田舎教師ときどき都会教師

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凪良ゆう 著『汝、星のごとく』より。過去は変えられる。

 会社と刺繍のダブルワークに加えて、母親の世話をしていたあのころに比べたら軽いと思える。ならば、あのころのわたしを絶望させていたことも無駄ではなかった。過去は変えられないと言うけれど、未来によって上書きすることはできるようだ。とはいえ、結局一番のがんばれる理由は『ここはわたしが選んだ場所』という単純な事実なのだと思う。
(凪良ゆう『汝、星のごとく』講談社、2022)

 

 おはようございます。あっという間に大型連休(5連休)の最終日です。明日から始まる大型労働(6連勤)のことを考えると、絶望的な気分になりますが、仕方ありません。凪良ゆうさんの小説に出てくる「わたし」がそう言うように、この絶望も無駄ではなかった(!)と思えるような月火水木金土を送れるよう、周りの目なんて気にせずに定時退勤を心がけるのみです。だって、

 

 過去は変えられるから。

 

 冒頭の引用ヶ所を読んだときに、平野啓一郎さんの『マチネの終わりに』に出てくる《人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えてるんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないんですか?》という台詞を思い出しました。現在と過去を行ったり来たりするのが小説家です。その小説家が、しかも芥川賞をとった小説家と本屋大賞を受賞した小説家が、とびっきり美しい作品の中で、主人公に「過去は変えられる」と言わせているのだから、それってあなたの感想ですよね、ではなく、それってきっと、夜空にきらめく「星のごとく」確かなことなのでしょう。

 

 以下、やや(?)ネタバレあり。

 

 

 凪良ゆうさんの『汝、星のごとく』を読みました。ヤングケアラーの青埜櫂(あおのかい)と、同じくヤングケアラーの井上暁海(いのうえあきみ)を主人公にしたラブストーリーで、本屋大賞に相応しい作品だと思います。舞台の始まりは、二人の名前から想像できるように、

 

 瀬戸内の「島」。

 

 井上暁海目線のパートと、青埜櫂目線のパートが交互に出てくるつくりは、辻仁成さんと江國香織さんの『冷静と情熱のあいだ』のようで、恋愛という青春(人生)の醍醐味と、男女のすれ違いのもどかしさという「あるある」をたっぷりと味わうことができます。母親をケアしなければいけないという共通点のある二人が、高校生のときに恋に落ちて、高校卒業と同時に櫂が東京に出たことから、島に残った暁海と遠距離恋愛になって……、というのが前半部分のざっくりとしたプロットです。

 

 白眉は以下。

 

 月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく。

 

 プロローグの最初の一文です。書かれている内容から想像できるように、おそらくは「普通」の夫婦関係ではありません。ポイントは、この一文がエピローグの最初の一文でもあるということ。読者は最初と最後に同じ場面を目にすることになります。正確には、エピローグのときには夫の名前と恋人の名前が固有名詞になっていますが、それはさておき、このプロローグの意味合いが、物語を読んでいる最中に変わっていくんですよね。読者はプロローグを最初に読むので、物語を読んでいる最中は、

 

 プロローグ=過去。

 

 つまり、過去が変わっていくということです。過去が、物語によって上書きされていく。導入の話につなげると、過去が、未来によって上書きされていく。なぜって過去は、それくらい繊細で、感じやすいものだからです。

 プロローグを読んだときには、普通ではないと思えた夫婦関係が、同じ内容のエピローグを読んでいるときには、普通なんて夫婦の数だけあるわけだから、《月に一度、わたしの夫は恋人に会いにいく》と聞いたところで、へー、そうなんだ、としか思えない。そういう見方・考え方を働かせられるようになっているというわけです。冒頭の引用を少し捩れば、「これはわたしが選んだ関係」という単純な事実が、一番のがんばれる理由になるんだって、心底そう思えるんです。

 

 恐るべし、物語の力。

 

 恐るべし、構成の力。

 

 蛇足ですが、島の閉鎖性と職員室の閉鎖性が同じようなものに思えて、例えば《正しさなど誰にもわからないんです》や《他人にはわからない、ふたりにはふたりだけの物語がある》なんて文章に共感を覚えました。わかりみが、深い。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 凪良ゆうさんの小説は、2020年に出版された『滅びの前のシャングリラ』しか読んだことがありませんでした。他の本も読まなければ(!)とわくわくしています。

 

 今日はこれから旅仲間の御見舞いに行きます。

 

 84歳の画家さん、大先輩です。