「ニューロマイノリティ」がタイトルである本書の読者のみなさんにこんなことを言うのは野暮な話かもしれません。ですがあえて言わせていただくと、ニューロマイノリティな人たちへの支援や教育がなすべきことは、多数派の平均値である「定型発達」に、なんとか近づけようとすることでは決してありません。このことを理解したうえで支援や教育に携わっておられる方は、以前よりずいぶん増えたように思います。ですがもっと踏み込んで、「では何を目指して取り組めばいいのか」については、あまり明確に語られてこなかったのではないでしょうか。本稿で述べたような「成熟した発達障害成人」についての議論は、そういった状況に風穴を開ける視点であり、支援や教育における理解の解像度を飛躍的に高めてくれるものであるように思います。
(横道誠・青山誠 編著『ニューロマイノリティ』北大路書房、2024)
おはようございます。ここしばらく横道誠さんの本にはまっています。読書ブロガーの本猿さんに、以前《田舎教師ときどき都会教師さんは、猪瀬さんだけでなく尊敬している作家さんを、これでもかというくらい何度も取り上げている》と言及してもらいましたが、今はまさにそれです。この人はわかっている(!)っていう書き手を見つけると、執着してしまうんですよね。発達界隈にいる人たちにしばしば見られる「こだわり」です。そういった意味では、もしかしたら私も、ど真ん中ではないものの、ニューロマイノリティ(神経学的少数派)に属するのかもしれません。
で、考えていることがあります。ニューロマイノリティ、すなわち発達界隈の教員が担任をしているクラス(小学校)と、定型発達の教員が担任をしているクラスは、ちょっと趣が異なるのではないか、と。そしてその趣の違いは、そのクラスで過ごす子どもたちやその親に、特に発達障害の子どもと親に少なからぬ影響を与えているのではないか、と。これまでの経験上、わりと明確にそう思います。だから「ニューロマイノリティ、発達障害の教員たちを内側から理解する」なんていう研究 or 論考があったら、
読みたい。
そう思ってしまいます。ないのであれば、横道誠さんと青山誠さんに期待するしかありません。続編として、です。
横道誠さんと青山誠さんが編著者を務めた『ニューロマイノリティ』を読みました。執筆者として名前を連ねているのは、第1章から順に、村中直人さん、すぷりんとさん、柏淳さん、内藤えんさん、横道誠さん、青山誠さん、繁延あづささん、志岐靖彦さん、汐見稔幸さん、そして第10章の小川公代さんです。どの章もドッグイヤーだったり付箋だったりをつけたくなるところばかりで、目から落ちた鱗を拾っては衝動的にポスト(ツイート)してしまいまいした。その衝動にその都度横道さんが付き合ってくれて、リポスト(リツイート)というかたちで応えてくれるのだから、
やめられません。
発達障害の当事者であるすぷりんとさんが《私が当事者として「普通」じゃない立場から「普通」を観察してきて感じたのは、普通とは「コストの削減」であるということ》と書いていてなるほどと思う。普通じゃない感覚をもつ少数の子どもたちの支援を本気でやろうと思えばコストがかかる。教育に予算を。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 16, 2024
40歳のときに発達障害の診断を受けたという横道誠さんが《いままでの人生で体験してきたあれやこれやの謎がすべて解けた! なんという壮大な伏線回収なんだ》と書いていて、おもしろい。映画『シックス・センス』(M・ナイト・シャマラン監督作品、1999)のクライマックスみたいな感じなのだろう。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 17, 2024
写真家&文筆家の繁延あずささんが《近くにいたのに、なぜこの声が今まで聞けなかったのだろう》と書いていて、発達障害の子をもつ親の「この声」を、保護者にも届けたいと思った。教員にも届けたいと思った。「小さな友の声から」と題された繁延さんの小さな声、下手な研修よりよほど深く響きますよ。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 17, 2024
汐見稔幸さんが《子ども理解とは、答え=正解のない営みであり、にもかかわらず保育者、教育者が永遠に続けなければいけない営みなのです》と書き、続けて子どもの振る舞いをエピソード(理解できないけど理解したいことなど)として語り合うことを提案していて、学校の研究はそれだけでいいと思った。
