葛藤の不在にもかかわらず、映画を印象的で夢中になれるものにするために、音楽性、色調、抒情性を表現しようと挑戦しています。自分の人生観を反映した映画を作ろうと思っています。私は、人生において、余白だと思われるような部分を描いた映画を作りたいのです。私は主題に支配されていないような映画が好きなのです。人生が映画の主題であって、映画が主題の人質になってはいけないと思うからです。
(劇場用パンフレット『午前4時にパリの夜は明ける』ビターズ・エンド、2023)
こんばんは。大型連休明けの先週は、土曜公開授業もあったことから、残業続きの大型労働になってしまいました。同僚と一緒に行った土曜授業後のランチを除けば、余白だと思われるような部分は皆無だったような気がします。
余白が映画になる。
明日は代休なしの土曜授業。明日も授業あるの、大変だよねって、今朝、年配の女性の用務員さんに言われた。疲れがとれないでしょう。先生って大変だよね、と。最後に「がんばってね」と言われ、続けて「あっ、がんばらなくていいからね」と訂正された。がんばらなくていいって、心配される職業φ(..)
— CountryTeacher (@HereticsStar) May 12, 2023
学校においても、ミカエル・アース監督の発言(冒頭の引用)に倣って、余白だと思われるような部分を描いたカリキュラムを作りたい。映画『午前4時にパリの夜は明ける』を観終えた後に、スマホをいじりながらそんなことを考えていたら、かつての同僚(カリスマ)が「本年度、午前授業の日を16日間つくった」と発信しているのを見つけて、さすがだなと。午前5時間授業というまやかしではなく、子どもたちにも教員にも余白を生み出す、純粋な午前授業です。
余白が教育になる。
ミカエル・アース監督の映画『午前4時にパリの夜は明ける』を観ました。ChatGPT によると、アーネスト・ヘミングウェイに同タイトルの作品があって、その小説は《1920年代のパリを舞台に、若い作家たちが夜な夜な酒を飲みながら、文学や人生について語り合う様子が描かれています。》とのこと。でも、それとは関係ありません。映画の舞台は1980年代のパリ。主演は71年生まれのシャルロット・ゲンズブール。冒頭に引用した監督の言葉にあるように、葛藤の不在にもかかわらず、印象的で夢中なれる、
大人の映画です。
映画の冒頭、夜のパリ(当時の映像!)が映し出され、そこに「1981年5月10日」という日付が刻まれます。その日は ChatGPT 曰く《フランス大統領選挙の第2回投票が行われました。フランソワ・ミッテランとヴァレリー・ジスカール・デスタンの2人が決選投票に進み、最終的にミッテランが勝利し、フランス初の社会党政権が誕生しました。》という、フランス現代史におけるエポックメイキングな一日で、映画はその特別な夜を起点に、そこからの7年間を生きるある家族の物語を描きます。主人公は夫と別れ、ひとりで2人の子どもたち(高校生の男女)を養うことになった、シャルロット・ゲンズブール演ずるエリザベート。専業主婦だったエリザベートが見つけたのは、深夜のラジオ番組の仕事。その仕事が終わるのが、午前4時。だから午前4時にパリの夜は明けるというタイトルがつけられているというわけです。原題は、
Les Pasagers de la Nuit
原題と邦題が違うような気がしたので ChatGPT に訊いてみたところ、曰く《『Les Passagers de la Nuit』は、フランスの小説家、ミシェル・ド・ジルドが1942年に発表した小説で、直訳すると「夜の乗客たち」という意味になります。日本語に翻訳されたタイトルは「夜の旅人たち」ということが多いです。》云々。なるほど、だから映画の中に出てくるラジオ番組のタイトルが「夜の乗客たち」だったのか。恐るべし、生成AI。
めっちゃ使える。
読みましょう。メディアの「絵」に騙されてはいけません。生成AIが台頭してきたら、もっともっと簡単に騙されてしまいます。カバンには本を。https://t.co/PT9IlzTbWB
— CountryTeacher (@HereticsStar) May 3, 2023
生成AIに対してさまざまな見方・考え方を働かせることができるように、人生に対しても、別れや出会い、子どもたちの成長など、誰もが経験する日常のちょっとした変化こそが「映画になる」という見方・考え方を働かせることができます。それがミカエル監督いうところの《人生において、余白だと思われるような部分》でしょう。ミカエル監督はその見せ方が、
巧い。
音楽といい、映像といい、裸になって当たり前のように愛し合う場面といい。官能的なのに、ナチュラル。さすがはフランス映画です。
大人だぁ。
パリを舞台にした『今宵、212号室で』と『冬時間のパリ』も、余白に価値を置いた「大人だぁ」という映画でした。日本の映画を観てそのように感じることはほとんどありません。岩本麻奈さんが『人生に消しゴムを使わない生き方』に書いているように、
教育の違いでしょうか。
ChatGPT にフランス映画と日本の映画の違いを訊ねたみたところ、スタイルの違い、撮影手法の違い、演技の違い、そして制作費の違いという4つの違いが示されました。4つ目の制作費について、曰く《フランス映画は、多くの場合、アーティスティックな表現を追求するために製作費がかなり抑えられることが多く、低予算で作られることが多いとされています。一方、日本映画は、製作費をかけてスケールの大きな作品を制作することが多いとされています。》とのこと。これだな、と思います。時間をかけて見映え重視の行事や研究なんてやるから余白が失われてしまう。学校に置き換えるとそうなります。価値は余白にあり。そして余白が教育になり、
映画にもなる。
ある日、エリザベートは、ラジオ番組『夜の乗客たち』に人生相談を寄せたタルラという身寄りのない少女と出会い、自宅に招き入れます。さて、どんな余白が描かれるのでしょうか。
それはぜひ映画館で。
おやすみなさい。