田舎教師ときどき都会教師

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猪瀬直樹 著『日本凡人伝 二度目の仕事』&マル激(第1101回)より。やっぱり違いますねえ、昔の人は。教育ではなく、時代の力。

⚪昔はアレだね、兄弟多いから、船から落として「帰れッ」って言えたけどね。いまは一人っ子だから無理だもんね。その後、輪島から出た水泳選手、どうでしたか。
⚫何人か出たけど、駄目ですね。高校が進学校に切り替わっちゃったから。昔は大学行くなんてタイヘンでね。早稲田行ったの、私が町で二人目ですよ。当時は高校行くだけでも幼な馴染みに煙たがられた。でも兄貴が行けなかった早稲田に行きたくってね、僕は。
⚪苦労したんですか。
⚫高校の月謝も自分で払ってましたよ。漁船の手伝いやったりしてね。ウチの両親は非常にビンボーでしたからね。
⚪やっぱり違いますねえ、昔の人は。こういうあたりまえの感心をついしてしまうんです。
(猪瀬直樹『日本凡人伝  二度目の仕事』新潮社、1963)

 

 こんばんは。先週のマル激トーク・オン・ディマンド(第1101回)は「偽りの沖縄返還を暴いた伝説の記者・西山太吉の遺言」でした。ゲストは元毎日新聞記者の西山太吉さん。なんと、今年、齢91歳というのだから驚きです。なぜ西山さんがゲストなのかといえば、それはもちろん、マル激の翌日の5月15日が、沖縄の本土返還50周年にあたる節目の日だったからです。

 

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 タイトルにある「偽りの沖縄返還」というのは、当時、佐藤栄作元首相が喧伝していた「核抜き、本土なみ」というのが「偽り」だったという事実を指します。50年後の今も沖縄に基地があることを考えればそれは明らかでしょう。その「偽り」をすっぱ抜いたのが西山さんです。

 しかし残念なことに国民は西山さんの味方をしなかった。宮台真司さんの言葉を借りれば「パブリックマインド」、猪瀬直樹さんの言葉を借りれば「公の意識」がメディアにも国民にもなかったから。小学4年生の国語で学習する「対比」を使うと、その残念さがよくわかります。

 

 西山太吉 → 逮捕
 佐藤栄作 → ノーベル平和賞

 

 ニール・シーハン → ピュリッツァー賞
 ニクソン → 失脚

 

 西山さんのスクープの2日後に、アメリカでも同じようなすっぱ抜きが起きます。すっぱ抜かれたのはアメリカ政府によるベトナム戦争に関する「偽り」。すっぱ抜いたのはニューヨークタイムズのニール・シーハン記者です。違ったのはその後の展開。アメリカのメディアと国民はニール・シーハンの味方となり、ニクソン大統領を辞任に追い込みます。ニール・シーハンはピュリッツァー賞を受賞することに。西山さんは、逮捕された上に、ジャーナリスト活動を廃業せざるを得なくなったというのに。

 

 いったい、このギャップは何なのか。

 

 50年経って、ギャップは埋まったのか。

 

 

 今日紹介する『日本凡人伝  二度目の仕事』につなげれば、西山さんはその後、地元の下関に戻り、家業の西山青果株式会社に勤務することになります。

 

 

 猪瀬直樹さんの『日本凡人伝 二度目の仕事』を読みました。シリーズの第2弾にあたるこの作品では、猪瀬さんと同じ自営業者(第1弾は現代サラリーマンが対象)、しかもスケールのでっかい13人の元英雄にスポットライトが当てられ、彼ら彼女らの過去と現在が「インタビュー・ノンフィクション」の手法によって明らかにされていきます。マル激(第1101回)の話と合わせて紹介したくなったのは、冒頭の引用にある猪瀬さんの感想と同じように、私も《やっぱり違いますねえ、昔の人は》と思ったから。どのインタビューを読んでもそう思ったから。猪瀬さんにインタビューされる「昔の人」も、西山さんや、西山さんがマル激で口にしていた渡邉恒雄さんを始めとする「昔の人」も、職種の違いはあれど、誰も彼も規格外なんです。無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の「今の人」とは大違い。なぜこんなにも日本人は均されてしまったのか。以下、13人の元英雄です。

 

 北原昇氏(市会議員*元米作り日本一)
 立花正太郎氏(タクシー運転手*元ジャニーズ)
 久保田治氏(セ・リーグ審判員*元東映フライヤーズのエース)
 野口誠一氏(貿易会社社長*元下町のお大尽)
 松田千秋氏(発明家*元船艦大和艦長)
 萩野昭三氏(耳鼻咽喉科医師*元のど自慢日本一)
 清水昭氏(銀座高級クラブオーナー*『ララミー牧場』仕掛人)
 山中毅氏(輪島総業社長*千五百メートル自由形銀メダリスト)
 杉田馨子女史(占い師*夫人国会議員第一号)
 杉浦茂氏(イラストレーター*元祖ヘタウマ絵)
 安東仁兵衛氏(雑誌編集長*戦後東大退学処分第一号)
 月本瑛子女史(東京ゾンタクラブ会員*初代ミス日本)
 高森朝樹氏(刑事被告人*劇画王・梶原一騎)

