田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

藪下遊、髙坂康雅 著『「叱らない」が子どもを苦しめる』より。この本を課題図書にして、保護者と教員で読書会をしたい。

「外の世界に合わせて自分を調整する」という体験は、子どもにとって非常に不快なものです。それまでは泣くなどの行為を通して、親に「環境を変えてもらった」という経験が中心でしたが、環境を変えるということが難しい状況や、子どもが環境に合わせなくてはならない状況が増えるのですから、その不快は自然な反応と言えます。
 ここで強調しておきたいことが、こうした状況で生じる子どもの不快感を「関係性の中で納めていく」という関わりが必須であるということです。「思い通りにならない場面」で不適応を示している子どもの親と接していると、こうした子どもの不快感を「親の関わり方の失敗」と考えたり「不快にさせてはならない」と捉えたりしている人が非常に多いと感じます。
(藪下遊、髙坂康雅『「叱らない」が子どもを苦しめる』ちくまプリマー新書、2024)

 

 こんばんは。せっかくのゴールデンウィークなので、東京は新宿に足を運んで、以前から食べてみたかった新宿中村屋の純印度式カリーライスを食べてきました。中村屋の創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻に、逃亡生活中のラス・ビハリ・ボースが振る舞ったという、別名「恋と革命のインドカリー」です。

 

恋と革命のインドカリー(2024.4.28)

 

 ラス・ビハリ・ボース(1886-1945)。

 

 インド独立を目指すも、宗主国であるイギリス政府に追われ、亡命というかたちで外の世界に合わせて自分を調整せざるを得なかったボース。思い通りにならない場面でかくまってくれた相馬夫妻への感謝の気持ちは「恋と革命」に匹敵するものだったのでしょう。ボースがその後、相馬夫妻の長女である俊子さんと結婚したエピソードは、笠井亮平さんの「『RRR』で知るインド近現代史」に詳しい。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 新宿中村屋のホームページには《幼少期は母方の叔父のもとで育ち、その後シャンデルナゴルへ、続いて父の転勤でカルカッタへ移り、再び父の転勤があると叔父の家へと移り住み、転々とした生活を送ります。このような家庭環境からくる寂しさや不満が、ボースの革命精神をより増強させていったのです》とあります。今回紹介する『「叱らない」が子どもを苦しめる』の「肝」である《世界からの押し返し》を、幼少期にたくさん経験していたということです。だからボースはタフだった。亡命先の日本でも不適応にならず、不快感を関係性の中で納めていくことができた。日本人と結婚するくらいに関係性を育むことができた。恋と革命のインドカリーを食べながら、そんなことを考えました(考えてないけど)。

 

 ごちそうさまでした。

 

 

 藪下遊さんと髙坂康雅さんの『「叱らない」が子どもを苦しめる』を読みました。保護者から「給食費を払っているのだから『いただきます』や『ごちそうさまでした』を言わせないでください」というクレームが入った(!)なんていうニュースがまことしやかにささやかれる現代です。クラスの子どもに「いただきます」や「ごちそうさまでした」を言うよう促すことすら、ちょっとためらってしまう社会。そんな社会に生きる子どもたちの、叱られたり押し返されたりする経験が不足していくのは当然の成り行きでしょう。

 

 学校もその流れに抗えません。

 

 例えば、通知表一つとってもこの50年くらいでかなり内容が変わっています。五十年前の通知表は、かなり子どもの問題点を指摘する形で記述されていましたが、最近ではそういった内容を書くことはまったくありません。学校が「子ども個人の特徴・特性について、批判的に明示すること」は皆無になったと言ってよいでしょう。

 

 通知表では褒めることしかできないということです。いわゆる「褒めて伸ばす」です。著者の藪下さんと髙坂さんは、この「褒めて伸ばす」が、いつの間にか「子どもの問題を指摘しない」「ネガティブなところを示さない」になってしまっていると指摘します。だから通知表なんて、

 

 要らない。

 

 そもそも勤務時間内に作成できないのだから、要らない。子どもだけでなく、教員も苦しめているのだから、要らない。まぁ、著者の二人はそこまでは書いていませんが。話を戻します。通知表に限らず、家庭・学校・地域のあらゆる場面において、問題を指摘される経験が減った結果、ネガティブなところを示される経験が減った結果、どうなったのかといえば、

 

 不登校約30万人。

 

 小中学校合わせると、だいたいそのくらいの数になるそうです。問題を指摘されたりネガティブなところを示されたりすることの多かった時代よりも、つまり《世界からの押し返し》を経験できた時代よりも、圧倒的に増えているということです。スクールカウンセラーの藪下さんが、ひと昔前までは主流だった「無理させず休ませる」という支援が効かなくなっているというのも当然でしょう。不登校のメイン層が、「叱る」に苦しめられた子どもではなく、「叱らない」に苦しめられている子どもに変わってきているわけですから。では、具体的にどういった事例があるのか。

 

 いじめの加害者となった小学校5年生男子の親。状況から男子が加害者であることは明白だが、親は「学校の聞き取りの仕方が悪い」「向こうの子どもだって色々やってりる」などと話した上、数日学校を休ませて「うちの子はこんなに傷ついている」と言う。

 

 事例23として紹介されている「学校のやり方や相手の問題を指摘する親」です。この事例について、みなさんはどう思いますか。お近くの人と話し合ってください。そんな感じで、保護者と教員で読書会をしたい。そして子どもたちが《世界からの押し返し》を正しく経験できるよう、「叱る」や「押し返す」の意義を共有したい。

 

 

 2年前くらいでしょうか。この『「叱らない」が子どもを苦しめる』と同じくらい、村中直人さんの『〈叱る依存〉がとまらない』も話題になっていたと記憶しています。タイトルの示す方向性が真逆のこの2冊。ゴールデンウィークの後半に読んでみたいと思います。連休中に〆切が設定されている宿泊体験学習の提出書類が全部終わればの話ですが。

 

「終わらない」が教員を苦しめる。

 

 おやすみなさい。