田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『日本凡人伝 今をつかむ仕事』より。Q:日本とアメリカは何が違ったか。A:アメリカは、偉い人が本当に偉かった。

 つまり、猪瀬氏が、膨大でつかみどころのない事象を細心の注意をはらって分析していった果てに見いだすのは、無定見な欲望であれ、脆弱な理想主義であれ、意識的であれ無意識的であれ、要するに固有名詞をもった個人のヴィジョンなのである。どんな巨大な文化構造であっても、誰かが夢を見なければ始まらない ―― さまざまな周囲の状況が、そのヴィジョンを成立させるのに適当でなければならないのはもちろんなのだが――という事実を、猪瀬直樹はまざまざと見せつけてくれるのだ。
(猪瀬直樹『日本凡人伝  今をつかむ仕事』新潮社、1993)

 

 おはようございます。今日から個人面談が始まります。話のメインはもちろん子どものこと。とはいえ、子どものことを主としながらも、猪瀬直樹さんが「日本凡人伝」の仕事で見せてくれたように、保護者と《膝をつきあわせて互いの生きた時間を鑑賞しあう》ことができればいいなと思っています。子どもの成長という共通の目標をもっているのだから、互いのライフヒストリーを知っているに越したことはありません。保護者も教員も固有名詞をもった個人であること。そのことを忘れてしまうと、安易なクレーム、安易な指導によって、目標から遠ざかることになります。

 

 

 猪瀬直樹さんの『今をつかむ仕事』を読みました。シリーズ「日本凡人伝」の第4弾です。登場するのは「サラリーマンしながらキャスターもしちゃうソニー社員の長窪正寛さん」や「本場パリのコンクールで入賞したソムリエの木村克己さん」、「ブームの波から転落、再スタートしたサーファーショップ経営者の小室正則さん」や「日本で初めてジェットコースターを作った設計者の山田敷夫さん」など、総勢12名。説明の言葉からわかるように《学歴とか、社名とか、役職とは別の言葉で語るべき自分》をしっかりと形にしている、我が道を行く凡人さんたちです。冒頭の引用は、著作家の大岡玲さんの解説「夢の新しい叙述法」より。夢の新しい叙述法の基礎を成しているのが、猪瀬さんが「日本凡人伝」を書くにあたって用いている「インタビュー・ノンフィクション」という手法です。

 

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 小学4年生の国語の教科書(光村図書)に出てくる説明文「アップとルーズで伝える」でいえば、アップが「個人」で、ルーズが「歴史」です。猪瀬さんの代表作であるミカド三部作や作家評伝三部作などは、この「個人」と「歴史」が名人芸的な手さばきで結び付けられたものです。その際に役立ったのが、おそらくは「日本凡人伝」で培った「アップ」の方法論でしょう。大岡さんも《都市や国家など大きな主題を分析して、一人一人の人間に到達する彼の方法論の基礎を成しているのは、『日本凡人伝』シリーズに代表される、インタヴュー・ノンフィクション群だろう》と書いています。

 

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しょうがないから何を言ったかというと、日本とアメリカは何が違ったか、たった一個ありました。何だ。答えは、アメリカの人は、偉い人が本当に偉かった。そしたら江戸城の人が非常に怒ってもう二度と来るなと言った。
⚪形式的に偉いのと違うと言ってるわけね。
⚫そうそう。それはもう半端じゃない、名前を挙げればそうそうたる人たちと会ったりすることができましたけど、みんな一様に好奇心が強くて、自分の地位とか役職よりも、人がどんなに自分とちがうことをやっているか、どんなちがう考え方があるかということに対してものすごく関心があるんです。
⚪偉くなると結局どういうところがだめになるかというと、日本人の場合は好奇心がなくなるんだよね。今のあなたの話だと、偉い人がパーティでまるで好奇心の塊になって人と話をし合っている光景があったということですね。

 

 これは、最初に載っている「サラリーマンしながらキャスターもしちゃうソニー社員の長窪正寛さん」へのインタビューからの引用です。⚪が猪瀬さんで、⚫が長窪さん。気が合うようで、巻末には「あとがき」の代わりに二人の対談が収録されています。江戸城云々というところは勝海舟がアメリカから戻ってきたときの話。長窪さんは1976年ぐらいに某新聞社のワシントン支局で働いていたとのこと。そこで出会ったアメリカ人の偉い人たちのことを勝海舟のエピソードと重ねて話しているというわけです。

 この偉い人にまつわるエピソードが『今をつかむ仕事』に登場する12人全員と重なり、そしてインタビュアーの猪瀬さんの現在とも重なります。お寺の住職なのに自作の短歌で月一回「絶叫コンサート」を開いたり、休日にはGIになってジープを駆ったり、それから75歳にして国政選挙に打って出たり、どれも好奇心がなければできない「今」ばかり。名前を挙げれば、住職というのは凡人のひとりである福島泰樹さん、GI云々というのはこれまた凡人のひとりである営業マンの金子春男さん、そして75歳にして国政選挙に出るかも(!)というのはもちろん猪瀬さんのことです。

 

 地位とか役職よりも、好奇心。

 

 猪瀬さんの場合は好奇心に加えて、半端じゃない「公」の意識がエンジンとなっているのでしょう。偉い人が本当に偉ければ、国が沈没することも、精神疾患で休職する教員が毎年5000人以上出るなんてこともなくなるはずです。

 

 日本 ≒ 大きな船

 

 大きな船だと急ブレーキをかけても止まるまでに四千メートルかかるという話が、横浜港の水先案内人、中之薗邦夫さんへのインタビューに出てきます。それから、なんといっても蕎麦は原材料という話が、東京から山梨に引っ越して蕎麦屋を開いた高橋邦弘さんへのインタビューに出てきます。

 

 原材料 ≒ 教育

 

 中之薗さんへのインタビューも、高橋さんへのインタビューも、猪瀬さんの『公』でいうところの「公の時間」軸で考えると示唆的です。私の時間から公の時間へ。

 

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 偉い人が偉くないと、ろくでもないことになります。そのことは猪瀬さんが『東京の敵』に詳しく書いています。偉い人が本当に偉ければ、大きな船は沈没することなく、社会も教育もまともな方向に舵を切ることができるでしょう。モデルチェンジが正しく行われれば、この『今をつかむ仕事』に登場する12人+著者のように、《社名とか役職とは別の言葉で語るべき自分が確かに存在すること》&《いたるところに舞台があること》に気付く凡人が増えるということです。さて、

 

 今をつかむ偉い人は誰なのか。

 

 行ってきます。