田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

蜷川有紀、猪瀬直樹 著『ここから始まる』より。恋する日常をしましょう。

「僕の妻もいっしょにいるだけで、家屋の空間を満たしてくれる存在だった。僕は、妻を空間ごと愛していたのです」
 猪瀬は、蜷川に会ってから「恋する日常をしましょう」と囁いた。
(蜷川有紀、猪瀬直樹『ここから始まる』集英社、2018)

 

 おはようございます。恋する日常をしましょうっていう台詞は反則です。まるでよくできた小説の一場面のよう。一瞬が永遠になるものが恋という、辻仁成さんでいうところの『目下の恋人』を思い出します。前段の台詞と合わせて、リアルの世界でこんなことを囁かれたら「事実は小説より奇なり」どころではありません。しかもその台詞を口にしているのが作家の猪瀬直樹さんというのだから、異世界です。

 

 昨日は猪瀬直樹さんの誕生日。

 

 75歳。

 

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異世界。文字がここへ連れて来た。

 

 一昨日の夜に猪瀬さんの Birthday Party(招待制)に参加してきました。会場は六本木にある ENEKO TOKYO です。

 

 なぜ小学校の教員がそんなところに?

 

 なぜならばの答えを田中泰延さんの『読みたいことを、書けばいい。』から引くと、《文字がここへ連れて来た》となります。スケールは全く異なれど、『日本国の研究』が猪瀬さんを総理官邸へ連れて来た、という話と同じです。こつこつとブログを書いてきてよかった。

 

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 とはいえ、そこは異世界です。皇室と同様に完全なるアウェイ。80人くらいの参加者の中、知り合いはゼロだし作法もよくわからないし、全くもって落ち着かず。少し早めに行って着席はしたものの、ストレイシープ、ストレイシープって、三四郎に倣ってただ口の中で「迷羊、迷羊」と繰り返すばかり。

 

 あっ、蜷川有紀さんだ。
 あっ、田原総一朗さんだ。

 

 ますます落ち着きません。しかしそこはさすがの猪瀬さんです。小学校の教員でいうところの場づくりがとてもうまい。授業がうまいといってもいいかもしれません。パーティーが始まる前に各テーブルを回って声かけをしたり、パーティーが始まった後は映像やらトークやら田原さんとの対談やらで参加者を惹きつけ、さらには参加者同士が会話のきっかけをもちやすいように、一人ひとりの紹介タイムを設けたり。ちなみに紹介タイムでは猪瀬さん自らが「次は~さんです」と名前を呼んで、全員のことを説明してくれました。錚々たるメンバーの中、小学校の教員にすぎない私のことも。感動です。一人につき20秒というタイム管理もばっちり。ホント、何もかもが勉強になります。誕生日ケーキの演出も、よかった。ワインラベルに描かれた蜷川さんの絵も、よかった。ENEKO TOKYO の料理も、よかった。何もかも、よかった。まさに異世界。

 

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お土産にいただいた『ペルソナ』

 

 写真はレセプションでいただいた缶バッチと、お土産にいただいた『ペルソナ』です。小心者で人見知りゆえ、同じテーブルの人たち数人とは話をすることができましたが、恐れ多くて猪瀬さんに話しかけることはできず。

 

 人間失格。

 

 お土産の『ペルソナ』は、ENEKO TOKYO を出るときに蜷川さんが手渡してくれました。女優としても、画家としても、そして猪瀬さんのパートナーとしても有名な蜷川さん。ちょうど『ここから始まる』を読み終えたところだったので、その感想でも伝えることができればよかったのですが、笑顔に圧倒されて、それから恋する日常のオーラにも圧倒されて、ペコリとすることしかできず。再びの人間失格です。でもこれからは、人生100年時代。

 

 ここから始まる。

 

 

 蜷川有紀さんと猪瀬直樹さんの『ここから始まる』を読みました。ネブラスカ州の上院議員だったチャールズ・ディードリッヒの「Today is the first day of the rest of your life(今日という日は残された日々の最初の一日)」という格言を彷彿とさせるタイトルです。人生100年時代の男と女にはもってこいのネーミングではないでしょうか。そのタイトル通りに生きているのが蜷川さんと猪瀬さんです。二人とも2回目の結婚。2回目の恋する日常です。

 

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 共著『ここから始まる』の前半はインタビュアーを交えた「春よ、来い。」、後半は蜷川さんの日記(2015年~2017年)という構成になっています。冒頭の引用は前半の「春よ、来い。」より。どこからか松任谷由実さんの歌声が聞こえてきます。

 

 ――そういえば猪瀬さんは、誕生日などのイベントを大事にするそうですね。
「猪瀬さん、口では『誕生日なんてどうでもいい」とかおっしゃるけれど実際は、わたしの誕生日にはお祝いのお食事に連れて行ってくださったり、記念日をとても大切にしていらっしゃいます」
「別に意識してやっているつもりはないんだよ」

 

 意識してやっているつもりはないと語りつつ、おそらくは祝祭空間の大切さを誰よりも知っている猪瀬さんのこと、意識するまでもないのでしょう。そうでなければ六本木の夜に説明がつきません。オリンピックにも説明がつきません。小学校が授業と行事の両輪から成るのもそのためです。小学校の行事はバースデーケーキが20段くらいあってやりすぎですが。

 

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祝祭空間

 八月七日 白樺湖へ。ジョギングしながら湖をまわる猪瀬氏の青いシャツ姿が、木立のあいだを見え隠れする。猪瀬氏は、苦しいときずっとジョギングをしつづけた。奥様を亡くし、都知事も辞任された悪夢のような一年。出会ったとき、「満身創痍だ」と、わたしに言ったこの凄い作家は、恐ろしいほどの絶望を生き抜くために走りつづけたのだろう。

 

 蜷川さんの日記に猪瀬さんが登場するたび、文章がリスペクトフルな色合いに染まります。クラスのパパやママを見ていても思うことですが、互いにリスペクトし合っている夫婦って、よい。そのお子さんも、当然、よい。そうではなさそうな保護者に対して「お子さんのためにも夫婦関係を見直しましょう」なんて言えませんが。都知事を辞任した件については、以下。

 

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 猪瀬さんは「権力闘争」ではなく「政策」をがんばっていたので「やられちゃった」と話していました。政治家は権力闘争ばかりやっている、だから政策がない。本を読めばいいのに、云々。都民が猪瀬さんを守れなかったこと、残念です。田原さんも辞める必要なんてなかったと話していました。

 

「僕は、未来を信じている」
 と、おっしゃっていたが、作品が未来に残り、自分の業績に関しては「時」が評価してくれると信じているのだろう。

 

 猪瀬さんの作品がこれまで以上に評価されれば、教科書に載るくらいに評価されれば、日本の未来も明るくなると思うのですが、どうでしょうか。お土産にいただいた『ペルソナ』はアメリカの大学で使われているそうです。

 

 日本も見習ってほしい。

 

 猪瀬さんの『ペルソナ』に負けず劣らず、蜷川さんの絵も、ある意味教科書に載ってもおかしくないくらいの魅力を秘めています。日記の白眉は、以下。

 

「有紀さんの画に酷似しているのでお持ちしました」
 と、差し出された写真には。私が描いている薔薇の螺旋とそっくりの赤い円環が壁一面に描かれていた。

 

 さて、その写真とは何でしょうか。読むと、教科書に載ってもおかしくないという意味がわかります。

 

 明日はパートナーの誕生日。

 

 祝祭です。