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 17, 2024
横道誠・青山誠 編著『ニューロマイノリティ』読了。発達障害の子どもたちは、偶然の結果として少数派に属してしまったにすぎない、という見方・考え方を働かせることによって、想像力が飛躍的にアップする一冊。元・特別支援学校教諭の内藤えんさんなど、現場を知る執筆者もいて、必読です。#読了 pic.twitter.com/TpRIEvKZsz
— CountryTeacher (@HereticsStar) February 17, 2024
上記の一連のポストを、エックス(ツイッター)仲間のまるねこさんが《このツリー、めちゃくちゃ学びになります》と引用ポスト(引用リツイート)してくれて、
うれしい。
このツリー、めちゃくちゃ学びになります。
— まるねこ (@marunekosensei) February 17, 2024
ぜひご一読ください。
Country Teacherさん、いつもありがとうございます😌 https://t.co/6TCIoY3O0x
樋口直美さんという、著書『私の脳で起こったこと』(日本医学ジャーナリスト協会賞優秀賞受賞)などで知られる作家さんも《このスレッドに丁寧に紹介されています》と引用ポスト(引用リツイート)してくれて、
うれしい。
横道誠さん@macoto_y ・青山誠さんが編者の新刊。
— 樋口直美 🌿『誤作動する脳』『私の脳で起こったこと』 (@HiguchiNaomi) February 17, 2024
私も読んでいるところです。
このスレッドに丁寧に紹介されています。↓ https://t.co/Wv9ZkQsvkR pic.twitter.com/V8gCL4OcjU
さらに、思いがけず、執筆者のひとりである繁延あづささんも《うれしい》という言葉を添えて引用ポスト(引用リツイート)してくれて、
うれしい。
うれしい。この小さな声、かき消されたくない気持ちで書いたから。 https://t.co/VVxSt60qYr
— 繁延あづさ (@adusa_sh) February 17, 2024
エックス(ツイッター)上の反応を眺めながら、こんなふうに思いました。いいねなども含め、もしかしたら反応してくれる人の多くは、発達界隈の「同族」なのではないか、と。生きづらさを抱えている人が増えているのではないか、と。ケアや利他、贈与などの言葉と同じで、発達障害に注目が集まっているのも、そのためなのではないか、と。
第1章「『成熟した発達障害成人像』からニューロダイバーシティを考える」を執筆している村中直人さんが次のように書いています(ちなみに冒頭の引用もこの第1章からとったものです)。
たとえば、自閉世界において、「社会性の障害」「共感能力の欠如」と評価されるのは一体誰かという疑問です。そのことを示唆する興味深い研究報告があります。「自閉スペクトラム者のみ」「非自閉スペクトラム者のみ」「半数ずつのミックスグループ」の三つのグループをつくって、いわゆる伝言ゲームをした結果、コミュニケーションの問題が発生したのはミックスグループだけだったという研究報告です。さらに興味深いのは、各グループのラポール(信頼や親密さ)形成を尋ねると、それもミックスグループのみで低かった(信頼関係を構築できなかった)のです。つまり、自閉スペクトラム者はコミュニケーション相手が「同族」である限り、少なくともこの研究における状況においては「社会的コミュニケーション障害」がなかったことになります。
どうでしょうか。めちゃくちゃ興味深いと思いませんか。地球上のニューロマイノリティ(神経学的少数派)が、もしもニューロマジョリティ(神経学的多数派)だったとしたら。障害が消えるんです。その「もしも」が起きた《自閉世界》では、学校が掲げている教育目標なども私たちがよく知っているそれとは違ったものになるでしょう。なぜなら現在の教育目標をつくっているのは、多数派に所属している定型発達の大人たちだからです。もしも自閉世界で《成熟した発達障害成人》が教育目標、すなわち「目指す子ども像」をつくったとしたら。
ひとつのことにこだわって、探究できる子。
そういった言葉が入るかもしれません。今日はこれから、横道誠さんの『村上春樹研究 ―― サンプリング、翻訳、アダプテーション、批評、研究の世界文学』が届くのを待ちつつ、持ち帰り仕事の山を片付けます。小説仕立ての「リジョイス!」(第4章)に書かれている、内藤えんさんの《紆余曲折あって、わたしは、なるつもりのなかった教職にも就いた》に頷きつつ、
仕事かぁ。
やれやれ。