田舎教師ときどき都会教師

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三浦英之 著『牙』より。風が吹けば桶屋が儲かる。日本人が象牙の印鑑を買えば、どうなる?

「本当にひどい」と滝田は意図的に言葉を尖らせて言った。「なんで日本人はそんなに象牙の印鑑を欲しがるのかな? 私は6歳で父の仕事の関係で日本を離れてしまっているから、そこら辺の事情、よくわからないのよ。印鑑にしても、アクセサリーにしても、それって象の命を奪って――もっと言えば、象の顔をえぐり取って――作った物でしょ。そんな血まみれの怨念がこもったようなもの、私だったら絶対持ちたくなんかない」
(三浦英之『牙』小学館文庫、2021)

 

 こんばんは。先に説明しておくと、滝田というのは『晴れ、ときどきサバンナ』などの著書がある滝田明日香さんのこと。血まみれの怨念というのは、死後硬直が始まる前に、すなわち密猟者たちによって「生きたまま」顔をえぐり取られた象の、強い痛みや憎しみ、恐怖のこと。滝田さんはケニアの国立保護区で働く獣医師として知られています。だから、象牙の印鑑やアクセサリーなんて、当然、

 

 持ちたくない。

 

 三浦英之さんの『牙』を読み始めてすぐに、映画『ダーウィンの悪夢』(フーベルト・ザウパー監督作品、2004)を思い出しました。東アフリカのビクトリア湖に繁殖した外来種のナイルパーチによって、生態系も近隣の町のコミュニティーもめちゃくちゃになってしまったというドキュメンタリーです。

 

 なぜ?

 

 巨大魚であるナイルパーチを加工して、ヨーロッパや日本に輸出するとお金になるからです。映画に登場するパイロット曰く「飛行機で欧州からアフリカへ武器を輸出し、その飛行機が欧州へ帰るときには巨大魚ナイルパーチの加工品を積み込んでいる」云々。ビクトリア湖周辺でのんびりと暮らしていた住民に対して、グローバル経済が牙を剥いたというわけです。だから、白身魚と称してナイルパーチを使っているという日本のコンビニ弁当なんて、当然、

 

 食べたくない。

 

 知れば、持ちたくなくなるし、食べたくなくなる。知れば、物事に対する見方・考え方が変わるということです。だから、知ろう。本を読んで、知ろう。映画を観て、知ろう。可能であれば、現地に行って、知ろう。そして子どもたちに伝えよう。そのためにも残業代なしの時間外労働なんて断わろう。教育とメディアさえちゃんとしていれば、世界は平和に近づくのだから。ちなみに『ダーウィンの悪夢』は読んでいる途中に出てきました。映画の内容が祖国のイメージダウンにつながるとして、タンザニア政府が「映画は事実に基づいていない」と抗議したそうです。事実は小説よりも、

 

 奇なり。

 

 

 三浦英之さんの『牙』を読みました。第25回小学館ノンフィクション大賞を受賞した作品で、サブタイトルは「アフリカゾウの『密漁組織』を追って」です。追った先で、三浦さんは何を見て、何を感じて、どのような見方・考え方に辿り着いたのか。あまりにも闇が深くて「事実は小説より奇なり」というレベルではありませんでした。まさにT.I.A。

 

 これがアフリカだ(This Is Africa!)。

 

 目次は以下。

 

 序 章 大地の鼓動
 第一章 白い密猟者
 第二章 テロリスト・アタック
 第三章 キング・ピン
 第四章 象牙女王
 第五章 訪ねてきた男
 第六章 孤立と敗北
 終 章 エレファント・フライト

 表紙を開くと「世界的にも突出した牙を持っていたケニア・ツァボ国立公園のサタオ」というキャプションの入った、堂々たる巨象の写真が目に留まります。動物園で見る象とは雰囲気の異なる、野性味あふれる一頭です。目の前でサタオを見たらちょっと怖いかもしれないなぁなんて思いながらページをめくると、そこに「顔面をえぐられた状態で見つかったサタオの死骸」が写っているのだから、

 

 怖いどころではありません。

 

