田舎教師ときどき都会教師

テーマは「初等教育、読書、映画、旅行」

藤原正彦 著『スマホより読書』より。算数より国語。論理より情緒。

藤原 最近、日本の小学校で児童一人につき一台、タブレット(電子端末)を配っている、と聞いたときは目の前が真っ暗になりました。教科書をなくす第一歩と思います。小学生から教科書も読まず、自由にタブレット画面に没頭させたら、本の世界に対する憧れなど生まれようがない。「本嫌いの子供を量産する」という亡国の教育に、文科省も教師も親も命懸けで邁進しているのです。
(藤原正彦『スマホより読書』PHP文庫、2023)

 

 こんばんは。先日、クラスの子が山岡荘八の『徳川家康』を読んでいて驚きました。全26巻。世界最長の小説のひとつとして「ギネスブック」に認定されている超大作です。聞くと、父親が山岡荘八のファンだそうで、クリスマスに全巻買ってもらったとのこと。さっそく山岡荘八の甥っ子の娘さんにそのことを伝えたところ、「すごい小学生!」「私も読んでいないのに」と返ってきてちょっとうけました。そうか、

 

 読んでいないのか。

 

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 読書におもいっきり価値を置いている家族のもとに生まれるか、あるいは読書におもいっきり価値を置いている大人が身近にいるか、そのどちらかの幸運に恵まれない限り、数学者の藤原正彦さんが言うところの初等教育の唯一の目的たる「自ら本に手を伸ばす子どもを育てること」を達成するのは、

 

 極めて難しい。

 

 そう思います。クラスの子どもたちも同様で、両親が本好きとか、自宅にテレビがないとか、もちろんスマホなんてもってのほかとか、クリスマスプレゼントに26冊もの本を買ってもらったとか、そういった家庭で育っている子ども+数人しか「自ら本に手を伸ばそう」とはしません。そして、ここが重要なのですが、そういった子ですらタブレット端末の誘惑には負けてしまうんです。恐るべし、

 

 亡国の教育。

 

 

 読書の時間と孤独になる時間。この2つを奪われた子どもたちがどうなってしまうのか。どちらも「私」の大事なところをかたちづくってきた時間だけに、うまく想像することができません。思想家の吉本隆明(1924-2012)だってこう言っています。

 

 ひきこもれ。

 

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 直木賞作家の新田次郎(1912-1980)を父にもつ、数学者の藤原正彦さんの言葉を加えるとこうなります。ひきこもれ、

 

 そして本屋を守れ。

 

 

 藤原正彦さんの『スマホより読書』を読みました。その前に読んでいたマイケル・サンデルの『実力も運のうち』がちょっとヘヴィーだったので、箸休めにページ数の少ない本を探していたところ、久し振りに藤原さんの本に目が留まったというのが手に取った理由です。藤原節は健在なり。以下、目次です。

 

 1.国語力なくして国力なし
 2.読解力急落、ただ一つの理由
 3.読書こそ国防である
 4.町の書店がなぜ大切か
 5.デジタル本は記憶に残らない
 6.本を読まないアメリカのビジネスマン
 7.日本は「異常な国」でよい
 8.国家を瓦解させる移民依存政策

 藤原さんの言わんとしていることは目次からもよくわかります。

 国語力が落ち、読解力も落ち、それに比例して国力も防衛力も落ち、最後の頼みの綱であった書店もデジタル本に圧されてどんどん減ってきている。日本が植民地にならなかったのは《幕末から明治にかけて来日した外国人が、町人たちが本屋で立ち読みをしているのを見て震撼したから》なのに。つまり幕末にあった江戸の800軒もの本屋が、あるいは京都にあった200軒もの本屋が、分厚い教養層をつくり、この国を西欧列強から守ってくれたのに。その本屋を守れないなんて。かつて、ドイツ人の医師エンゲルト・ケンペル(1651-1716)をして《世界中のいかなる国民でも、礼儀という点で日本人にまさるものはない。のみならず彼らの行状は、身分の低い百姓から最も身分の高い大名に至るまで大変礼儀正しいので、われわれはこの国全体を礼儀作法を教える高等学校と呼んでよかろう》と言わしめた「異常な国」はどこへ行ってしまったのか。本を読まないアメリカのビジネスマンに倣って「普通の国」を目指した結果が国家を瓦解させる節度を忘れた移民政策なのではないか。だから、

 

 スマホより読書。

 

 藤原さんのユニークなところは、やはり数学者なのに算数よりも国語を大切にしているところでしょう。藤原さんの「1に国語、2に国語、3、4がなくて5が算数」という名言は、子どもたちにも保護者にも毎年のように伝えています。

 

 国語(読書)が情緒を育む。

 

 だから、算数より国語。論理よりも情緒を大切にしていた数学者の岡潔(1901-1978)も、藤原さんの見方・考え方に同意するに違いありません。

 

 日本が世界に誇る数学の天才・岡潔先生は、専門の多変数解析函数論の研究に入る前に「芭蕉の俳諧をすべて調べなければならない」と悟りました。そして一年余りかけて松尾芭蕉と弟子の俳句を徹底的に研究したのち、やおら自分の研究に取り掛かり、二十年余りかけて当時のその分野における三大難問といわれたものをすべて解いてしまった。

 

 情緒なくして論理なし。

 

 藤原さんが言うには、論理の出発点は常に仮説であり、その仮説を選択する際に決め手になるのが情緒なんだそうです。出発点が間違っていたら、その後の論理がどんなに正確でも、間違ったゴールにしか辿り着きません。そのことは歴史が証明しています。

 

だが、歴史が示すところによれば、一流の学歴と、実践知やいまこの場での共通善を見極める能力とのあいだには、ほとんど関係がない。学歴偏重主義が失敗に終わった最も破滅的な事例の一つが、デイヴィッド・ハルバースタムの古典的作品『ベスト&ブライテスト』に描かれている。この本からわかるのは、ジョン・F・ケネディが輝かしい学歴の持ち主をかき集めてチームを結成しながら、彼らがいかにして、そのテクノクラート的な優秀さにもかかわらず、アメリカをヴェトナム戦争という愚行に導いてしまったのかということだ。

 

 前回のブログに取り上げたマイケル・サンデルの『実力も運のうち』より。そのチームの面々に情緒が育っていれば、ヴェトナム戦争という愚行に突っ走ることはなかったでしょう。藤原さんも《現代の政治家は学歴秀才が多く、論理的思考で突っ走る人が多い》と書いています。学歴秀才(官僚)のストッパー役として、

 

 藤原さんを文部科学大臣に!

 

藤原 ダメです。身体検査で引っ掛かる(笑)。昔付き合った世界中の女性たちにあることないことを週刊誌に告げ口された挙げ句、女房に離縁されてしまう。

 

 藤原節、健在です。処女作の『若き数学者のアメリカ』から一貫してユーモアがあって、よい。

 

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 心は孤独な教育者。

 

 おやすみなさい。