田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

村上龍 著『ユーチューバー』より。恋とその不確かな壁。

「インドドレスのことは不思議に強烈に覚えてるんだ、他のことは曖昧になってるんだけどね。スミコはあるとき、クスリを大量に飲んで、病院に入り、田舎から、岡山から母親が来て、連れて帰った。~中略~。ここまでが受賞前だ。おれは二十三歳で、その年の十月に小説を書いてデビューする。西武新宿線の、青梅街道沿いのアパートだった。二十三歳で書いて、二十四歳のときに受賞して、デビューするんだけど、その年の上半期は、直木賞がいなくて、芥川賞がおれ一人だったんだ。だから目立ったんだよ。大騒ぎだった」
(村上龍『ユーチューバー』幻冬舎、2023)

 

 こんばんは。昨日、電車を乗り継ぎ、片道2時間以上かけて、旅仲間のご自宅にお見舞いに行ってきました。20年以上も前にカルカッタのゲストハウスで出会った画家さんです。御年84歳。コロナ禍の直前までバックパッカーを続けていて、4年前に会ったときには「ジョージアに行ってきたよ」なんて話していたのに、やっかいな病に罹ってしまって、今では寝たきりに近い状態に。ベッドから車椅子に移ることも一苦労、ご飯を口に運ぶことも一苦労、何もかもが一苦労で、思いがけず介護の大変さを知ることになった一日でした。正直、

 

 教員の大変さどころではありません。

 

 

 往復4時間以上の長旅だったので、朝夕、電車に揺られながら村上龍さんの新刊を楽しみました。24歳のときに芥川賞をとった村上龍さんも、今や71歳。その村上龍さんをして《ある作家の出現で、自分の仕事が楽になる、ということがある。他者が、自分をくっきりとさせるのである》と言わしめた、同世代の好敵手である村上春樹さんも、今や72歳。流れた時間の量と、その速さを感じます。光陰は戻ってこない。だからこそ、体が動くうちに、頭が働くうちに、やりたいことを、やりたい。矢の如くそう思います。

 

 ユーチューバーになりたいとは思いませんが。

 

 

 村上龍さんの『ユーチューバー』を読みました。表題作の「ユーチューバー」(書き下ろし)に加えて、3つの関連作品(「ホテル・サブスクリプション」「ディスカバリー」「ユーチューブ」)が収録されている長編小説です。それにしても、村上春樹さんが40年前の自身の作品(『街と、その不確かな壁』)に向き合った一方で、村上龍さんは今どき感のある「ユーチューバー」って、新刊におけるその対称性がおもしろく、ふたりの幻の共著(絶版)に出てくる《他者が、自分をくっきりとさせる》という関係が今なお続いているように感じられて、嬉しい。

 

 限りなく嬉しい。

 

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 表題作の「ユーチューバー」のできが圧倒的でした。『街とその不確かな壁』が相変わらずの村上春樹さんだったように、『ユーチューバー』も相変わらずの村上龍さんです。

 

 文体の勢いに、酔う。

 

 内容を簡単にいえば、70代を迎えた有名作家の矢﨑健介が、ユーチューバーになって女性遍歴を語るというもの。もちろん「矢﨑健介=村上龍」としか読めません。

 

「おれは、最近、思い出すことがあるんだ。それは、これまで付き合ってきた女たちなんだけど、それをよく思い出す。なぜかわからないけど、細かいことまで、思い出してしまうんだ。なぜかよくわからない。それを話すっていうのはどうかな」

 

 そして語り始めます。女性がどんどん出てきます。小説ゆえ、どこからどこまでが作り話で、どこからどこまでが本当の話なのか、それはわかりませんが、語り口はさすがの村上龍さんで、酔いがどんどん回っていきます。同時に、批判力をどんどん失っていきます。冒頭の引用は『ユーチューバー』からとったもの。これなんかは(特に後半は)本当の話ですよね。

 

 では、次の話は本当でしょうか。

 

「二人目は、話しづらいんです。ぼくが十八歳で、彼女は二十三歳でした。~中略~。ケンは、ケンって彼女はぼくをそう呼んでいました。ケンは、これからいろいろな人と出会うよ。それが、ぼくと別れる理由でした。じゃあね、そう言って去っていきました。ぼくはその喪失感で、これまで生きてきたような気がします。その喪失感で、小説を書いて、ずっと後悔しました。別れるんじゃなかったと思って、生きてきた気がします」
 ちょっと待って、と彼が撮影を中断した。この話、やばくないかと言った。いや、全然やばくないですよ、感動的です、素敵な話だと思いました。そういって、イチカワにも意見を求めたが、イチカワも同意見だった。

 

 私も同意見です。感動的です。あの村上龍さんが、喪失感をバネにして小説を書いていたなんて。でも、これが作り話なのか本当の話なのかはわかりません。火のないところに煙は立たず、とはいえ、完全に出鱈目の可能性もあります。ちなみにイチカワというのは編集スタッフで、感動的ですと言ったのは、矢﨑謙介にユーチューブへの出演を依頼した「わたし」です。まぁ、そこは重要ではありません。重要なのは、女性についての語り口が、71歳になっても村上龍さんだなぁというところです。

 

 女性遍歴。

 

 でも、たしかにいろいろと大変ではあるのだけれど、人を恋する気持ちというのは、けっこう長持ちするものである。それがかなり昔に起こったことであっても、つい昨日のことのようにありありと思い出せたりもする。そしてそのような心持ちの記憶は、時として冷え冷えとする我々の人生を、暗がりの中のたき火のようにほんのりと温めてくれたりもする。そういう意味でも、恋愛というのはできるうちにせっせとしておいた方が良いのかもしれない。

 

 村上春樹さん訳『恋しくて』の「訳者あとがき」より。村上春樹さんだなぁ。同じ「女性遍歴」について語っているのに、全く異なるイメージを喚起させるんですよね。恋愛というのはできるうちにせっせとしておいた方が良いのかもしれない ≒ 女性遍歴。うん、同じことなのに、全然ニュアンスが違う。新刊の『街とその不確かな壁』に登場する女性も、一人残らず村上春樹さんだなぁと思える造形でした。

 

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 で、わかっていると思いますが、どちらが良いとか悪いとか、そういった話をしたいわけではありません。「ふたりの村上」の新刊を読んでしみじみと思ったことは、過去の女性の存在って、70代になってもでっかいんだなぁということです。80代の画家さんも、同じようなことを言っていました。義務教育でも、恋愛について教えた方がいいんじゃないかな。

 

 恋とその不確かな壁。

 

 おやすみなさい。