田舎教師ときどき都会教師

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山内健生 著『新装版 私の中の山岡荘八 思い出の伯父・荘八』より。愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

 それはともかく、伯父の作品の根底には、すべてとは言わないまでも、ことに長編の場合、「天下国家のより良いあり方」を志向する傾きがあった。現代風に言うと「公」への意識があって、つねに「公」と「私」のかね合いが頭にあったようだ。その意味で「私」のみを善しとしがちな戦後的価値観には距離をおいたように思われるのである。武士の生き方を描くにしても、現代の二者択一的な「私」最優先の生き方を念頭に、武士の自己抑制的な道徳の意味するものを噛み砕いて説くといった感じであった。
(山内健生『新装版  私の中の山岡荘八  思い出の伯父・荘八』展転社、2023)

 

 おはようございます。平野啓一郎さんの『三島由紀夫論』といい、秋山大輔さんの『萩原健一と沢田研二、その世紀』といい、これから紹介する『新装版  私の中の山岡荘八  思い出の伯父・荘八』といい、最近読んだ「著者が推しについて愛をもって語る」系の本は、どれも勉強になります。国語でいうと、伝記。社会でいうと、歴史。格言でいうと、

 

 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。

 

 前回のブログで取り上げた朱野帰子さんの『会社を綴る人』でいえば、社史をきちんと書き残しておくことが、後世の人間の賢さにつながるということです。名著『昭和16年夏の敗戦』に《大上段に歴史意識などという言葉をふりかざす前に、記録する意思こそ問われねばならぬ》と書いた猪瀬直樹さんも、全力で首肯してくれるのではないでしょうか。そういった意味でいうと、平野さんも秋山さんも山内さんも、記録する意思をもった、

 

 綴る人。

 

www.countryteacher.tokyo

 

 

 故・山岡荘八は、日本の歴史を精力的に綴った人です。近現代史を専門とする猪瀬直樹さんも然りです。贈与は、受取人の想像力から始まる、とは教育哲学者の近内悠太さんの言葉ですが、両者ともに綴れば綴るほど想像力が豊かになって、「天下国家のより良いあり方」を志向する傾きが大きくなっていったのでしょう。綴り続けた結果、先人からのとてつもない贈与に気付いたというわけです。だから二人とも「公」を人一倍意識するようになった。

 

「公」の意識も、受取人の想像力から始まる。

 

 

 山内健生さんの『新装版  私の中の山岡荘八  思い出の伯父・荘八』を読みました。私の中にも思い出の中にも1ミリも存在しなかった山岡荘八(1907-1978)について書かれた本を読もうと思ったのは、山岡荘八の甥っ子である著者の親族に直接勧められたからです。仮にその人を、

 

 Rさんとしましょう。

 

 そのRさんも出てくるんです、思い出の中に。写真にも写っています。そうすると、もはやこの『新装版  私の中の山岡荘八  思い出の伯父・荘八』は他人事ではなくなります。

 

 知れば、他人事ではなくなる。

 

 言い換えると、知れば、「公」の意識が芽生える。だから歴史を学ばなければいけないんですよね、私たちは。そういった意味でも、甥っ子いうところの「東京の伯父さん」こと山岡荘八の「三部作」と名高い『徳川家康』と『小説太平洋戦争』と『小説明治天皇』くらいは読んでおきたいものだなぁと思います。全26巻という『徳川家康』をはじめ、どれもめちゃくちゃ長そうですが。新潟から上京して一旗揚げた伯父さんが、世界一長い小説を書いた人としてギネスで言及されるくらいに、或いは川端康成や三島由紀夫、田中角栄や佐藤栄作といったビッグネームと気の置けない関係を築くくらいに、有名人だったとしたら。当然甥っ子は、

 

 誇りに思うでしょう。

 

