田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

内田良、小室淑恵、田川拓磨、西村祐二 著『先生がいなくなる』より。学校の働き方改革は「先生以外の人たち」とも無関係でない。

小室 若い教員の方と話をしていると、「給特法というのは教員の仕事が特別で、その特殊性を守るために作った法律だから残すべき」とおっしゃる方もいます。しかし実際は、当時労働時間に関する訴訟が増えて、そういった裁判に国が負けないために定額働かせ放題の法律を作ったにすぎないということですよね。
金井 おっしゃる通りだと思います。教員が「特殊」だとすれば、先取りして労働破壊を受け入れるくらい、教員は世間知らずの「特殊」な人たちだったということです。労働経済の論理を知らないから、一般労働者よりも40年くらい早く「やりがい搾取」の「定額働かせ放題」になってしまったということで、労働者意識が低いということです。
(内田良、小室淑恵、田川拓磨、西村祐二『先生がいなくなる』PHP新書、2023)

 

 こんばんは。日本の教員は、あまりにも「特殊」すぎて絶滅してしまうのではないか。東京大学大学院法学政治学研究科教授の金井利之さんがやや辛口な感じで言わんとしているのは、そういった「危惧」のことかもしれません。だって、先生がいなくなるって、これ以上ないくらいに直截的なタイトルですから。私たち教員は絶滅危惧種なのでしょう。先日、教員養成系の大学に通う学生さんたち数名と飲んだところ、4年生の子が「8人いるゼミ生の中で教員志望は私だけなんです」と話していて、然もありなんと思いました。教員だけでなく、教員の卵もまた絶滅の危機に瀕しているというわけです。

 

 では、どうすればいいのか。

 

 試しに ChatGPT に「絶滅危惧種を保護するためには?」と訊いてみたところ、手段のひとつに「教育と啓発」が挙げられ、曰く《絶滅危惧種の保護には、一般の人々の関心と協力が必要です。教育と啓発活動を通じて、人々に絶滅危惧種の重要性や保護の方法を啓発し、持続可能な行動を促す必要があります》とのこと。もしかしたら内田良さんらも ChatGPT に質問したのかもしれません。新刊の『先生がいなくなる』は、教育と啓発にうってつけの一冊ですから。

 

 

 内田良さん、小室淑恵さん、田川拓磨さん、そして西村祐二さんの 『先生がいなくなる』を読みました。妹尾昌俊さんと工藤祥子さんの『先生を、死なせない。』と同様にインパクトのあるタイトルです。学校現場は、それくらい危機的状況にあるということでしょう。

 内田さんは教育社会学を専門とする大学教授、小室さんは株式会社ワーク・ライフ・バランスの代表取締役社長、田川さんは小室さんの会社の社員、そして西村さんは斉藤ひでみという名前でも知られる現場のヒーローです。西村さんについては、ヒーロー故に敵も多そうですが、現職教諭でありながら発信を続けるライフスタイルに、元気づけられたり勇気づけられたりした教員も多いのではないでしょうか。少なくとも私は勇気づけられました。

 

 目次は以下。

 

 第1章 教師を苦しめる「命令なき超過勤務の強要」
 第2章 時間管理なき長時間労働
 第3章 教育現場から訴える学校改善の方策
 第4章 学校の働き方改革が「先生以外の人たち」とも無関係でない理由
 第5章 学校現場での働き方改革
 第6章 給特法の「これまで」と「これから」を考える座談会

 第1章と第3章を西村さんが、第2章を内田さんが、第4章を小室さんが、第5章を田川さんが、そして第6章を金井さんと内田さんと小室さんが担当しています。冒頭の引用は第6章からとったものです。内田さんや西村さん(斉藤さん)の見方・考え方はこれまでにも何冊かの本で読み、このブログでも紹介したことがあるので、ここでは小室さんの「学校の働き方改革が『先生以外の人たち』とも無関係でない理由」について紹介します。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 さて、その理由とは?

 

 民間企業や官公庁などの組織に働き方改革コンサルティングを提供してきた実績をもつ小室さんは、詩人が句読点でも打つかのように、優雅に、そして理路整然と、次のようなロジックを展開します。

 第一に「睡眠不足の上司ほど部下に侮辱的な言葉を使う」という確固たるファクトを提示し、第二に「長年放置されてきた長時間労働によって、教員の脳は睡眠不足の上司と同様におかしくなっている」という見方・考え方を働かせ、第三に「そんな教員のもとに未来の社会を担う子どもたちを毎日送り込まなくてはいけないなんて、すべての親たちは本気で怒るべきである」と結論づけます。それが「学校の働き方改革が『先生以外の人たち』とも無関係でない」理由です。もちろん、小室さんは教員に対して怒っているのではありません。怒りの矛先は、

 

 国です。

 

 国が本気になれば、変わるはずなんですよね。西村さんが第3章の中で、国が本気になった事例として、お隣の韓国のことを紹介しています。韓国が教員の働き方改革に成功しているなんて、寡聞にして知りませんでした。

 

 真似すればいいのに。

 

 その結果、現在は若手教員がインタビューに「放課後や長期休暇に自分を磨かないと新しいことは教えられない」(世界を見て回ったり、何かを習ったりする時間があるということが実践にも役立っている)と述べるほど、教育現場にゆとりが生まれることとなった。韓国において「学校の先生」は長らく憧れの職業第1位であるが、理由は安定した職業であることと、定時に帰ることができる職場環境等にあるという(田中光晴「韓国における『働き方改革』」「季刊教育法」第198号、エイデル研究所、2018年)。

 

 月に60時間とか80時間とか100時間とか残業しているのに、研究や研修に現を抜かす日本の小学校が残念でなりません。定時に帰って世界を見て回った方が、よほど研究や研修になるし、

 

 人生も豊かになる。

 

 国以外のファクターとして、もう一つ付け加えれば、学校の働き方改革にも取り組んでいるという、小室さん&田川さんが見いだした《校長・教頭の権限で、止められる・変えられる業務が多くある》という事実でしょう。もしかしたら管理職、特に校長にとっては不都合な真実かもしれません(現場の感覚からいうと、教頭に権限があるとは思えません)。

 国と校長が本気を出せば、先生がいなくなる、なんてことはなくなるのに。国と校長ではない私たちができることがあるとすれば、それは「教職調整額を現行の給与月額の4%から10%以上に増額する」等々の改革でお茶を濁そうとしている政治家さんやら官僚さんやらが考えを改めるよう、声をあげ続けることでしょう。これ以上脳をおかしなものにされたらたまりませんから。改革について、内田さんも《その行方は、私たちがこれからどこまで声をあげていけるかに、かかっている》と書いています。

 

 脳を休めるべく、もう寝ます。

 

 おやすみなさい。