あのとき、僕は「昭和16年」の逆を行かなければいけないという思いを強くもっていました。客観的データを恣意的に解釈して、都合の良いデータに変質させるのではなく、客観性を維持しながら、各団体のさまざまな思惑を一つにまとめあげることに腐心しました。だからこそ、招致が決まったとき「チームニッポンの勝利だ」という言葉が自然に口をついて出てきたわけです。
(猪瀬直樹『東京の敵』角川新書、2017)
こんばんは。昨日、ネットに「『無報酬』と胸張った森喜朗氏 五輪納入業者などから年6000万円献金」というニュース(NEWS ポストセブン)が流れていました。無報酬どころか年6000万円って、猪瀬直樹さんが『東京の敵』の中で《グランドチャンピオン級の大ボス》と形容するだけのことはあります。東京が日本の中心であることを考えると、日本の敵と言い換えてもいいかもしれません。森喜朗という大ボスが、というよりも、大ボスを生む構造が、です。昭和16年に日本が日米開戦を決めたときにも見られた、
「無責任体制」という構造。
政治でも教育でも福祉でも、日本の敵を倒すには、昭和16年の逆を行かなければいけないという思いを強くもつ必要があります。猪瀬さんの言葉を借りれば、ファクト(事実)とロジック(論理)を武器に、曖昧な決定を避けるということです。教員採用試験の倍率が過去最低を記録したのも、精神疾患を理由に退職した教員が過去最多を記録したのも、私が毎晩ヘトヘトなのも、教員の労働環境に対して無責任な体制が敷かれているからに違いありません。
猪瀬直樹さんの『東京の敵』を読みました。 以下のツイートを読んだことがきっかけです。
このあたりは『東京の敵』に書いたのでそちらを読んでいただきたい。https://t.co/YWxTOhHteH https://t.co/hLWtHEqj0a
— 猪瀬直樹/inosenaoki (@inosenaoki) February 6, 2021
2017年に書かれたものですが、古びることなく、現在に通ずる「このあたり」のことがよくわかります。やっぱり「あれ」はいじめだったんだ。
あれというのは東京都知事だった猪瀬さんが、収賄を疑われ、都議会の総務委員会で10時間近く立たされた挙句に《札束に擬した発泡スチロールの直方体をバッグに入れようとしても入らない、それが見せ場として何度もテレビで放送されました》という、2013年の「あれ」です。まともな教員は、「あれ」を見たときに、雰囲気からして「あっ、いじめだ」って「直観」していたのではないでしょうか。教室でそういうことがあると、すぐにわかります。いじめの気配があったときには、チームガッコウの出番となり、あの手この手で元を断ちます。元を断たないと、ろくでもない未来に出くわすことになるからです。猪瀬さん率いるチームニッポンが掲げた「カネのかからない五輪」というコンセプトが蔑ろにされるようになったのも、そのためでしょう。
やっぱり「あれ」はいじめだったんだ。
猪瀬さんも《子どものいじめのような見せしめでした》と書いています。後に明らかにされたように、収賄ではなく、ただの《選挙の収支報告書の記載漏れ》ですからね。過労死レベルで働いている教員が「通知表の記載漏れ」を糾弾されるのと同じくらいひどい話です。
では、なぜそのようないじめを受けたのかというと、それは「東京の敵」の虎の尾を踏んだからです。教室で例えると、転校生がジャイアンとスネ夫の怒りを買うような感じでしょうか。転校生は、ジャイアンの怖さも、スネ夫のずる賢さも、よそ者ゆえに知りません。転校生はこう振り返っています。
僕は無知だったのです。
ジャイアンは《グランドチャンピオン級の大ボス》こと森喜朗氏、そしてスネ夫に当たるのが、かつて「都議会のドン」と呼ばれた内田茂氏です。猪瀬さんは、内田氏を《金メダル級のボス》と形容します。なにしろ《内田、許さない!!》という遺書を書いて憤死している都議がいるくらいです。恐るべし金メダル。でも大ボスではなく、ただのボス。そうすると、大ボスって、しかもグランドチャンピオン級って、いったいどれだけの力をもっているのでしょうか。
猪瀬さんは、五輪招致の成功後、新たに立ち上げることになった組織委員会の会長に、森氏ではなく、トヨタの会長を務めた張富士夫さんを推したそうです。カネのかからない五輪には、民間人の会長こそが相応しいという判断です。加えて、ロンドン五輪に倣って、外資系金融・会計・コンサルで実績のある人間に CFO(最高財務責任者)として入ってもらおうと、水面下で画策していたとのこと。
役人が上に立ってもガバナンスは利きません。トヨタで経営をしていた張さんとシビアなCFOがいれば、お役所のような無責任経営にはならないと考えたのです。
ジャイアン、ぶち切れます。
のび太のくせに生意気だ(!)。猪瀬さんはのび太ではなく、漫画『鬼滅の刃』でいうところの煉獄杏寿郎なのに。
まっとうに生きている煉獄さんを、メディアは「お金をもらっただろ」って、ファクトもロジックも無視しておもしろおかしくたたいた。グランドチャンピオン級の「上弦の参」と必死に闘っている煉獄さんを、都民は助けることができなかった。だから東京五輪は迷走することになった。小学生にもピンとくるように書くと、そうなります。
『東京の敵』の章立ては、以下。
第1章 都議会の闇
第2章 東京五輪の迷走
第3章 小池都政の論点
第4章 メディアの責任
第5章 東京人の自覚
第6章 五輪後の日本像
猪瀬さんが「いじめ」にあった経緯については第4章に詳しく書かれています。内田茂氏のことは第1章に、森喜朗氏のことと冒頭に引用した文章は第2章に書かれています。
冒頭にある《昭和16年》というのは『昭和16年夏の敗戦』のことです。知らない人には、或いは「敗戦は昭和20年だろ?」と思った人には、ぜひ読んでほしい一冊です。小学校でいうと、特に歴史を教える6年生の先生には真っ先に読んでほしい。それくらいの名著です。読めば、第5章のタイトルになっている「東京人の自覚」、すなわち「日本人の自覚」をもつことができるし、歴史の授業を通して、子どもたちに「日本人の自覚」の種を蒔くこともできます。第6章に描かれている「五輪後の日本像」だってイメージできてしまうかもしれません。日本の歴史(近代化)をアピールすべく、五輪誘致のときにもその文章を引用して使ったというミカド三部作(『ミカドの肖像』『土地の神話』『欲望のメディア』)と合わせて、ぜひ。
東京都知事は単に都民の代表にとどまらず、都民の生活を変えることを通じ、日本を変えることもできます。
加えて東京都は国から交付税をもらっていないので、他の地方とは違い国と対等に動けます。
第3章の「小池都政の論点」にそうあります。もしも猪瀬さんが五輪招致後も東京都知事であり続けていたら、そして「昭和16年」の逆を行き続けていたら、日本は「いじめのない教室」のようにいい感じに変わっていて、私が毎晩ヘトヘトになることもなかったかもしれません。ファクトが「もしも」な上に、ロジックも飛躍しすぎていますが、そう夢想します。働き方を変えるためには、
学校現場も「昭和16年」の逆を行かなければいけない。
おやすみなさい。