田舎教師ときどき都会教師

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秋山大輔 著『萩原健一と沢田研二、その世紀』より。我と汝、その世紀。

秋山 今の世相ですと皆無ですね。
蜷川 学生に教えてあげたいわ。もっと過激に創作する方法や思考を。
猪瀬 やっぱりそうだよね。当時はそういう野放図な感じがありましたね。
(秋山大輔『萩原健一と沢田研二、その世紀』デザインエッグ、2023)

 

 こんにちは。秋山というのは著者の秋山大輔さん(1976-)のことで、蜷川というのは女優の蜷川有紀さん(1960-)のことで、猪瀬というのは作家の猪瀬直樹さん(1946-)のことです。もしかしたら秋山さんのことも蜷川さんのことも猪瀬さんのことも知らない人がいるかもしれないので、念のため。ちなみに私はショーケンこと萩原健一(1950-2019)のことも、ジュリーこと沢田研二(1948-)のこともほとんど知りませんでした。テレビをあまり見ていなかったからでしょうか。歌手だったことも、俳優だったことも、二人の関係がマルティン・ブーバーいうところの『我と汝』のようなものだったことも、

 

 知らず。

 

 

 いただいたサインには「恵存」という言葉が添えられていました。勉強不足が身に沁みます。ショーケンのこともジュリーのことも、そしてこの言葉の読み方も意味も、

 

 知らず。

 

 まぁ、調べればいいんですよね。検索したところ、goo辞書に《お手元に保存していただければ幸いの意で、自分の著書などを贈るときに、相手の名のわきや下に書き添える語》とありました。もちろん永久保存です。

 

 萩原健一とは何者なのか?

 

 おそらくは秋山さんも調べたのでしょう。足を使い、頭を使い、徹底的に調べまくったのでしょう。巻末に並べられた大量の参考文献と、本文に散りばめられた当事者たちの大量の「声」がそのことを伝えてくれます。

 

 

 秋山大輔さんの『萩原健一と沢田研二、その世紀』を読みました。膨大な資料をベースとした、国語でいうところの「伝記」といっていいでしょうか。二人のスーパースターの伝記です。サブタイトルは、涙のあとに微笑みを。タイトルを言い換えると、

 

 ショーケンとジュリー、その世紀。

 

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 二人のことをほとんど知らない身としては、読んでいると映像を観たくなってきます。検索して出てきたのが、これ。ショーケンもジュリーも地下鉄の中でふんぞり返っています。ジュリーは座席でタバコを吸っています。今の世相だと皆無な感じです。野放図な感じです。ひと昔前までは、電車の中でもタバコを吸えたんですよね。はっきりとNGになったのは、2020年4月1日以降から。改正健康増進法の施行に伴い、鉄道や船舶を含む「多数の者が利用する施設」での原則屋内禁煙が義務化されたためです。そうやって、世の中がクリーンになっていった結果、ショーケンやジュリーや三島由紀夫や石原慎太郎のような、猪瀬さん言うところの「価値紊乱者」が日本に出てこなくなった、というのが「この世紀」でしょう。学校現場もやりにくくて仕方がありません。給食の魚に骨が入っていただけで猛烈なクレームが来るくらいですから。

 

 逆に危険です。

 

今はもう社会のために、健全な世の中というものがものすごく幅を利かせてて、逆に危険な気がするわ。

 

 蜷川さんの台詞です。ものすごく共感です。骨なしの世の中なんて、逆に不健全極まりない。異次元の少子化も、異次元の教員不足も、ゼロコロナという非現実的な惹句も、そういった不健全さから生じているように思います。

 

 健全すぎて、不健全。

 

 ショーケンとジュリーの場合は、健全な不健全といえるでしょうか。ショーケンに関していえば、4回も結婚しているし、大麻不法所持や飲酒運転、業務上過失傷害で逮捕もされています。秋山さんが詳しく書いていますが、生まれ育ちもシンプルではありません。二人がツインボーカルを務めたPYG(ピッグ)というバンドの意味は「豚のように蔑まれても生きてゆく」だそうですが、

 

 まさにそんな感じ。

 

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 読んでいると音楽も聴きたくなります。検索して出てきたのが、これ。真ん中の二人がショーケン(左)とジュリー(右)です。わかりやすくラベリングすると不良と貴公子。このPYGは、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、ザ・スパイダースという、当時(60年代後半)大流行していたグループ・サウンズ(略してGS)のメンバーが集結してつくられた、スーパーグループだったとのこと。ショーケンはザ・テンプターズから、ジュリーはザ・タイガーズからの加入です。PYGは短い期間で自然消滅することになったそうですが、その後二人は、特にショーケンは、歌手としてだけでなく、俳優としての力も発揮するようになり、それぞれの道を自由に歩いて愛していくようになります。ショーケンの代表作となった、テレビドラマの「太陽にほえろ!」とか「傷だらけの天使」とか、

 

 わかりますか?

 

 うん、私はやはりテレビをあまり見ていなかったので、アーカイブ的にしか、わからず。しかしとてもよくわかったことがあります。それは、学級担任がクラスの子どもたちを単独ではなく関係性で見るように、秋山さんが二人の関係性に光を当てているということ。

 

 あいつをみていると、”為せば成る為さねば成らぬ何事も” という意味をビシビシ感じさせてくれる。奴は厳しく真剣なんだ。オレは彼から随分得るものがあったが、その中ではやはり、”為せば成る” ということかな。奴がいるというだけで、すごくファイトが湧いてくるんだ。あいつがいる限り、オレも一生懸命やろうと思うね。あいつが、こんなことをやったといえば、オレもすぐやるし、ある計画をたてたと聞くと、オレもたてる。そんな意味の活力剤なんですよ、あいつは。

 

 これはショーケンが23歳のときの台詞です。

 

 ぼくは二人の間が浪花節的だとは思わない。ライバルといわれても、互いに祭り上げるバカはしない。もっとズケズケいいあえるし、そうして互いに良いものを吸収しあえる仲なんです。ぼくもつまらない仕事をやりたくないと思うし、ショーケンにも、そういうことをやってほしくない気持ちがあるんです。お互いに期待し、そして負けたくない。

 

 これはジュリーが25歳のときの台詞です。相手がいることで自分の輪郭がはっきりするという、まさにブーバーの『我と汝』なんですよね。健全すぎて不健全な「この世紀」にはなかなか成立しない、二人の価値紊乱者による、

 

 我と汝、その世紀。

 

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 秋山さんは二人の間で成立していた「我と汝」の関係が終生続いていったことを、冒頭に《ほとんど盟友への追悼の言葉を口にしなかったジュリーだが》と記すことで明らかにしています。あまりにも効果的な構成です。ショーケンの死について、ジュリーがどのようなことを口にしたのかは、ぜひ購入して読んでみてください。

 ショーケンとジュリー以外にも、放送作家の阿久悠さん(アクユウ、1937-2007)や、ギタリストの井上堯之さん(イノウエタカユキ、1941-2018)など、私には読み方すらわからなかった有名人がたくさん登場します。最初に「国語の伝記」と書きましたが、社会でいうところの「英雄史観」ともいえるかもしれません。

 

 萩原健一と沢田研二、その世紀。

 

 勉強と思って、ぜひ。