田舎教師ときどき都会教師

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常井健一 著『おもちゃ 河井案里との対話』より。権力闘争の「おもちゃ」とはどういう意味だったのか。

「私ね、人生をちょっとゆったりと長めに考えるようになったの。ここで一区切りして、ドロドロした広島の政界とも、距離を置きたいなって。ホントは私、(昨年春に)県議を辞めて、ミラノにファッションの勉強に行こうと思ってたんです。でも参院選に出ることになっちゃったんだよね。だから私、自分が消費されているなって感覚があったんです。要は、岸田(文雄)さんと管(義偉)さんの覇権争いがあって、岸田派と二階派の争いがあって、検察と官邸の対立もあって、私はその中で『消費される対象』として擦り減っちゃった。だから、これから自分を取り戻したいっていう気持ちがある。私、今までは、世の中のためになるかどうかという尺度だけで、仕事も生活も測ってきたんですよね。自分がやりたいとかじゃなくてさ。でも、これから時間ができたら、小説を書くことに没頭したいと思っていて、正直な話ね。まだまだ未熟なので、(筆力)を磨いていきたいと思います」
 権力闘争の「おもちゃ」とはどういう意味だったのか。私は大事なことを聞きそびれたが、答えはこの言葉の中から読み取ることができると思った。

(常井健一『おもちゃ 河井案里との対話』理想社、2022)

 

 おはようございます。小学校の職員室でさえも、距離を置きたいなって、しばしばそう思うのに、いわんやドロドロした広島の政界をや。前回のブログで取り上げた、もと明石市長の泉房穂さんもそうですが、それから猪瀬直樹さんの『東京の敵』を読んだときにもそう思いましたが、政治家の権力闘争って、

 

 えげつないなぁ。

 

 もしも小学校の職員室のメンバーだったとしたら、間違いなくとびっきり優秀であろう大人が、いとも簡単に権力闘争のおもちゃにされてしまうわけですから。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 政治家の権力闘争に比べれば、職員室の人間関係は凪のようなもの。とはいえ、仕事上、教員が「酷使される対象」として擦り減りがちなのは確かです。だから当然、節目節目で自分を取り戻したいっていう気持ちが起こります。そんなわけで、

 

 原点回帰。

 

初任時代、初めての遠足の地(2024.3)

あの頃、橋はなかった(2024.3)

原点回帰(2024.3)

 

 今までは、子育てのためになるかどうかという尺度だけで、仕事も生活も測ってきたので、これからは少しずつ自分がやりたいことに軸足をシフトしていきたい。この春、原点回帰というか、定点観測をしながらそう思いました。が、新年度が始まって早2週間。仕事に追われ、

 

 あっという間に日常のおもちゃです。

 

 

 常井健一さんの『おもちゃ 河井案里との対話』を読みました。泉房穂さんや猪瀬直樹さんの場合もそうですが、やはりマスコミ報道だけでは「本当のところはどうなのか」がよくわかりません。ここ数日ニュースになっている小池百合子さんの学歴詐称疑惑についても、権力闘争の一コマなのだろうなとしか思えません。そんなふうに思えるようになったこと自体が「読書の収穫」ですが。
 2019年に参議院議員に初当選したものの、その2年後には当選無効となってしまった河井案里さんの「本当のところ」はどうだったのか。世間一般に知られている「公職選挙法違反」というのは本当だったのか。彼女が著者の常井さんに送ってきたという《黒川さんも私も同じように権力闘争のおもちゃにされてしまって、権力の恐ろしさを痛感します》というメールの一節は何を意味するのか。以下、目次です。

 

 序 章 甘い逃避行
 第一章 ちょうどよい女の子
 第二章 代議士の妻
 第三章 広島県政のヌーベルバーグ
 第四章 男らしく、女らしく
 第五章 あんたは「政治の子」
 第六章 えこひいき
 第七章 もらい事故
 第八章 死ぬ瞬間
 第九章 とりまく女たち
 第十章 金毒
 最終章 ニッポンを変えたい

 河井案里さんが参議院議員に初当選した2019年に、フィンランドでは34歳の女性、サンナ・マリン氏が首相になっています。彼女が発足させた内閣の閣僚19人中12人が女性だったことも記憶に新しいところです。で、常井健一さんの『おもちゃ』を読んで思ったことは、目次からもイメージできることですが、日本の家父長制って、

 

 えげつないなぁ。

 

 もしもフィンランドの国会のメンバーだったとしたら、間違いなくとびっきり優秀であろう女性が、いとも簡単に権力闘争のおもちゃにされてしまうわけですから。

 

 とにかく男を立てる。多くの男にとって女性からヨイショされることはうれしい。案里は男たちに都合の良い社会規範にのっとり、おじさんをほめちぎり、食事の誘いに応じ、日々携帯でやりとりして関係を深めてきた。実際、彼女の周りに群がった御意見番の男たちは日頃のジャーナリズム精神を忘れ、選挙応援の旗振り役となった。案里は立場がある「おじさん」を自分の味方に変え、どこにでもいる「政治家の妻」から国政までのし上がったのだ。
 一方、案里の人間関係を総ざらいしながら気づくのは、彼女を取り巻く女性の影の薄さである。人付き合いがうまく、世渡り上手。「みんなが言うほど人は悪くないよ」と口を揃えるおじさんたちが持つイメージとは別の顔が現れるのだ。

 

 家父長制のえげつなさが際立つニッポンの政界で、女を武器にしてのし上がっていく河井さんが、ポジション争いに命をかけている男たちに「ちょうどよい女の子」としてえこひいきされ、利用され、傲慢になっていく様子が、そしてときどき原点回帰する様子が、全382頁にわたって書かれていて、

 

 読み応えたっぷり。

 

 検事は15人くらいいましたね。女性が2名ほど、あとは全員男性です。なんかもうホントに空疎な、権威主義のバカバカしさを感じましたね。この人たち、刑事ドラマの見過ぎなんじゃないのって感じ。なんだか、”イキってる”  と言うのかしら。

 

 河井夫妻の隠れ家(ホテル)に検察が乗り込んでくるシーンです。映画のようです。権威主義のバカバカしさとはすなわち家父長制のバカバカしさです。この後の台詞&展開は映画だったら「Rー15指定」になるので引用できませんが、気になったらぜひ手にとって読んでみてください。ちなみに最近観た映画『オッペンハイマー』(クリストファー・ノーラン監督作品)も、あのシーンがなければ「Rー15指定」にはならなかったような気がして、クラスの子どもたち(6年生)に勧めたかっただけに、残念です。

 

 15歳になったら、観ましょう。

 

「政治家としてあまりにもうぶだった」。そして「克行と結婚しなければ、犯罪者にならなかった」。
 私が取材した政界関係者たちは口を揃えるようにその2点を挙げ、案里に微かな同情を寄せた。

 

 この本を読んだ人たちも、口を揃えるようにその2点を挙げるような気がします。出世欲にまみれた河井克行とさえ結婚しなければ、うぶで純粋で、真面目だった河井案里さんが「おもちゃ」にされることはなかった。選挙の前後にお金をバラまくようなこともなかった。オッペンハイマーもそうですが、

 

 結局、人。やっぱり、生き方。

 

 休日出勤、行ってきます。