田舎教師ときどき都会教師

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西川純 著『教師がブラック残業から賢く身を守る方法』より。それほどたくさんのことができるはずないのだ!

 勤務時間外の部活指導を命じられないことは法的には完全に明らかです。断わる障害としてあと残っているのは慣習的なものです。つまり、みんなが「しかたがない」と思っているからです。我々が「しかたがない」と思って引き受けることは、家庭的に追い詰められている他の人に「しかたがない」と思わせるような圧力をかけていることになります。つまり、我々は被害者であると同時に加害者なのです。
(西川純『教師がブラック残業から賢く身を守る方法』学陽書房、2018)

 

 おはようございます。こと小学校に関しては、誰かの「しかたがない」と、誰かの「承認欲求」を軽んじてはいけません。それらを軽んじた結果が、現在の「ブラック労働」の温床になっているからです。勤務時間と児童の在校時間、それから教科数と授業のコマ数を考えれば、教師は、特に担任は、学級づくりと授業づくりだけで手一杯なはずです。それなのになぜ、余計なことをするのでしょうか。余計なことの中身はあえて書きませんが、誰かの「しかたがない」と、誰かの「承認欲求」が、その余計なことを生んでいるのは間違いありません。結果、家庭的に追い詰められている誰かが苦しむことになります。病んだり辞めたり、これまでに何人もの被害者を見てきました。キラキラしたりギラギラしたり、これまでに何人もの加害者も見てきました。

 

 教員の敵は教員。

 

 そういわれる所以です。ブラック残業から賢く身を守るためにも、そういったことがわかっている管理職のもとで働きたい。

 

 

 前校長、わかっていたなぁ。

 

 

 西川純さんの『教師がブラック残業から賢く身を守る方法』を読みました。数々の著書や Facebook の発信などから想像するに、西川さんも前校長と同様に「わかっている人」です。

 

 目次は以下。

 

 第1章 なぜ教師はブラック残業があたりまえなのか
 第2章 現場から始まっている先進的な取り組み
 第3章 自分でできることを始めよう
 第4章 多忙感を解消する究極の冴えたやり方

第1章 なぜ教師はブラック残業があたりまえなのか

 なぜならば給特法があるから。そして給特法がなくなることはない、というようなことが書かれています。現在の法律のもとでは、例え教師が裁判を起こしたとしても、残業代請求が認められることはないということも明記されています。埼玉教員超勤訴訟の田中まさおさんの訴えが認められなかったのは、ロジックとして、そもそも当然だったということでしょう。

 

 部活に関しては学習指導要領の中に1ヵ所だけ書かれています。でも、学習指導要領は告示です。一方、超勤4項目は省令よりも上位法である政令です。したがって、学習指導要領より超勤4項目が優先されます。
 つまり、学習指導要領に書かれているのは、超勤4項目に合致する「勤務時間内での部活」なのです。
 勤務時間内の部活で「学習意欲の向上や責任感、連帯感の涵養等に資するもの」を指導しなさいと書いてあるのです。

 

 目には目を、ロジックにはロジックをです。私たち教員も、ロジック通りに、定時で退勤すればいいという話です。西川さんは、Facebook等で、同様のことをしきりに訴えています。市役所の電話が定時で終わるように、学校の電話も定時で終わればいい。そして帰れ、と。それで問題が起きるのであれば、それは管理職の責任だと。だからこそ、誰かの「しかたがない」や、誰かの「承認欲求」はまずいんですよね。為政者の思う壺というわけです。

 

 みなさん、定時で帰りましょう。

 

第2章 現場から始まっている先進的な取り組み

 第2章では、現場から始まっている先進的な取り組みとして、横浜市の例と、大分大学教育学部付属小学校の例が紹介されています。取り組みというのは働き方改革のことです。ちなみにこの「働き方改革」について、西川さんは《「教員の勤務実態がひどすぎる」から進んでいるのではなく、日本が生き残るためにやっている》と書いています。少子高齢化や労働人口の減少を考えると、働き方改革は待ったなしなんですよね。にもかかわらず、現場の働き方改革が進んでいるようには思えない(管理職が「待ったなし」と思っているとは思えない)というのが私の実感なのですが、みなさんの学校はどうでしょうか。大分大学教育学部附属小学校の取り組みについては、以下のブログを参考にしてください。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 横浜市の取り組みの効果については、知り合いが多く働いていて、情報も多く入ってくるので、正直眉唾です。西川さんが書いているようにはうまくいっていない。そう想像します。笛吹けど踊らず、なのかもしれませんが。そうだとすれば、やはり「教員の敵は教員」なのだと思います。

 

第3章 自分でできることを始めよう

 自分でできることを始めようって、大事です。冒頭の引用はこの第3章からとりました。しかたがないと思って引き受けてはダメだということです。初任欲求おばけに付き合っていてはダメだということです。身を守るためには、断わる。家庭的に追い詰められている同僚を救うためにも、断わる。何より、子どもたちの未来のために、断わる。

 

 個人としてできる改革は簡単にいうと「手を抜く」です。

 

 正解。各種アンケートなど、子どもたちに直接影響のない仕事は「手を抜く」。授業に関しては、西川さんの十八番である『学び合い』の考え方をベースに、子どもたちに任せることで「手を抜く」。誤解を招かないように書いておきますが、手を抜いた方が、すなわち任せた方が、子どもたちの力は全方位的にアップします。加えて、西川さん流の働き方に倣って《すぐにできることをやり続ける》を徹底する。個人としてできる改革は、そういったところでしょうか。

 

 では、組織としては?

 

 西川さんはドラッカーの本を引きます。目の付けどころがシャープすぎます。

 

 彼は、「最も犯しがちな過ちは、立派な意図をたくさん盛り込んで使命としてしまうことである。使命は簡単、明瞭でなければならない。新たな任務を取り入れるのであれば、古い任務は脇にのけるか、やめなければならない。それほどたくさんのことができるはずないのだ」と『非営利組織の経営』に書いています。

 

 聞いたか、全国の校長!

 

第4章 多忙感を解消する究極の冴えたやり方

 最後に、多忙感を解消する究極の冴えたやり方として『学び合い』が勧められています。具体的には、カリキュラム・マネジメントの文脈で、全校『学び合い』をすればいいという提案です。曰く、週に1回、あるいは2週に1回程度から始めましょう、云々。

 

「今日は2クラス合同だから、それぞれのクラスがチームになる授業をやるよ。今日の課題は、ここにいる全員が問題を解けること。自分が問題を解けたら終わりというわけではない。チーム全員が解けることが課題だよ。教卓に答えを置いておくから、解けたら答え合わせをしてね。間違ったら、机に戻って書き直してください。~中略~。」とやるのです。

 

 イメージがわくでしょうか。この場合の2クラスは、異学年でも構いません。要は、私たちが中高時代に経験した部活のやり方と同じです。2クラス合同あれば、一石二鳥どころか、一石三鳥で、子どもたちの関係性を活性化することができるし、子どもたちの自治の力を伸ばすこともできるし、子どもたちの『学び合い』を眺めながら、担任同士で話をして教師同士の『学び合い』をすることもできるというわけです。もしかしたら一石四鳥かもしれないし、一石五鳥かもしれません。それは、

 

 読んでみてからのお楽しみ。

 

 今日は映画と読書会♬

 

 

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