田舎教師ときどき都会教師

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横道誠、斎藤環、小川公代、頭木弘樹、村上靖彦 著『ケアする対話』より。全員、一人なのにポリフォニー。

斎藤 なぜポリフォニーがよいのか。ポリフォニーは隙間、余白が多いのです。ポリフォニーの対義語にあたるのがハーモニーと言われます。ハーモニーの場合は、一つの調和した意見が全体を支配するという状況で、一見すごく満足度が高いように見えますけど、実際には余白がなく、個々人の意見も微妙に抑圧されてしまっていることが多いと思います。「本当はちょっと違う気もするけど、一体感の気持ちよさに水を差すのもなんだから」みたいな妥協、譲歩があり得るでしょう。ポリフォニーのほうがはるかに隙間が多くて、その隙間において当事者は自分の主体性や自発性を回復するとされています。
(横道誠、斎藤環、小川公代、頭木弘樹、村上靖彦『ケアする対話』金剛出版、2024)

 

 こんばんは。ハーモニーというタイトルの学級便りだったり、学年便りだったりを、過去に何回か目にしたことがあります。特段、違和感があったわけではありません。しかし、上記の引用を読むと、次に目にしたときにはハーモニーとポリフォニーの違いについて、訊かれてもいないのに語ってしまいそうです。子どもたちの主体性や自発性を期待したいのであれば、あるいは教員の主体性や自発性を期待したいのであれば、ハーモニーではなく、多声を意味するポリフォニーがいいよ、って。

 

 調和しないで響き合う。

 

たけのこご飯(2024.4.5)

 

 旬の食べ物に例えると、たけのこの声も、ご飯の声も、それぞれ、隙間を楽しみつつ聴きましょうという話です。ケア界隈の、旬の物書きさんたちに例えると、横道誠さんの声も、斎藤環さんの声も、小川公代さんの声も、頭木弘樹さんの声も、村上靖彦さんの声も、それぞれ、隙間を楽しみつつ聴きましょうという話です。

 

 聴きましょう。

 

 

 横道誠さん、斎藤環さん、小川公代さん、頭木弘樹さん、村上靖彦さんの『ケアする対話』を読みました。ケアを主題にした4つの対話と、横道さん、斎藤さん、小川さんの3つの講義が収められている、お得すぎる一冊です。横道さんが言うには、これは『唯が行く!』の続編、あるいは副読本として位置づけられる作品とのこと。副読本にこれだけ豪華な「多声」が集まり、響き合うのだから、

 

 横道さんの人望、恐るべし。

 

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 それぞれの「声」から、印象に残ったものを紹介します。まずは主人公(?)の横道さんの「声」より。

 

ところが、ODでは互いに同調しない幸福な空間がある。これってハーモニーを要求される日常、特に「和をもって尊しとなす」の日本では、なかなか体験できません。こんなにすばらしい理想的な空間が一時的にでも実現するんだという感激が、自助グループの主宰として、OD的な対話実践をやっていくことの最大のモチベーションになっています。

 

 ODというのはオープン・ダイアローグのこと。和をもって尊しとなす、の尖兵たる小学校の教員としては、横道さんが動機付けられている《理想的な空間》を、いつか実際に体験してみたいなぁと思います。理想的な空間と現実的な空間の差異を、身を以て学ぶことができれば、ハーモニーを要求してしまう日常を、少しずつ、ポリフォニーを前提とする日常に変えていくことができるかもしれませんから。

 

 百聞は一見にしかず。

 

 次は斎藤さん。冒頭の引用も斎藤さんですが、もうひとつ。タイトルの「ケアする対話」にどんぴしゃりの「声」です。

 

 統合失調症は、これまでのどんな文献にあたっても、薬物治療と電気けいれん療法――つまり身体療法しか効果がないとされていました。このような状況に対して、対話だけで治るという事実は、私のように長年、精神医学に従事している者にとってはとても信じられないことだったのです。

 

 薬よりも「つながり」が効くということを説いた、緩和ケア医の西智弘さんの『社会的処方』も、関係性の質を高めることが学校をよりよくするということを説いた、前回のブログで紹介した吉村春美さんの『みんなが「話せる」学校』も、それから西川純さんの『学び合い』も、ケアする対話のカテゴリーに入るような気がします。つながりとか、対話とか、

 

 そこから生まれるケアとか。

 

 昔は当たり前のようにあったものが、どんどん失われていっている現状があって、だからこそ《ケアという問題意識は最近では日本の思想界の大きなトピックになって》いるのでしょう。小川さんも次のように語っています。

 

 私は、今日のお二人の話が、ギリガンの主張に共鳴する内容を含んでいると思いました。患者の精神状態が悪いという視点に立ち、投薬やカウンセリングをすることで何とか治療しようとするアプローチに対し、家族システム理論に立ちネットワークの修復を考えるという理論は、非常に説得力があると感じます。

 

 非常に説得力があると感じます。

 

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 トーベ・ヤンソン(Tove Jansson)の『ムーミン谷の仲間立ち』という本では、「旅行の話をしてくれ」と言われたスナフキンが「旅の話なんかベラベラしちゃったら、しゃべったことだけしか残らなくなって、あとはバラバラになって消えてしまう」と言って怒るんです。

 

 頭木弘樹さんの「声」より。頭木さんに限らず、横道さんも斎藤さんも小川さんも村上さんも、もちろんものすごい量の本を読んでいて、一人ひとりの「声」の背景に、ものすごい量の「声」がこだましているんですよね。全員、一人なのにポリフォニー。だからこう思います。小中学校の教員が、長時間労働のために本すら読めないっていう状況は、

 

 よくない。

 

 いつか勤務校が〈ケアする小学校〉の名にふさわしい場所になることがあるとすれば、それは “ケアする教員” が大切にされるときだろうと思う。具体的には、長時間労働が解消されるときだろうと思う。だから、教職調整額を4%から10%に引き上げるなんてことでお茶を濁されている場合では、

 

 ない。

 

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 最後は、横道さん同様に、今をときめく(?)村上さんです。『ケアする対話』のラストを飾る、横道さんと村上さんの対談「異なる世界をつなぐ創作と研究」に載っている「声」より。

 

村上 この本は、トラブルシューティング集にもなっています。横道さんは、どうやって場の安全を保つかにすごく配慮されていると思います。大事なことですが、みんなあまり触れていないことです。

 

 この本というのは『唯が行く!』のことです。村上さんに限らず、斎藤さんも小川さんも頭木さんも、『ケアする対話』の正読本である『唯が行く!』を絶賛しています。ぜひ、『ケアする対話』の前に『唯が行く!』を読むことをお勧めします。ケアに必要な、そして学級づくりに欠かせない「場の安全」の保ち方もわかりますから。

 

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 明日、クラスの子どもたちは全国学力・学習状況調査を受けます。来週は市の学力・学習状況調査を受けます。ひどい点数をとったとしても、その子どもがケアされるわけではありません。ひどい平均点だったとしても、その担任がケアされるわけではありません。その学校がケアされるわけでもありません。

 

 そこにケアする対話はあるのでしょうか。

 

 おやすみなさい。

 

 

唯が行く!

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