田舎教師ときどき都会教師

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水野敬也 著『夢をかなえるゾウ4』より。夢のかなえ方と、夢の手放し方。子どもたちにも教えよう。

「頑張ることが『良い』とされればされるほど、頑張らへんことは『悪い』ことになる。若さを保つことが『良い』とされればされるほど、老いることは『悪い』ことになる。夢をかなえることが『良い』とされればされるほど、夢をかなえてへんことは『悪い』ことになる。人間の歴史が始まって以来、今ほど、個々の人間が夢をかなえてへんことが『悪い』とされる時代はあらへんかったで」
 そして、ガネーシャは言った。
「今、世の中の人らが感じている苦しみの多くはな、『夢』が生み出してんねんで」
 僕は、ガネーシャの言葉に深く考えさせられた。
(水野敬也『夢をかなえるゾウ4』文響社、2023)

 

 こんばんは。市研とか区研とか、出張を伴うそういった公的な研修に参加することが「良い」とされればされるほど、学校に残って仕事をすることは「悪い」ことになります。毎月の残業が60時間とか80時間とか100時間とか、それでいて残業代は出ないとか、しかも休憩時間は1分だとか、そういったあり得ない状態を放置しておきながら研修って、ご冗談でしょう、ファインマンさん。

 

「自分、リチャード・ファインマンくん、知ってるか?」

 

 ここにガネーシャがいたらそう言い出しそうです。冗談が好きという共通点をもっている二人です。ファインマンがノーベル物理学賞を受賞したのも、もしかしたらガネーシャの課題を実行したからかもしれません。例えば、次のような課題です。

 

[ガネーシャの課題]

 思い切って仕事を休む。

 

 

 勇気が足りず、丸一日、あるいは丸二日休むほどには思い切れませんでした。私の代わりにクラスに入ることになる同僚に悪いなって、どうしてもそう思ってしまいます。ガネーシャはこの課題を出すに当たって「ワシはな、人に迷惑をかけることがええことやて言うてるわけやないで。ただ、人の評価を大事にしすぎるちゅうことは、自分がほんまに大事にせなあかんもんを見失ってまうことでもあるんやで」と話していますが、なにせ過労死レベルで働いている同僚が「ほとんど」という職場です。おいそれと「今日一日休みます。明日も」なんて口にはできません。まぁ、突然死神が目の前に現われ、今にも消えてしまいそうなロウソクを手に「あなたの寿命はもって3ヶ月です」って、余命宣告でもされれば違うのかもしれませんが。現状では子どもたちを帰した後に使う「年休1」or「年休2」が「せいぜい」です。

 

 やれやれ。

 

 

 水野敬也さんの『夢をかなえるゾウ4』を読みました。シリーズの「1」「2」「3」を読んだときにも思ったことですが、お勧めです(!)って、できるだけ多くの人に呼びかけたくなるような一冊です。よくある「俺、ベストセラーは読まないから」みたいな気取った態度はやめましょう。昔の私がそうでした。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 シリーズのパート4となる今回の副題は「ガネーシャと死神」。何だか穏やかではありません。死神という名前から想像できるように、今回は「死」がモチーフになっています。

 主人公は家族を愛する平凡な会社員の僕。僕は、病弱な妻の志織と、保育園に通う一人娘の晴香と、家族三人でしあわせな毎日を過ごしています。これまでも、そして病気にさえならなければ、おそらくはこれからも。しかし、ある日突然、僕は「ガネ医者」に余命3ヶ月ですよと宣告されてしまいます。それが起承転結の「起」。

 

 晴香と志織のために、お金を作りたい。

 

 命が尽きるまでの3ヶ月の間に、ガネーシャの課題を実行し、1億円をつくる。そして晴香と志織がお金に困らないようにする。それが「僕」の夢になります。で、例によってガネーシャの課題が次々と出てくるのですが、今回は「死」がモチーフということもあって、やはり次の課題が道徳の授業でいうところの中心発問みたいなものだなぁと思いました。

 

[ガネーシャの課題]

「死ぬまでにやりたいことリスト」を作る。

 

「レオナルド・ダ・ヴィンチくんな。彼は画家だけやのうて発明家でもあったんやけど、めっちゃメモを取る習慣があってん。彼の残したメモの中には、将来作ろう思てた、パラシュートやヘリコプター、コンタクトレンズの構想までが書かれてたんやで。そのダ・ヴィンチくんに影響受けたんがエジソンくんや。彼も、これから発明したいもののリストをノートにびっしり書いててんな」

 

 例によって「偉人のエピソード」がセットになって出てきます。課題とエピソードのハッピーセット。この流れ、4作目でも、全くといっていいほど飽きません。今回もまた、全てのエピソードを子どもたちに伝えたいくらいです。

「死ぬまでにやりたいこと」リスト、いわゆる Bucket List(バケットリスト)については、授業でやったり、保護者会でやったり、学年の同僚と一緒にやったり、それからプライベートでも定期的にやったり……、ということもあって、すっかり既知のものとしてとらえていましたが、やはり「死」をリアルに感じている「僕」と、そうでない「私」とでは、切迫感が全然違っていて、やはり残業なんてしている場合ではないな、と。リストに書いたことをどんどん実行していく「僕」は、そのことをブログに書いて、アクセス数を伸ばして、これ以上続けるとネタバレになってしまうので書きませんが、とにかく課題をクリアするごとに一歩一歩確実に夢に近づいていきます。

 

 ここまでが起承転結の「承」。

 

 起承転結の「転」が素敵なんです。ぜひ読んでほしいんです。だから少ししか書きませんが、冒頭の引用と「かなえてきた夢を思い出す」という課題、それから過去の人たちからすると、現在の私たちはすでに夢がかなえられた状況にいる(!)という「世界は贈与でできている」的な見方・考え方がヒントです。

 

「今、世の中の人らが感じている苦しみの多くはな、『夢』が生み出してんねんで」

 

 では、どうすればいいのか。ガネーシャは言います。曰く「もし人間が、『夢を手放したい』ちゅう夢を持ったなら、その方法も教えられんねんで」云々。

 

 夢のかなえ方と、夢の手放し方。

 

 結末や如何に。