私はいろいろな国で育ち、知らず知らずのうちに価値観の混ざった人間に育ってしまった。日本の文化の家庭に生まれ、外国の地で育った。様々な国の良い所と悪い所を見て、自分でいい所だけを取るように心がけていた。そして、放浪の暮らしをしているうちに、自分の中に独自の価値観ができ上がり、他の人の価値観との摩擦が起きてしまったような気がする。自分の文化がはっきりと分かっているということ、それは素晴らしい宝物だ。昔もこれからも、私は文化的に中途半端な人間なのかもしれない。でもそれは私であり、中途半端さを取ってしまったら、本当の私ではなくなってしまう。自分の生き方に誇りを持っていれば、それでいいんだろう。踊るマサイの子供達は、誇らしげに光っていた。
(滝田明日香『晴れ、ときどきサバンナ』幻冬舎文庫、2007)
こんばんは。昨日、子どもたちを帰した後に襲いかかってきた「疲れ」はサバンナのライオンなみに獰猛でした。まだ3学期の1週目なのに、あの「疲れ」は異常です。働き方改革やウェルビーイングが叫ばれている世の中とはとても思えません。だから「さようなら」をした後すぐに、
年休2。
で、遠出して、教育哲学者の近内悠太さんの連続講座「ケアと利他、ときどきアナキズム」に参加してきました。疲れには「ケア」が必要というわけです。電車を乗り継ぎ、最寄り駅を降りてから、
まずは腹ごしらえ。
牡蠣は美味しい。講座の前だったのに、思わずビールも飲んでしまいました。それくらい疲れていたというわけです。
ウェルビーイングから遠く離れて。
近内さんはこう話していました。そもそもなぜ僕らはデフォルトでウェルビーイングであることができないのか。進化を経て高度な社会的能力を獲得したはずなのに、なぜ猫のような安寧の獲得に失敗し続けているのか。
おもしろい。
教育哲学者の近内悠太さんが「夏目漱石の『こころ』はセルフケアの失敗をテーマにした物語。セルフケアはタイミングが大事」と話しているのを聞いて、村上春樹さんの『女のいない男たち』に出てくる《おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ》という台詞を思い出す。セルフケアと傷と、物語。
— CountryTeacher (@HereticsStar) January 12, 2024
ウェルビーイングの話もおもしろいし、夏目漱石の『こころ』の話もおもしろいし、聞いているだけで「ケア」されていく感覚になるのが近内さんのトークの魅力です。ウェルビーイングにつなげるかたちで、こんな話もしていました。曰く「現代に生きる僕らは、大切にしているものが一人ひとりズレている。それが多様性の時代である。だからこそ、一人ひとりの物語が語られねばならない」って。学校教育でいうところの個に応じた指導ですね。続けて「私の物語を贈与すること。そこにウェルビーイングに至る道がある」云々。
私の物語を贈与すること。
沢木耕太郎さんの『深夜特急』も、贈与だったのかもしれない。だからバックパッカーのバイブルって言われているのかもしれない。かつて私も(なんちゃって)バックパッカーだったゆえ、遡及的にそう思いました。滝田明日香さんの『晴れ、ときどきサバンナ』も、そういった類いの一冊です。
滝田明日香さんの『晴れ、ときどきサバンナ』を読みました。アフリカにドハマリし、徐々に野生動物化していく女子大生(著者、75年生まれ)のリアル・ドキュメントです。その内容はまさに近内さんいうところの「私の物語」。
以下、目次です。
プロローグ
第1章 ケニアで大学生
第2章 地平線を見下ろす職場
第3章 再びアフリカへ
第4章 凍えるレソトから灼熱のザンビアへ
あとがき
文庫版あとがき
「明日香、お前来年は一学期間休学して、ケニアに行きなさい」
シカゴにいる父からの電話だった。
プロローグの冒頭より。電話を受けている明日香さん(当時20歳)はこのときアメリカにいて、ニューヨークの大学に通っています。この突然の電話がきっかけとなって、滝田明日香さんの人生が『晴れ、ときどきサバンナ』へとシフトしていくわけですが、教員としてはこう思います。
やはりお金持ち。
