田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

松岡亮二、髙橋史子、中村高康 編著『東大生、教育格差を学ぶ』より。教員も、学びましょう。

ヒラノ 私は10歳ぐらいまで、漫画という存在すら知らない状態で育ちました。
松岡 これも「あるある」だと思います。漫画もそうだし、あとはどんなテレビ番組を家族で見ていたか。多分似たような経験を持っている人はいると思うけど、私が小学生の頃は、NHK以外は許されていませんでした。
ナカガワ 親から受けた制限として門限があって、他の友達が夕方6時くらいまで遊べていたのに私の場合は「5時くらいには帰ってこい」と言われていました。あと、私の家でもテレビは基本NHKみたいな文化がありました。
(松岡亮二、髙橋史子、中村高康 編著『東大生、教育格差を学ぶ』光文社新書、2023)

 

 こんばんは。以前、入学時に全ての歯が虫歯になっている子がいて、学校医の先生が「この子を学会に連れて行きたい」と話していたことがありました。小学1年生の教室には、4月の時点で虫歯が一本もない子もいれば、虫歯じゃない歯が一本もない子もいて、まさにカオス。それぞれの家庭環境を想像してみてください。目にする光景も、耳にする言葉も、口に入ってくる食べ物も、おそらくは全然違うでしょう。当然、ALL虫歯の子が東大生になる可能性はほとんどありません。トラブルを起こさない可能性だって、低い。その子が選んだわけではない初期条件の「生まれ」によって、歯のかたちだけでなく、未来のかたちまで決まってしまうというわけです。それが教育格差。つまりは、

 

 社会問題。

 

 

 休みの日にすらまともに休むことができないという、別の社会問題を抱えている私たち教員に、教育格差の縮小っていうでっかい社会問題まで「どうにかなりませんか?」と問われても、「どうにかなるならとっくにどうにかしています」としか答えられません。

 10年以上も前、6年生の担任だったときに耳にした「なんだよ出来杉、ハワイに行ってたのかよ。俺なんか元旦から3日連続早朝マックだよ」という会話を思い出します。出来杉くんは東大生になりました。ご両親も東大出身でした。早朝マックの子は東大生にはなりませんでした。ご両親も東大出身ではありませんでした。東大生になることをグッドとしているわけではありませんが、出来杉くんに個別で指導した時間を「1」とすると、早朝マックの子に個別で指導した時間は「999」ぐらいです。でも、受験に役立つような力をつけるという意味では、

 

 焼け石に水だった。

 

 現場レベルでは時間も労力もかけているのに、教育格差の縮小というマクロな成果は全くといっていいほど得られていないということです。それってノーグッドですよね。だから社会問題の解決にいちばん近い位置にいるであろう東大生が「教育格差」のことをどのように考えているのか、

 

 知りたい。

 

 

 松岡亮二、髙橋史子、中村高康 編著『東大生、教育格差を学ぶ』を読みました。授業に参加した東大生が、大学の先生らとともに、教科書&経験ベースで「教育格差」にまつわるテーマ(例1:教育格差の縮小のため、教師には何ができるでしょうか。例2:いわゆる「地元」の友達と距離を感じた経験はありますか?)について語り合うという内容です。使われている教科書は『現場で使える教育社会学』。こちらも松岡さんと中村さんが編んだものです。いつか、読みたい。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 目次は以下。

 

  第1講 東大生と教育格差を考える
  第2講 現在に至る軌跡を振り返る
  第3講 すべては「頑張った」結果?
  第4講 教師にできることを考える
  第5講 他者の困難を想像する
  第6講 「地元」との距離
  第7講 非行少年と向き合う
  第8講 格差と向き合う進路指導
  第9講 同期生の八割は男性
 第10講 多文化社会を生きる
 第11講 部活の意義
 第12講 いじめと対峙する
 第13講 東大生と教育格差を総括する

 

 第1講から第13講まで、全て授業(コロナ禍だったので、Zoomを用いた双方向オンライン形式)の足跡です。第13講の後に「学期後学生座談会」が収録されていて、これもおもしろい。

 ボリューミーなので、東大生のコメントとしてシェアしたいものを2つと、松岡さんのコメントを1つ紹介します。ちなみに冒頭の引用は第2講から引用しました。学級通信にも載せようと思います。お子さんの学力を本当に上げたいのであれば、長時間労働で疲れきっている教員に何かを期待するよりも、家庭の文化を見直した方が効果的ですよって。

 

タカギ 東大生同士で教育格差を議論することの限界を無視することはできない。~中略~。本当にSESなどに起因する格差を解消したかったら、就学前教育や小学校入学直後の段階で手をうつ必要があるだろう。それ以降は各児童の家庭のSESに応じた社会的な振る舞いの違いが目立つようになり、付き合う友達や何をして遊ぶかなどに差が生じていく。以降、格差は固定していく一方だ。

 

 第2講より。東大生同士で云々っていうところに好感がもてます。ハマータウンの野郎どもも喜ぶでしょう。発言の中にある「SES」というのは、子どもの出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status)のことです。松岡さんの『教育格差』に詳しく書かれています。このSESの影響力を考えると、タカギさんが言うように、早い段階で手を打つ必要があるんですよね、教育格差の縮小には。だからこそ小中高の教員の中で、小学校の教員がいちばん授業のもちコマ数が多いなんていう状況は、よくない。絶対によくない。敵は給特法ではなく、教員の定数を決めている義務教育標準法にあり。そう思います。

 

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ノグチ(現職教員) 僕は授業を通じて自分に無力感を覚えたんです。いろんな知見やデータを知ると、問題は大きくて深くてどうにもしがたいというか、自分一人の力では何ともならないと思ってしまいます。この本を読んだ人もきっとそう感じるんじゃないでしょうか。

 

 学期後学生座談会より。授業には、現職教員の方も参加していました。同業だからでしょうか、《自分一人の力では何ともならない》というところ、共感を覚えます。入学時点で全ての歯が虫歯だった子にも、早朝マックの子にも、結局のところ、有効な指導や支援ができたとは思えませんから。彼らがどこかでヤンチャしていないことを祈るばかりです。

 

松岡 ご成人、おめでとうございます。成人式は一つのすごく分かりやすい例で、毎年報道番組でヤンチャしている子たちの映像が流れます。それを報じている、「いい大学」を卒業しているであろう出演者がその画面を見ながら怪訝な表情を浮かべて「成人として自覚を持ってほしいですね」といった「正しい」コメントをするのが恒例になっています。成人式で騒いでいる子たちと出演者の出身階層や出身地域を仮説的に考えてみると、そのような報道への賛否も変わるかもしれません。

 

 第13講より。成人式の報道に対する見方・考え方、変わってほしいところです。そのためにも、教員はもちろんのこと、できるだけ多くの人が「教育格差」のことを学ばなければいけません。とはいえ、現職教員のノグチさんが《自分一人の力では何ともならない》と発言していたのと同じように、松岡さんも「あとがき」に《メディアへの寄稿なども含めて可能な限り発信してきたつもりですが、一人の力はあまりにも無力です》と書いています。松岡さん曰く《そこで最後に読者の皆様にお願いがあります。本書の感想のオンライン発信、読書会の開催、身近な人との会話で話題に出す、教師を含む教育関係者に薦める、高校や大学で教えているのであれば授業で読書課題に指定するといった形で、本書と教科書の存在を一人でも多くの人々に伝えていただけないでしょうか》。

 

 というわけで、発信しました。

 

 拡散願いますφ(..)