 私が高校生から大学生の頃の伯父は、推理小説や昭和史ものの松本清張氏や、サラリーマン小説の源氏鶏太氏らと文壇長者番付のトップを競って(?)いた。時々マスコミに話題を提供する「東京の伯父さん」は私の密かな誇りであった。自分で言うのも変だが、あの有名な「山岡荘八」の家で一緒にご飯を食べているということが、得も言えない力になっていた。しかし、それを友人に話すことはなかった。

 

 山岡荘八には養子はいたものの、血の繋がったお子さんがいませんでした。だから甥っ子で、優秀で、しかも自分になついていた著者のことがかわいかったのでしょう。著者が小学生だった頃には、当時としては珍しいバナナやサンドウィッチ、豚カツを食べる機会をつくってくれたり、これまた当時としては珍しい《上等の皮》でできたランドセルを買ってくれたりしたそうです。ときどきフラッと故郷の新潟に帰ってくる東京の伯父さん。エネルギーに満ちていて、酒を飲むたびに「荒ぶる神」のごとき様相を呈していた、東京の伯父さん。亡くなった後も、甥っ子に《私は、ことに東京に出て来てからのことになるが、伯父から実に多くのことを教わった》と回想してもらえる、東京の伯父さん。東京の伯父さんの存在がなければ、甥っ子の人生は全く違ったものになっていたことでしょう。Rさんも存在していなかったかもしれません。それにしても、恐るべし、

 

 甥っ子の記憶力。

 

 伯父の話を聞いた翌日は、父と一緒に「はとバス」で東京見物となった。義伯母が、東京駅丸の内北口の乗り場(向かいには国鉄本社ビルがあった)まで一緒に来て遊覧乗車券を買ってくれた。夕方戻ると、「おい、健生、今日は何処が一番良かったか」と伯父に尋かれて、さて一番良いところは何処だったか?とあれこれふり返ったあげく「明治神宮」と答えたことを覚えている(掃き清められた広い参道が印象的だったのだ)。その時、どうしてすぐにテキパキと返答できないのかと自分自身の鈍さがもどかしかった。この日の遊覧バスのガイドさんの名前が「山野井恵子さん」だったことを六十余年も前のことだが、覚えている。

 

 全446頁。思い出の伯父・荘八とのエピソードが、これくらいの解像度で綴られていくんですよね。愛と才能がなければ書けません。ご存命かどうかはわかりませんが、山野井恵子さんも、

 

 びっくりしたことでしょう。

 

 伯父・荘八の生きた時代のことを、庶民史観(甥っ子の視点)と英雄史観(荘八の視点)の両方でとらえることができるレアな一冊。歴史の勉強にうってつけ(!)とはいえ、我が子をもつ親として気になったのは、著者と父との関係です。伯父愛を隠さない息子のことを、父はどう思っていたのかな、と。しかしそのもやもやも、終盤、431頁に出てくる次のエピソードを読んで、解消することができました。父の葬儀がひと段落したときの話です。

 

頬ずりされた遠い日のチクチクとした髭の痛み、深酒をして眠る伯父の手足を勝手に揉んだ少年時代のこと、車で帰省する伯父に(その「度外れた喜怒哀楽」が気がかりで)「嬉しさ八分、不安二分」の気持ちを抱いて同行したこと、お湯割りの「緑川」に舌なめずりする伯父の表情など、さまざまなことがよみがえり頬を濡らしたのだが、しかし、涙の量は父の時の方がその何十倍も何百倍も多く湧き出たのである。何千倍と言ってもいい。それを思うと別の意味で今でも泣けて来るのである。

 

 私まで泣けてきました。

 

 飲みたくなります。 

 

マッコリを飲みつつ(2023.8.18)

 

 著者の山内健生さんは、私の父と同い年です。神奈川県の高校の教員だったそうで、教育の話もしばしば出てきました。

 

「民主主義を守れ」などと言いながら日教組ほど個々の内心を平然と踏みにじる組織はなかっただろう。違法な授業放棄を繰り返しては、その度に物言わぬ圧倒的多数の組合員教師の良心をマヒさせていたのだから。

 

 物言える、綴る教員。

 

 憧れます。