田舎教師ときどき都会教師

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横道誠 著『創作者の体感世界』より。天才による天才たちの当事者批評を味わう。

 当事者批評は、患者の側が作品論ないし作者論をおこなうことで自己の体験世界を表明する点で、「逆病跡学」と位置づけられると考える。本書は、そのようなものとしての当事者批評を、論集のかたちで実践し、筆者の体験世界を改めて立ちあげていく。それはどのような体験世界か? 筆者が、さまざまな創作者をじぶんの分身と見なし、慰められ、生きる勇気を与えられてきたという体験世界だ。
(横道誠『創作者の体感世界』光文社新書、2024)

 

 おはようございます。先週、出張先の小学校で60歳の担任の先生の授業を参観する機会がありました。出張に行くと通常業務が全方位的に滞りまくるため、心の底から行きたくなかったのですが、「人生とは、計画されたこと以外のことが起こる、別の出来事のこと」とはよく言ったものです。

 

 この先生と、飲みたい。

 

 コミュ障の私にも、そう思わせてくれる先生だったんですよね。で、授業後に声をかけて少しお喋りしてさらに飲む約束までしたのですが、聞けば、40代のときに筑波大学附属小学校の授業を見学し、こんな見方・考え方があるのか(!)とびっくりして人生が変わってしまったとのこと。おそらくは「授業の多様性」に気がついたのでしょう。定型発達者(マジョリティー)が文学や芸術を通じて発達障害者の世界の一部に触れ、こんな見方・考え方があるのか(!)とびっくりしてしまうのと同じです。もちろん、その場合の気づきは「授業の多様性」ではなく、横道誠さんいうところの「脳の多様性」です。言い換えると、

 

 ニューロダイバーシティ。

 

 ちなみにその道のプロとされる筑波大学附属小学校の先生たちが授業に「こだわる」のは、もしかしたら彼ら彼女らがニューロマイノリティ(自閉スペクトラム症や注意欠如多動症などの症状をもつ神経学的少数派の非定型発達者)の特性をもっているからかもしれません。だから彼ら彼女らの授業を同族のニューロマイノリティが論じたら、

 

 それも立派な当事者批評。

 

 

 横道誠さんの『創作者の体感世界』を読みました。ニューロマイノリティを公言している横道誠さんが、おそらくは同じニューロマイノリティであろう作者だったりその作品だったりを、当事者である本人の体感世界に行きつ戻りつしながら語っている「当事者批評」の論集です。

 取り上げられているのは16人の天才たちで、南方熊楠に始まり、与謝野晶子、宮沢賢治、小津安二郎、岡本太郎、石牟礼道子、オノ・ヨーコ、大江健三郎、萩尾望都、高橋留美子、庵野秀明、蜷川実花、新海誠、村田紗耶香、最果タヒ、米津玄師という錚々たる面々。もしも続編が出るのであれば、森達也さんや坂口恭平さんや吉藤オリィさんを取り上げてほしい(!)という勝手な願いはさておき、当事者批評というジャンル名の生みの親とされる精神科医の斎藤環さん曰く《私たち定型発達者(マジョリティー)にも、文学や芸術を通じて発達障害者の世界の一部を共有し、横道のいう「脳の多様性」に思いを馳せることができる。その時過去の傑作群は、まったく異なる相貌をもって立ち現れるだろう》云々。本当に、

 

 立ち現れるんです。

 

 国語の物語文の授業でいうところの解釈の多様性です。で、この『創作者の体感世界』の前に読んだ『ニューロマイノリティ』も、あまりにも目から鱗で、落ちた鱗を拾ってはポスト(ツイート)してしまうという「こだわり」に取り憑かれてしまったのですが、今回もまた、然り。そして横道さんもまた前回と同様に「こだわり」返しでその都度リポストしてくれて、

 

 めっちゃいい人感。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こちらこそありがとうござました。

 

 教員の働き方を含め、学校が変わらないのは、与謝野晶子のように「そこまで言うか感」を出す人がほとんどいないからかもしれません。そういった意味では、深刻なのは教員不足ではなく、発達障害的な特性をもった教員不足といえるのではないでしょうか。休憩時間がゼロなのはおかしい。残業代がゼロなのはおかしい。王様がはだかなのはおかしい。定型発達の教員はそういったことを口にしません。口にしないから何も変わりません。

 教員の働き方が変わらなければ、ニューロマイノリティの子どもたちを定型発達の子どもたちの「普通」に合わせようとする支援の在り方は変わらないでしょう。その方がコストがかからないからです。現状、小学校に関していえば、彼ら彼女らの「普通」をおもしろがるゆとりはありません。発達障害的な特性をもった教員が不足しているのに、その特性を早い段階で潰しているという悪循環が生じているというわけです。

 

 天皇はみずから出陣してこない。人の血を流させて、獣じみた死に方をさせ、それが名誉なことだと考えるとは、天皇に深い心があればありえないことだ。君主等に対する「不敬罪」を制定している国は珍しくなく、日本ではこの犯罪は1880年に旧刑法で明文化され、第二次世界大戦後の1947年に削除されるまで存続した。その時に堂々とこのような詩を公表することが、いかに大胆だったかは想像にあまりある。
 当時、当然のように物議を醸したこの「不敬」の感覚は、しかしながら晶子にとって世界の最先端を切りひらかせる原動力でもあっただろう。晶子の自閉スペクトラム症的な「突きぬけ感」は「そこまで言うか感」とでも呼ぶべきものになって、全面的に開花した。晶子の発達障害的な特性が、彼女を時代のもっとも前方に立たせていたと筆者は考える。

 

 教育現場に与謝野晶子を。

 

 急募。