 

 冒頭の引用は山中毅氏の「僕が潜水夫にならなかった理由」からとりました。インタビューに入る前の猪瀬さんの文章が「カッコいい」んです。具体的には《あの話は確か民俗学者の宮本常一だったような気がするが……。》と始まり、ロス・オリンピックの話題や老漁師の昔話などが続いて、最後は次のように着地します。

 

 さて、わが、海洋民族としての伝統とはどういうものだったのであろう。
 中村ー瀬古コンビのように暗くはなくて、野放図な海の匂いに満ちた伝統はどこに流れ去っていったのだろうか。
 そういうことについて、なぜかいま輪島塗りの漆器を売っているおじさんが喋ってくれるのだ。

 

 カッコいい。そして⚪と⚫からなるインタビューがスタートします。二度目の人生がトータルとしての人生にシナジーを生み出しているのと同じように、インタビューパートとそれ以外の叙述が絶妙のバランスで互いのよさを引き出しているのが、シリーズ・日本凡人伝の特徴といえるでしょうか。ちなみにこの元オリンピアンのおじさん、大学も自力で通ったとのこと。屍体洗いや海の底での命懸けのアルバイトなど、何でもやったとのこと。やっぱり違いますねえ、昔の人は。経験のスケールも苦労の質もたくましさも今の人とは全く違います。

 

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⚪楽しくやってるようじゃないスか。毎晩、毎晩、美女をはべらせて。
⚫憂さ晴らしでもしなきゃもたないよ。
⚪憂さ晴らしになりますか、それで。
⚫いや、本当の憂さ晴らしは法廷でやるのさ。これから月二回ずつ公判の日程が決まってる。半年分の予定が決まってる。佐藤佐治右衛門、川島興、高瀬礼二、そうそうたるメンバーをつるしあげてやるんだ。
⚪でも結局は、憂さ晴らしってことにしかならないよね。

ならないよ。権力とぶつかるってことはね、もう理屈じゃないよ。

 

 これは清水昭氏の「たった一人の叛乱」からとったものです。やっぱり違いますねえ、昔の人は。毎晩、毎晩、憂さ晴らし目的で美女をはべらすなんて。それはさておき、引用の後半部分については、西山太吉さんも同じことを思っていたのではないかと想像します。権力とぶつかるってことは理屈じゃない。不合理そのもの。でも、その不合理にメディアと国民が目をつむってきた結果としての、50年にも及ぶ、宮台真司さんいうところの「沖縄差別」でしょう。猪瀬さんが日本国のことを「ディズニーランド国家」と揶揄する所以です。

 

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『二度目の仕事』の最初のタイトルは『あさってのジョー』だったそうです。表紙には「あさってのジョー」改題とあります。あさってのジョーというのはもちろん高森朝樹氏(刑事被告人*劇画王・梶原一騎)のこと。

 

 あしたのジョーからあさってのジョーへ。

 

 ドラゴンボール世代の私にとって、あしたのジョーは「昔の人」です。だから『二度目の仕事』のラストを飾る高森朝樹氏(梶原一騎)が刑事被告人だったなんて、それも懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受けていたなんて、知りませんでした。燃え尽きる前の一度目の仕事のことも、燃え尽きた後の二度目の仕事のこともよく知りませんでした。そして読むと、やはりこう思います。

 

 やっぱり違いますねえ、昔の人は。

 

 教育ではなく、時代の力。

 

⚫作者にもよくわからない。『巨人の星』は「週刊読売」に『新・巨人の星』を書いたけれども、『新・あしたのジョー』はありえない。あの余韻は大事にしなくちゃいけない。あれは完全に完成してるからね。
⚪人生は、フィクションのように ”余韻” では済まないですよね。アタリマエのことだけど、具体的な ”その後” がいつもついて回る。 

 

 蜷川有紀さんとの再婚や民間臨調「モデルチェンジ日本」の設立など、インタビュアーだった猪瀬さんが具体的な ”その後” を謳歌しているように映るのは、この『日本凡人伝 二度目の仕事』が影響しているのかもしれません。あとがきに《人はみな、青春時代を体験するが、熟年時代もまた、体験しなくてはならない》とあります。長時間労働から長期間労働へとライフシフトしている「今」だからこそ、なおのこと、この『日本凡人伝 二度目の仕事』を読む価値があるように思います。最初の話に戻れば、沖縄だって ”余韻” では済まない。

 

 お勧めの一冊です。

 

 おやすみなさい。