田舎教師ときどき都会教師

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横道誠 著『海球小説』より。もしも戦後日本がディズニーランドではなかったら。

「探究」の時間は、いつもこんな具合だ。ミノルはいろんなクラスメイトにつきあわされて、ある意味では「モテる」。じぶんが好きなものをなんでも探究して良いというこの時間、クラスメイトたちはよく、いろんな外国語を身につけるために練習に耽っている。外国語が好きな子たちは、とても熱心にやっている。しかしミノルにはどうも外国語学習はピンとこなかった。
(横道誠『海球小説』ミネルヴァ書房、2024)

 

 おはようございます。1ヶ月くらい前でしょうか。ゲンロンの告知を見て、めちゃくちゃピンときたんですよね。普段の授業に加え、6年生を送る会もあるし保護者会もあるし通知表の所見も書かなきゃいけないしで、その週はブログが書けなくなるくらい忙しくなることはわかっていましたが、猪瀬直樹さんと東浩紀さんが対談するっていうんです。二人の大ファンとしては、申し込まないわけにはいきません。

 

 いざ、東京へ。

 

ゲンロン「日本は『訂正』できるか」(2024.2.28)

 

 前半は思いがけず大荒れでした。来年開催予定の大阪万博について、東さんの聞きたいことと猪瀬さんの言いたいことが1ミリも噛み合わず、いやぁ、会場にいて、しんどかったなぁ。ファン冥利に尽きるの反対です。二人が児童でこれが授業だったら途中で口を挟むところですが、もちろんそんなことはできません。

 

 わかりあえないことから。

 

 休憩時間中の東さんの憔悴しきった表情が心に残りました。対談を続けられるのか心配でしたが、そこはさすがのホスト役 &『訂正する力』の作者です。整理しきれなかったであろう気持ちを「訂正する力」で一旦保留し、いざ、後半へ。後半の白眉は、ディズニーランドに関する応え合いでしょう。

 

 

 連作『日本凡人伝』への言及には東さんの猪瀬さんへの愛を感じたし、むしろディズニーランドをつくってほしいという見方・考え方には愛をベースとした東さんのコペルニクス的転回の「知」を感じました。

 

 もしも戦後日本がディズニーランドではなかったら。

 

 言い換えると、もしも米軍が門のそばに立っていなかったら。いったい、日本はどうなっていたのでしょうか。探求すべき、大事な「もしも」です。冒頭の引用につなげるべく、もうひとつの「もしも」を加えます。もしも特定の物事にこだわる特性をもった子が、この「もしも」が描くパラレルワールドに興味をもったとしたら。きっと、めちゃくちゃ熱心に探究するのではないでしょうか。

 

 小説だって書けてしまうかもしれません。

 

 

 横道誠さんの『海球小説』を読みました。副題は「次世代の発達障害論」です。全5章(Ⅰ~Ⅴ)から成る小説を横道さんが書き、臨床心理士の村中直人さんがその都度解説を加えるという、風変わりな小説です。二人は仲良し(?)で、村中さんは横道さんのことを次のように紹介しています。

 

 マコトさんはドイツ文学の研究者で大学の准教授です。ドイツ語以外にも多くの言語に精通する語学の達人であり、とんでもないスピードで本や論文を量産する多筆の人でもあります。ですがやはり横道誠の名を世に知らしめたのは、「発達障害当事者」としての数々の著作、発信でしょう。私がマコトさんと知り合ったのは、マコトさんの最初の単著『みんな水の中』(医学書院)が出版される直前でした。私が主宰する「自閉文化を語る会」に参加者として来てくれたのが最初の出会いです。

 

 自分のことは次のように紹介しています。

 

 はじめまして。
 この物語を「解説」させていただくことになった村中直人と申します。私は臨床心理士で、普段は「ニューロダイバーシティ(脳・神経の多様性)」というキーワードでの発信やコンサルティング活動をしたり、発達障害とカテゴライズされることの多い、ニューロマイノリティ(神経学的少数派)な人たちの支援者の養成の取り組みをしたりしています。

 

 それぞれ第1章(Ⅰ)の後に書かれた解説より。村中さんは次のように続けます。曰く《さて、この物語はそんなマコトさんの頭の中から生まれています。だから、マコトさんの経歴が物語に影響していないわけはありません》云々。つまり、ニューロマイノリティの当事者である横道さんが紡ぐ物語に、別言すると少数派が紡ぐ物語に、臨床心理士が耳を傾け、コンサルティングしているというわけです。

 

 マコトさんは、どんな物語を紡いだのか。

 

 ネタバレになるので書きませんが、ぜひ手にとって探究してほしいと思います。マコトさんの物語には、とある「企て」が埋め込まれています。自閉スペクトラム症の特性を強くもっていたかつての教え子だったら、あるいは4月から午後の授業をすべて「探究学習」にあてるという、東京は渋谷区の小中学校が目指す理想の子どもだったら、給食中も読み続けるかもしれないレベルの企てです。もしも教員がこの小説を読んだら、大なり小なり、子どもたちに対する見方・考え方が変わるでしょう。本来、小説とはそういうものです。

 

 3月のある晴れた朝に100パーセントの小説に出会うことについて。

 

 種々考える。