格差社会ですね。曇りなき眼で「元旦から早朝マックでした」なんていう小学生がいる一方で、「6歳で日本を出てその後シンガポールとフィリピンで7年過ごしてそれからアメリカに渡り、やがてケニアへ」なんていうワールドワイドな人生を辿っている大学生もいるわけです。まぁ、でも、仕方ありません。何といっても多様性の時代ですから。滝田さんはシンガポールの動物園とバード・パーク(鳥類園)が《私の動物好きの原点》と書きます。滝田さんの現在の職業は、サバンナの獣医師。つまり、小学生時代の体験がその後の人生に影響を与えているというわけです。
やはり初等教育。
小さい頃は太っていたため、何かといじめられた。人に対して素直に心を開けない子だった。いつもつまらない仮面をかぶって、感情を人に悟られないようにしていたような気がする。子供の頃の写真を見てみると、しかめっ面しかしていない。全くかわいくないガキである。
そんな《全くかわいくないガキ》が、やがてはサバンナの動物たちを守る「獣の女医」となり、日本の小学生向けに描いた絵本「牙なしゾウのレマ」を出版したり、新聞記者の三浦英之さんの取材を受けたりするようになるのだから、人生なんてわからないものです。ちなみに私が『晴れ、ときどきサバンナ』を読もうと思ったきっかけは、三浦さんの『牙』です。『牙』には次のようにあります。
『晴れ、ときどきサバンナ』はニューヨークで大学生をしていた滝田が動物学者になることを夢見てアフリカへと渡り、アフリカ各地を旅したり、自然保護区内のロッジで働いたりしながら、最終的にはナイロビ大学で獣医師になるための勉強を始めるまでの心の葛藤を描いた青春記だったが、滝田の本にはこれまで幾多ものジャーナリストや旅行者によって著されてきた「アフリカ本」にありがちな、アフリカの自然を極端に美化したり、犯罪やテロを大袈裟に誇張したりしている箇所が少なく、20代の女性(書籍の執筆時、彼女はまだ25歳だった!)が見たありのままのアフリカの姿が瑞々しい感性によって描かれているような気がして、長い間、私が最も気に入っているアフリカ関連の書籍の1つであり続けていた。
どうでしょうか。読みたくなりますよね。三浦さんの『牙』とセットでの並行読書をお勧めします。
三浦さんが驚いているように《書籍の執筆時、彼女はまだ25歳だった!》んですよね。私も驚きました。滝田さんは中学生になってからは現地校(アメリカ)に通っていたそうなので、小学生までしか「国語」の授業(シンガポールとフィリピンの日本人学校)を受けていないはずです。それなのに、こんなに美しい日本語で「私の物語」を綴ることができるなんて、
才能格差ですね。
この土地は美しい。アカシアにかかる朝日、風が走りゆく草原、うねりながら流れていくマラ川、サバンナの地平線に沈む夕日・・・・・・。何をとっても美しかった。私が作家か、もしくは小学校以上の日本語教育を受けていたのなら、他にも表現の仕方があったのかもしれない。しかし、私にとってマサイ・マラはただ、ただ、「美しい」のである。そんな美しい土地にこの先も住めることを心から感謝した。
近内さんが講座の最後に「美だけは人類共通の価値」というようなことを話していました。真善美の「美」です。「真」や「善」は時代背景や社会状況などによって変わってしまう相対的なもの。でも「美」は違う。「美」だけは絶対的なもの。
マサイ・マラ(国立保護区)の美しさは滝田さんに自己変容を促します。滝田さんがどんなふうに変わっていくのかは、ぜひ手にとって読んでみてください。ちなみにこの自己変容をウェルビーイングの話につなげると、人間が猫のような安寧の獲得に失敗し続ける理由が見えてきます。
詳しくはまた別の機会に。
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンパスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって・・・・・・その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
最後に、沢木耕太郎さんの『深夜特急』と同じくらい大好きな、星野道夫さんの『旅をする木』より。もちろん「美しさと自己変容」について物語っている場面です。この会話、好きだなぁ。
私の物語を贈与すること。
おやすみなさい。