田舎教師ときどき都会教師

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朱野帰子 著『会社を綴る人』より。山崎豊子さんの『白い巨塔』に勝るとも劣らない社会派小説。

 口頭ではなく文書で残す。それが会社の原則だ。会社は夥しい数の社内文書によって、様々な社員の手によって綴られている。
 その社内文書を改竄することを許してしまった会社が、こまめに粉の掃除ができるだろうか。過去の事故の記憶を正確に語り継ぎ、悲劇が繰り返されることを防ぐことができるだろうか。そのうち、外にも嘘をつくようになるのではないか。
(朱野帰子『会社を綴る人』双葉文庫、2022)

 

 こんにちは。口頭ではなく文書で残す。それが「国家」の原則だ。官僚制の本質が文書主義にあることを指摘したマックス・ヴェーバーだったらそう言いそうです。朱野帰子さんが『会社を綴る人』を綴っているときに、そのことを意識していなかったとは思えません。試しにタイトルの「会社」を「国家」に置き換えてみます。すると、

 

 国家を綴る人。

 

 すなわち官僚です。国家を綴る人、もとい『会社を綴る人』の刊行は2018年の11月。朝日新聞のスクープで財務省の決裁文書の書き換え疑惑(いわゆる森友問題)が発覚したのが2018年の3月。

 

 つまりこういうことです。

 

 行政機関による公文書の改竄というあってはならない事件に、お仕事小説&労働小説を生業とする朱野さんが反応した。そしてこの、山崎豊子さんの『白い巨塔』に勝るとも劣らない「社会派小説」が生まれた。そんなふうに見立てたくなるのですが、どうでしょうか。

 

 

 早速のネタバレになりますが、主人公の紙屋くんは改竄の指示をぎりぎりのところでヒラリと回避して生き延びます。それどころかその指示を逆手にとってしんみりとした大団円を迎えることに成功します。

 

 2018年3月。

 

 財務省近畿財務局の元職員・赤木俊夫さんは、公文書書き換えを上司に強制されたことを苦に、自ら命を絶ちました。髭男でいうところの「宿命」(?)。いや、現実は小説よりも「酷」なりということでしょう。赤木さんは、紙屋くんのことを知らなかった。だから紙屋くんのようには振る舞えなかった。第二の赤木さんを出さないためにも、

 

 届け。

 

 

 朱野帰子さんの『会社を綴る人』を読みました。著者の朱野さんが実際に働いていたという「製粉会社」を舞台にしたお仕事小説、否、労働小説、否、社会派小説です。

 

 主人公は紙屋くん。

 

 中東にでっかいビルを建てている兄とは違って仕事は全然できないけれど、正社員になったこともないけれど、人たらしの兄とは違って女の子にも全然もてないけれど、おそらくは誰とも付き合ったことがないけれど、読むことと書くこと、特に「文章を書くこと」に関してはちょっとだけ自信があるという、

 

 アラサー男子。

 

 そんな紙屋くんを総務部所属の正社員として雇ってくれたのが、老舗の製粉会社、最上製粉株式会社です。ちなみにこの紙屋というのは本名ではなく、同僚の榮倉さんという女の子が名付けた仮名で、彼女が自身のブログに書いた《履歴書一枚で古い体質のおじさんは紙みたいなペラペラ社員を摑まされる》というタイトルがもとになっています。つまり、

 

 榮倉さんも綴る人。

 

 紙屋くんも綴る人。まぁ、同じ綴る人といっても、榮倉さんは愚痴を、紙屋くんは社史に残せるくらいの建設的な言葉を綴っているので、方向性は真逆なのですが。

 

「じゃあ、榮倉さんは、なぜあんなブログを書いてるんですか?」
 榮倉さんも本心では渡邊さんたちに変わってほしいと思っているのではないか。でなければ、あんな量の文章は書けないだろうと思ってそう尋ねたのだが、
「あんな? あんな、って?」
 榮倉さんは顔色を変えた。

 

 榮倉さんは榮倉さんなりに文章を書くことに誇りをもっていて、年齢の近い紙屋くんをライバル視するんですよね、勝手に。普通の仕事ではミスばかりする紙屋くんが、履歴書一枚で正社員の座を手に入れたり、1通の社内メールで腰の重い社員をその気にさせたりしちゃって、同じ綴る人として、何だか許せないというわけです。要するに、

 

 嫉妬です。

 

 諸悪の根源。学校にもそういう人がいっぱいいます。噂話も陰口もいっぱい。暇なのでしょうか。子どもではなく、大人の話です。職員室を綴る人がいたら、アニー・エルノーの『嫉妬』にも負けない物語を書くことができるでしょう。

 

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 とはいえ、榮倉さんと紙屋くんがバチバチなわけではありません。サブストーリーとしての二人の関係が、おもしろい。

 

〈女の人って、なんで何やっても怒るの?〉
 兄にメールするとすぐに返事が来た。
〈なんで怒られているかを男が考えないからじゃないか。俺は怒られたことないけど〉
 兄らしいムカつく返事だった。
〈でも、お前とそういう話ができるようになって嬉しい〉

 

 兄をスパイスとした紙屋くんと榮倉さんのサブでありラブでもあるストーリー。これもまた『会社を綴る人』の魅力というか、朱野さんの得意分野です。代表作『わたし、定時で帰ります』でも、その力は遺憾なく発揮されていました。そういう話がまた読めて嬉しい。

 

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 話は逸れましたが、メインストーリーはもちろん「紙屋くん VS 会社」です。「紙屋くん VS 転換期を迎えて沈みかけている会社」です。さらにいえば「紙屋くん VS それぞれの立場で、それぞれの信念をもって、一生懸命に生きている社長を含めたベテラン社員たち」です。社長はベテランではなく若いのですが。それはさておき、社内文書の改竄を迫られるような人生の局面において、曰く《会社は生身の人間のいる所だ。そして言葉は書き手が思っている以上に読み手の心に響くものだと思う》と考える紙屋くんは、綴り方を武器に、どのように抗っていくのか。詳細はぜひ手にとって読んでみてください。繰り返しますが、傑作と名高い、山崎豊子さんの『白い巨塔』に勝るとも劣らない「社会派小説」です。

 

 文章の力で会社を変える。

 

 文章の力で、学校も。