田舎教師ときどき都会教師

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ポール・タフ 著『私たちは子どもに何ができるのか』より。非認知能力は子供をとりまく環境の産物である。

 生徒の標準テストの得点を、毎年確実に上げることのできる教師がいる。こうした教師は、現行のすべての評価システムにおいて最も高く評価され、最も高い報酬を受けている。しかしジャクソンは、生徒の非認知能力の代替尺度を確実に上げることのできる教師が一定数いることを発見した。こうした教師が担任になると、出席率も、停学処分を避けられる可能性も、すんなり進級できる可能性も高くなるのだ。GAPも上がる。その特定の教師が担任をしているあいだだけでなく、クラスが変わってからも。
 ジャクソンの発見によれば、この二つのタイプの教師は必ずしも重ならない。
(ポール・タフ『私たちは子どもに何ができるのか』英治出版、2017)

 

 こんばんは。先日、教室を幾何学でいうところの4つの象限に分割して、それぞれの象限にサークルをつくり、場を整えた上で話し合いやら議論やらを子どもたちに促したところ、ちょっと光が見えてきました。協同学習への光です。

 教室にはファシリテーター1名とホワイトボードへの記録1名を含む8or9名から成るサークルが4つ。

 各サークルが当該象限いっぱいに広がれば、一定の距離を保ったままでも小集団での対話( ≒ ホワイトボード・ミーティング)ができます。学校の新しい生活様式においても、講義型とは違った学習指導ができるというわけです。

 

 

 日本語版のまえがきを書いている、認定NPO法人フローレンス代表理事の駒崎弘樹さんの名前に惹かれて、ポール・タフ 著『私たちは子どもに何ができるのか』(高山真由美 訳)を読みました。同著者による『成功する子  失敗する子』の続編に位置づけられる一冊で、いわゆる非認知能力に関する最新事例がまとめられています。

 

 副題は「非認知能力を育み、格差に挑む」というもの。

 

 非認知能力というのは、粘り強さや自制心、好奇心、やり抜く力などのような、ペーパーテストでは認知できない能力や気質のことで、駒崎さんのような成功者の多くが子ども時代に獲得しているといわれるものです。子どもたちのその後の人生を決めるのは、認知能力ではなく、非認知能力である。前作の結論を受けて、本作には「非認知能力を育むためには?」という問いに対する「答えへの扉」が用意されています。

 

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 まずは大前提。それは、非認知能力は小学校の先生が「かけ算九九」を教えるようには教えることができないということです。粘り強さの大切さを教えたところで、いわゆるレジリエンスが高まるわけではない。感染症医の岩田健太郎さんがいうところの「主体性は教えられるか」という話と同じです。

 

 主体性は、非認知能力は、教えられない。

 

 では、どうすればよいのか。著者曰く、有益なのは《非認知能力は子供をとりまく環境の産物である》と考えること。そのように考えると、例えば文化的・経済的にあまり恵まれていない家庭に小さな子どもがいる場合には、積極的な介入を試みるというのが「答えへの扉」のひとつになります。後々まで続く子どもたちの格差は、乳幼児期に生まれることがわかっているからです。だから《格差に挑む》。

 

 ①子どもの健康をターゲットにする。
 ②子どもの認知能力(語彙や読解能力)をターゲットにする。
 ③子どもと親との関係をターゲットにする。

 

 小さな子どものいる家庭への介入にあたって、ターゲットとなるのは、①でも②でもなく、③とのこと。疲れきった親たちへの心理面、感情面の支援も含めての介入が有効とのことです。なるほど。

 では、多くの時間を学校で過ごすことになる学童期や思春期における「答えへの扉」はどこにあるのでしょうか。疲れきった教員たちへの心理面、感情面の支援については何も書かれていませんでしたが、学習指導については、次のようなことが書かれていました。

 

しかしその後、校内がある程度おちつくと、コーチらは「協同学習」を奨励することに焦点を合わせた。これは学習の過程に生徒の参加を求める教育学のアプローチだ。講義の時間を減らし、ワークシートでの反復作業も減らし、小グループでの活動に時間を使って、問題を解いたり、討論をしたり、長期間かけて何かをつくるプロジェクトに何人かで取り組んだりする。

 

 学習指導の在り方を変えることで、例えば協同学習を大胆に取り入れることで、非認知能力を高めることができるという話です。わたしが参考にしているイエナプラン教育のサークル対話や西川純さんの『学び合い』などはこっちサイド。すなわち非認知能力を高めることをねらいとした教育といえます。あっちサイドについてはご想像にお任せしますが、冒頭の引用でいえば、こっちサイドとあっちサイドが(この二つのタイプの教師が)必ずしも重ならないというのが、現場におけるさまざまな「問題」の遠因となっているように思います。

 

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 明日の3時間目と4時間目は理科です。顕微鏡を使ってでんぷんを観る予定です。でも理科室は使えません。理科室の机だと対面になってしまうからです。それからモノを共有してはいけないので、顕微鏡も……。えっ、顕微鏡って人数分ないけれど、どうすればいいの(?)。認知能力とか、非認知能力とか、成功する子とか、失敗する子とか、そういった話以前の制約だらけの毎日です。

 

 コロナの時代、私たちは子どもに何ができるのか。

 

 おやすみなさい。