくれる人もいれば、そのまま通り過ぎる人もいるけど。カナダでも、積極的に挨拶運動を展開しているペンギンが、ほほえましい。

 

 8月8日の「ハローおじさん」より。ペンギンというのは小川さんの旦那さんのことです。ペンギンというネーミングからして、ほほえましい関係の夫婦を想像できます。調べたところ、出会った当時の小川さんの年齢は21歳、旦那さんは47歳。いわゆる年の差婚です。しかも26歳差。こういったところも偉大だなぁと思います。反対もあっただろうに。村上春樹さんが『ダンス・ダンス・ダンス』に書いていた《他人が僕をどのように見なそうと、それは僕には関係のない問題だった。それは僕の問題というよりはむしろ彼らの問題なのだ》を思い出します。ちなみに星野家の場合も、道夫さんが39歳、直子さんが22歳のときにお見合いをしてすぐに結婚したそうなので、うん、偉大だ。もしも星野道夫さんがまだ生きていたら、両家の対談本が出ていたかもしれません。

 

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 すっかり恋をしてしまって、また夢が増えた。

 

 周囲に流されることなく、自分のものさしを大切にして、まっすぐに生きている限り、夢は増えていくもの。

 

 そのことを、子どもたちに伝え続けたい。

 

 これが、一番新しく誕生した私の夢です。