田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

横道誠 著『イスタンブールで青に溺れる』より。横道誠さんの本に溺れる。

 発達障害の診断を受けてから、当事者研究(自分の疾患や障害を仲間と共同研究することで、生きづらさを軽減させる精神療法)に取りくんだ僕は、本書を書きながら、自分に何が起こっていたのかを、遅ればせながら理解できるようになっていった。当事者研究の知見を利用した紀行の執筆。だから、この書は「当事者紀行」とも呼ぶべき新しいジャンルの可能性を開いている。ここに、本書の人文書としての最大の意義があるだろう。
(横道誠『イスタンブールで青に溺れる』文藝春秋、2022)

 

 こんばんは。バンコクのカオサン通りで出会い、ノーンカーイまで旅を共にした学生さんが、実は発達障害だったということを帰国後に知り、たしかに変わっていたなぁと思ったことがあります。新聞にデカデカと出ていたんですよね、その彼が。学習障害乗り越え、東北大学大学院に合格って。おそらく限局性学習症(学習障害)以外の神経発達症(発達障害)も併発していたのでしょう。もう20年以上も前の話ですが、船の上から立ち小便をしつつ「メコンの夕陽に垂れ流し」って気持ちよさそうに口にしていた彼の後ろ姿を今でも覚えています。もしかしたら「ノーンカーイで赤に溺れる」心持ちだったのかもしれません。夕陽を受けて赤く染まったメコン川、きれいだったな。

 

 

 横道誠さんの『イスタンブールで青に溺れる』を読みました。自閉スペクトラム症と注意欠如・多動症とを併発している文学研究者が旅行記を綴ったらどうなるのか。

 

 おもしろくないわけがありません。

 

 特に、元・バックパッカーで、現・発達界隈の人たちにとっては「バイブル」になり得るでしょう。沢木耕太郎さんの『深夜特急』に負けず劣らずの傑作ということです。イスタンブールをはじめ、横道さんが足を運んだ都市は全部で25。昨日のブログと同じように、先ずはポストで周航してみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでが章立てでいうところの第1章「ゆらめく世界」です。前回取り上げた『ある大学教員の日常と非日常』と同じように、発達障害者の「見方・考え方」が随所に散りばめられていて、その新しさに溺れます。さらに文学研究者の「見方・考え方」も加わっているのだから、

 

 おもしろくないわけがありません。

 

『ハイジ』の愛らしい印象からか、なぜかアメリカの作家リチャード・ブローディガンの『アメリカの鱒釣り』に含まれるレシピも思いだした。

 黄金色のピピンりんごを十二個、見目よくむいて、水にこれを入れ、よく煮る。次にその煮汁少量とり砂糖加え、煮たりんご二、三個をスライスして入れ、シロップ状になるまで煮つめる。それをピピンりんごにかける。乾燥さくらんぼと細く刻んだレモンの皮で飾りつけると、できあがり。りんごが崩れぬよう充分注意されたし。(ブローディガン 2005.28-29)

 

 これは「ゾーンは続くよどこまでも マイエンフェルト」より。なぜか村上春樹さんの「おいしそうなレシピ」まで思いだしそうになって、収拾がつかなくなるので充分注意されたし。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 周航を続けます。以下のポストは、第2章「うねる想像力の彼方へ」より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでが第2章の「うねる想像力の彼方へ」です。どのポストも横道さんとそのお仲間さんたちがリポストしてくれて、有り難い。まぁ、私を含め、そんなところも発達界隈という気がしないわけでもないですが、いずれにせよ、読み進めれば読み進めるほど発達障害者についての理解が深まる「当事者紀行」です。恋愛に関する描写もあって、

 

 おもしろくないわけがありません。

 

 村上春樹の『ノルウェイの森』では、37歳の主人公が、20歳前後ことを回想する。彼は、精神病 ―― 古井由吉の「杳子」と同様、統合失調症を思わせる描写がなされている ―― を罹患し、自殺した同級生の女性について思いをめぐらせる。『ノルウェイの森』の主人公は、そのことを正確に振りかえるのに17年を費やした。でも僕には17年でも足りない。一生かかっても、足りないかもしれない。

 

 これは「廃墟の文体 ローマ」より。わかるなぁ。購入済みの『ひとつにならない』にもそういったことが書いてあるのかなぁ。早く読みたいなぁ。

 周航は続きます。以下のポストは、最終章(第3章)の「あなたのとなりで異界が開く」より。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今でしょう。幸せの絶頂期は。こんなにも大勢の人たちを幸せにしているのだから。横道さんの本に溺れている読者としては、そんなふうに思うのですが、実際のところは違うのでしょうか。クラスの子どもたちには「幸せになれるのは、誰かを幸せにできる人」と話しています。横道さんの本に救われている発達界隈の人たちって、たくさんいるだろうな。これからもたくさん出てくるだろうな。

 

 明日は修了式です。

 

 おやすみなさい。