 三浦さんもそう思ったことでしょう。なぜこんなに酷いことができるのか、と。密猟者たちは人間なのか、と。前々回のブログに取り上げた『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』の著者であるフィリップ・K・ディックが「AI(アンドロイド)と人間を隔てるもの」として言及している感情移入の能力はあるのか、と。

 

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 サタオを殺した密猟者たちの目的はただ一つ。それは、サバンナのダイヤモンドと呼ばれる「牙」です。

 

 犯罪組織は1キログラム2000ドル(約20万円)で闇取引される象牙を狙ってアフリカゾウの群れを皆殺しにし、急速な経済成長を遂げている中国へと密輸して膨大な利益を稼ぎ出している。その過程にはアフリカ諸国の政治家や役人や野生保護団体の職員までもが密接に関与し、利益の一部はテロリストの手に渡って無辜の市民を虐殺するための活動資金として使われている。
 そして、その負の循環の仕組みはかつて日本が作り上げたものなのだ。

 

 世の中には、思いもよらない因果関係というものがあります。風が吹いただけで桶屋が儲かることもあるし、蝶が羽ばたいただけで竜巻が起こることもあります。だから、日本人のあなたが象牙の印鑑を買っただけでアフリカゾウが殺されることがあったとしても、あながち不思議ではありません。テロリストによって友達を大勢殺され、自身も殺されかけたケニアの大学生が、その直後、三浦さんに次のように問いかけます。

 

「日本人は象牙を買いますか?」
「象牙?」
 私は聞き間違えたのではないかと思い、青年に小さく聞き返した。
「そう、象牙です」と青年は若干精神が錯乱したような感じで私に言った。「もう、うんざりなんです。テロや紛争で人が死ぬ。知っているでしょう? アル・シャバブは活動資金の40%を象牙の密輸で稼ぎ出している。なんでゾウの牙なんかにダイヤモンドみたいな値段がつくんだ。誰がそんな大金を出すんだ。それでたくさん人が死ぬなんて、どう考えたって間違ってるだろ・・・・・・」

 

 ゾウだけではないということです。日本人が象牙の印鑑を買えばアフリカ人が殺される。風が吹けば桶屋が儲かるとは違って、悪夢でしょう。その青年は、冒頭の引用に登場した滝田さんと同様にこう思っているはずです。

 

 象牙を買うの、やめろよ。

 

 やめないんですよね、日本は。2016年に行われた、世界中にあるすべての象牙市場を閉鎖すべきかどうかを話し合う第17回ワシントン条約締約国会議でも、日本は「やめない」を貫きます。そのことは第六章の「孤立と敗北」に書かれています。日本が作り上げた仕組みに乗っかって散々悪さを働き、儲けてきた中国でさえやめようとしているのに。恥ずかしい。私にできることといえば、三浦さんの『牙』を授業で取り上げて子どもたちに知ってもらうことと、このブログを通して一人でも多くの人に『牙』を知ってもらうこと。ケニアの青年が言う《どう考えたって間違ってる》ことが続いている最大の要因は、三浦さんもそう指摘しているように、無知と無関心にあるからと思うからです。

 

 アフリカゾウを絶滅に追い込んでいる最大の要因――。
 それは象牙を消費する側が抱えている「無知」、もっと踏み込んで言えば、我々先進国で暮らす人間の、アフリカに関する「無関心」ではなかったか。
 私自身、三年前までその「対岸」にいたのでよくわかる。

 

 三浦さんは『白い土地  ルポ  福島「帰還困難地区」とその周辺』でも同様のことを書いています。《彼はきっと「知らない」のだ ―― かつての私がそうであったように》と。《彼》が誰を指すのかは読んでみて確かめてください。とにもかくにも、大切なのは、

 

 知ることです。

 

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 子どもたちがさまざまなことを知るために、知ろうとする動機付けを得るために、重要な役割を担っているのは、教育。大人がさまざまなことを知るために、知ろうとする動機付けを得るために、重要な役割を担っているのは、メディア。やはり、世界平和のためには教育とメディアがまともに機能することが必要でしょう。日本の教員の長時間労働がなくなったら、

 

 アフリカゾウが絶滅の危機から救われる。

 

 子どもたちも救われる。